31
東海道本線を乗り継いで、東京駅に向かう。そこで新幹線のチケットを買った。
あさまに乗り込むと、乗り換え無しの一本で上田まで行ける。
東京駅ではおやつや飲み物の類も買い込んで、中学生の女子二人旅。

長野県上田市。石田さんは母方の祖母のところには、毎年夏には泊りがけで遊びに行っているそうで、一緒に行こうと誘ってもらった。例年家族も一緒に行くらしいのだが、今年は友達と行きたいのだと石田さんが我儘を通したと笑っていた。
そこにはジブリの映画のように夏野菜の農園があるらしい。毎年茹でトウモロコシやもぎたてのトマトを食べていると聞いて、贅沢だねと言って楽しみになった。

勿論彼女の場合友人との外泊は毎日家族に電話をしたり写真を送ったりする条件付きではあるのだが、家族以外と旅行に行ったことがないという石田さんははしゃいでいてとても可愛かった。
わたしも、今の人生で誰かと旅行するのは初めてだった。どこかに泊まれるのも。

どんどん懐かしい景色に近づいて行く。心がくしゃくしゃと複雑な形に歪んだ。
夏の入道雲を見ながらペットボトルの緑茶を飲んで、苦く笑う。
あっという間に変化する東京や神奈川の景色とは違って、田舎の景色は、なかなか変わることがない。

上田駅からは別所線に乗り換えて、ICカードが使えない区間になった。
閑散とした列車。田園風景。木で出来た待合室。
石田さんのおばあちゃんは、最寄りの寺下駅まで車で迎えに来てくれるのだという。

「なつかしい」
「え、なつかしい?長野、来たことあるの?」
「まあ、そうだね」

車窓からの景色にぽつりと漏れた独り言に石田さんが首を傾げる。

来たことがあるんじゃない。住んでいた。

前の人生で、わたしは高校生まで長野の篠ノ井というところに住んでいた。
この世界にはわたしの実家がないことは、小学生の頃には確認していた。あったとしても、もし家族がいてわたしを覚えていなかったら、そのほうが辛かっただろうと思う。知り合いが誰一人としてこの世界にいないのは、一周回って考えるといいことなのかもしれない。

毎年のように善光寺まで行っても、本当は何を祈っているでもない。どうしようもないことを受け入れられない自分を、未だに受け入れられないだけ。

美ヶ原から見える北アルプスの綺麗な景色も、冬の美しい星が瞬く夜空も、高校からの帰り道も。千曲のあたたかい温泉も、諏訪湖周りを友達とドライブしたことも。
シャツと撮った大沼池の幻想的な風景も、本当は全部、わたしが手放して忘れるべきなのかもしれない。