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ふわりと背中に暖かな温度が当たった。うわ、となんとも言えない声を上げると、びっくりした?と笑う美少女がいる。柔らかく抱きつかれたらしい。

「い、石田さん」

石田さんとは中華街での外出以降、互いの距離感が近くなり随分友達らしさが増した気がする。遠慮がなくなった。
それに加えて、石田さんの表情には明らかにやわらかな笑顔が増えた。
自分が彼女を少しでも明るく出来ているならば、それ以上に嬉しいことはないだろう。
わたしは性格が悪くて打算的な自覚がある。石田さんが笑うと、わたしはここで生きているのだと、不思議な実感が得られていた。予想通りなのに、利用してしまったと罪悪感を抱くことは少なかった。ただただ、嬉しかった。

「どうかした?」

首を傾げながら尋ねると、彼女はピラピラと薄く細長い紙を得意げに揺らす。

「ふふ、ねえ見てみて!教室でテスト受けるのも頑張ったけど、いい点数出たんだよ!」

にこにことしている石田さんは、本来は明るくて優しい子だったのだと思う。
周囲に話しかけてもそっぽを向かれ続け、虐げられる生活を続けると人間は当然のごとく性格が歪む。わたしもその例に漏れず幼い頃に人間不信になり、しばらくはシャツと家族以外の人を信じることなど出来なかった。今でもその性格が、完全に矯正されたとは思えない。人とうまく視線を合わせられないし、声も小さめだ。
だからこそ、目の前の石田さんが屈託なく笑ってくれることが余計に嬉しかった。

差し出された期末テスト結果の紙を受け取ってみると、点数と順位が表になって並んでいる。その全てが平均を上回っていて、思わず石田さんの髪をくしゃくしゃと掻き回した。そう身長の変わらないところにある黒髪は触り心地が良く、美少女は髪まで綺麗なんだなと感心する。

「すごい!」
「名前ちゃんが教えてくれてるおかげだよ!ありがとう!」

その笑顔はまるで花が咲いたようだった。
教室まで通えない石田さんに放課後勉強を教えるため、最近はあまり美術室には通えず、土日に油絵を描いていることが多かった。
それでも、石田さんに勉強を教えることは楽しかったし、苦に感じたわけでもない。自分の予習復習にもなったためわたしもいつもより点数が良かった。ほぼ満点といっても差し支えない点数を取ることができたのだ。

前の人生からの知識はあると言えど、元から勉強が得意ではなかったわたしは、今でも率先して勉強をする気にはなれなかった。この人生もいつ自分の意思とは関係なく終わらせられるのかもしれない思うと、将来に期待が持てなかったというのもあった。
しかし、努力が結果として点数に出ると想像したよりも達成感があった。
周囲の記憶が消えてしまったとしてもーーーーーーー自分の知識は蓄積されて消えることがないのだと今更気付いて、14年間勉強に意欲的になれなかった自分を悔やんだ。もっと頑張ろうと思えた。
石田さんは、まったく自覚なしにわたしに色んなものをくれている。
テストでついた高い点数のように、わたしの記憶にも、何か意味があるといい。今は素直にそう思える。

「それでね!夏休みもよかったら一緒に‥うちのおばあちゃんち、泊りにいかない?」

恐る恐るというように、石田さんはそう言って。期待と不安を孕んだその目を見たときに、わたしは一も二もなく頷いていた。