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夏の終わりのぬるい風を感じる。放課後の開かれた美術室の窓から、校庭を見下ろした。

これから帰宅すると思われる美織がそこにいた。グラウンドと花壇の間を歩いている、さらさらの黒い髪。
最近、あの子達といるのをよく見る。三人くらいの女子グループだ。派手そうでも地味そうでもない、スクールカーストの中では中位くらいのグループになるんだろうか。

「実は、何度か石田さんと話して、友達になったんだ」

そっと肩に手を置いてきたのは夏美だった。聞き慣れた声にそっと目を閉じる。
新学期前、夏美に美織と話してみたらと勧めたことがあった。
あのときは、わたしもまだ美織と友達だった。
かつてないほど心が痛い。思わず俯いた。わたしはまた、大切な友人を失ってしまった。

「石田さん、元気にやってるみたいだよ。クラスにも馴染んできたって、言ってた」
「そう‥」
「授業にもついていけてるって。よかったじゃん。気にしてたでしょ」

美織はわたしのことなど忘れている。
それでもわたしは、彼女を気にせずにはいられなかった。
わざと彼女の教室の近くを通ったり、美織の姿を探して元気にやっているか、また悲しいことには遭っていないか確認せずにはいられなかった。

「大丈夫だよ。それに、石田さんなんか、変な感じがするんだって」
「へん、‥って?」
口から漏れたのは掠れた小さな疑問符。
「んー、夏休みが終わるまでに、自分がなんか変わった気がするんだって。だから少し自信持てるんだって。だから平気だって」

ぱっと顔を上げると、そんなことを聞き出してきたらしい夏美は嬉しそうに笑う。
わたしは思わず、涙腺が潤んできていた。
美織は、無意識下のうちでわたしを消さないでいてくれたのかもしれない。

「ねえ、今まですごい不思議だった。名前のこと、みんな忘れちゃう。ずっと覚えてるのはあたしだけで‥。
幽霊かもって、不気味だって思うこともあるし、今でも疑ってないこともないんだけど‥あたしは名前とは普通に友達だと思ってる」
「‥‥うん、うん‥ありがとう‥いつも感謝してる‥なっちゃん‥」

夏美が時にわたしを怖がりながらも、そばに居続けてくれたのは分かっている。ぼろぼろと涙が溢れて止まらない。彼女よりもずっと歳上なのに、優しい言葉で泣くなんてカッコ悪いのに。心までもが14歳の器の体に引きずられていくようだ。

「あの子も名前のこと忘れちゃったけど‥でも、石田さんてずっと教室行ってなかったんでしょ。仲良くしてたの、名前だけなんでしょ?
自信がついたっていうのは‥名前のお陰なんじゃないの?よく、わかんないけどさ‥。ちゃんと多分、どっかで覚えてるんだよ‥忘れちゃっても。
なんでかは、わかんないけど‥だから、名前は生きてるよ。幽霊じゃないよ‥きっとね」

自分にもそう言い聞かせるように、夏美はそう言葉を締める。
わたしの、お陰なんだろうか。美織が今クラスで頑張れているのは。

そう思ったときに、わたしの体はきちんと輪郭を帯びた気がした。指をみる。ちゃんと形がある。大丈夫。

わたしは、生きてるんだろうか。

友達に忘れられてしまっても、ちゃんと彼女たちに影響を与えることが、出来ているのだとしたら。

わたしはまだ、生きている。
誰かの記憶からなくなっても、どうしてこの世界に生まれたのか。わたしは見つけ続けたい。自分で納得できるまで、やさしいひとになりたい。前世の影を踏みしめながら、シャツの影を踏みながら、あなたの影を追い続けながら、わたしは明日も生きるのだ。