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シャツのような人になりたいと、今でもずっと願い続けている。彼は恐らく永遠にわたしにとっての勇気であり、光であることに変わりはないのだろう。
ごく、と唾を飲み込んで、目の前の少しおなかの張った女性に話しかける。彼女の鞄についたピンク色のレリーフが揺れていた。
「あの。席変わりましょうか」
彼女は一瞬驚いて、そのあとありがとう、と優しげなほほえみを見せた。
わたしもほっと安堵して、席を立つ。入れ替わるように彼女はそこに座った。
シャツはこういった親切をそつなく、押しつけがましくもなくこなせる人だった。
わたしは彼に大いに救われたのに、シャツ本人にその意識は全くなかった。「ええ、そうなの?」と笑うばかりで。
道に転がってきたサッカーボールを躊躇なく投げ返したり、自転車で転んだ少女をまっさきに助け起こしに行く。
打算的なばかりではなく、ひとに怯えるばかりでもなくて。シャツのように、もっと人にやさしくなりたい。誰かを優しく救える人に。
バスに揺られて行く先は、有明テニスの森だった。
ネットで調べればすぐに出てくる中学テニス全国大会の情報。
来年の今頃同じ路線のバスに乗って、四天宝寺の遠山は寝過ごしてしまうのだ。そう思うと不思議な感慨があった。
わたしは今、紙面上にあったあの世界のかけらに触れている。
カードをタッチしてバスのタラップを駆け下りると、スニーカーを履いていてかつ何もないコンクリートの上なのに一瞬転びそうになった。スムーズに席を譲ることができて浮かれていたのだろうか。きたる衝撃に備える。
しかしそれは来なかった。
ぐい、と肘を誰かに持ち上げられて、体勢を立て直される。細い腕なのに、わたしを持ち上げる手つきは子猫を持つように軽やかだった。
「あぶないよ。気を付けて」
柔らかな女性っぽい声質だ。ぞわ、と耳の裏側が泡立ったような感覚がした。
見上げるとそこには、細い目をした眉目秀麗な男がいる。全体的に線が細いのに、存在感がある。
不二周助だった。
「不二、いくぞ」
「ああ、うん。転ぶとカメラにも傷がついちゃうよ」
くす、と柔らかな顔が冗談めかしたようにさらに柔く笑む。不二を呼んだのは手塚、その隣には大石までいる。全国大会の視察には乾もいたほうがいい気がするのだが、彼は別ルートから来るのだろうか。もしかしたら、すでに会場にいるのかもしれない。
三人はこちらに背を向けて颯爽と歩いていく。中学生の割に、すでに背が高い。息を吸うのも忘れながら見送った。
彼らに積極的に関わる気はないのだが、わたしも普通にあの漫画のファンだったのだから、青学のレギュラーメンバーを見てしまったことは心穏やかでいられない出来事だった。
たっぷり数分そこで佇んで、ようやくぎこちなく歩き出す。
テニスの大会は初めて見に来た。
来年、物語の軸になる全国大会は見に来る気になるだろうか。来年のことまではよくわからない。面白かったらまた見に来よう。そう思えた。
人の写真は絶対に撮りたくない。撮らないと決めていた。
勿論前の人生では、人の写真も撮っていた。シャツや友人のことを撮った写真もたくさんあった。
写真を撮るとそのひとの一部分が、そこに宿る気がする。でもそれも、今となってはすべて失われてしまった。アルバムを見返すことなど出来ない。アルバムなんてどこにもないからだ。
それは今でも悲しくてつらくて、人の写真を撮ることにずっと躊躇いがあったのだ。写真ごと彼らの全てを失ってしまったと、そう思っていたから。
夏休みの長野の写真を見返しながら、人を撮ればよかったと思った。楽しそうだった美織と彼女の祖父母の笑顔がないことが虚しかった。
この世界での思い出は希薄で。わたしの対人関係が極めて希薄なことが大きな要因と言える。
この世界で初めて人を撮るなら、彼らがいいなと思ったのだ。
前の人生からずっと画面越しに見てきた、立海の彼らが。