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苗字から貰った招待券を片手に、生涯学習センターに向かった。
外のあまりの暑さにシャツの襟元をパタパタと揺らすが、あまり効果はないように感じる。ようは気分の問題だ。

地域の美術展示会が関東大会と全国大会の間の期間で幸いだった。
そうでなければ、休息日に見に来ることなど出来なかった。
本来は招待券などなくとも入れるらしいのだが、無いと芳名帳に記名を求められるらしく、それが面倒に思ったのでちゃんと招待券を持ってきたのだった。

今日の受付には苗字がいないらしいということは、柳からそれとなく聞いていた。
昨日の部活終わりどき、明日展示会に行っても苗字はいないぞ、と彼から話しかけられた時には心臓がひやっとしたものだ。なぜわかっているのかなどということは、聞くまでもないのだろう。

受付の女子には目を合わせただけで顔を真っ赤にされ、苦笑しながらクーラーの効いた会場に入っていく。
この顔はそんなにいいのだろうか。小学生の頃まではそこまで騒がれていなかった気がするのだが、よくわからない。
地区の合同展示会ということもあり、ぐるりと見渡すと中は結構広い。知らない私立中の名前などを見かけつつ、順路に従って絵を見ていく。
個性的で面白い絵もある中、やはりそこまで心は揺らがない。

美術室でなんどか見かけた3年生の絵のエリアにようやく来て、立海の美術部はすごくレベルが高いわけではないのだなと失礼なことを思ったりした。
そこから数歩、苗字の絵がぽつんと飾られている。
大きなキャンパスではない。こうしていろんな絵の中にあると、彼女の絵は技術的には普通にうまいと思う。
しかし飛び抜けてうまいとか、目立つとか、そういうわけではないようだった。存在感があまりないのだ。単体でみたらとても綺麗なのに。
やはり絵は、ひとの内面を映す鏡のようなものなのだと思う。

最初に見た彼女の植物の絵は図鑑のように精巧で、静かだった。ああいった模写のほうがまだ目立てるかもしれない。

完成品になったその暗く重苦しい絵は、過程で見たときよりも、より深く静かに溺れているように見えた。
目の前に立って、じ、とよくよく観察する。一枚の、動かない絵。陰鬱そうにも見える。
深い青と黒とオレンジとが視界の中でぐるぐると混ざり合って、心が煮え立ったように揺れた。

例えば、道でコーヒー片手に歩いている人をさりげなくおしゃれだと思ったり、飲食店に入った時にかかっている洋楽を気に入ったりする瞬間。そういったときに心が少し揺れるのと同じように、気に入ったものを見つけたときに人は大きく心が揺れるのだろう。
ルノワールやモネの絵を見たときも、絵画たちが美しくて今までになく心が揺れたことを思い出す。

その時ほどではないものの、俺は確かに、この絵を気に入っている。

苗字に感想を伝えたくなったものの、彼女の連絡先など知らない自分にまた苦笑した。
展示会に誘ってくれたのだから、自分も彼女を大会に誘えばよかった。苗字はテニスに興味はなさそうだが、誘うだけ誘ってみてもよかったかもしれない。
お陰で感想は新学期まで持ち越しだ。