18
跡部はどうしてあれほど輝いているのだろう。
どうしてそれほど堂々といられるのだろう。
本当は、彼はわたしよりだいぶ歳下なのに。

跡部のようにとまでは言わない。でも、ほんの少しでいいから、彼のように堂々と生きていたい。できるだろうか、そんなことが。彼も、今のわたしの憧れになった。

暗い影から逃れたかった。この世の誰も知らないわりに消せないわたしだけの記憶は時に救いの光であり、ときに澱そのものだった。前世の自分の影であり、あれほど憧れたシャツの幻影でもあった。
逃れられないというのは痛いほどよく分かっている。わたしはわたしにしかなれないのだ。ここで生きる意味は、わたしが見つける他ない。

わたしはこの世界で、シャツのように優しく、誰かを助けることのできる誰かになりたかった。
名もない誰かでも構わなかった。誰の記憶にも残らない、そんな誰かでも。

跡部からもらった氷帝のジャージを小さく丸めた後に、お守りのようにそれを抱きしめるようにして、布団の中で自分の体も丸まって、思考の渦に沈んでゆく。前世の記憶と今の記憶の濁流の中で揉まれる。
跡部はきっとすぐに、わたしを忘れてしまうだろう。もう既に忘れてさえいるのかもしれない。
しかしわたしは忘れないだろう。跡部の笑ってな、と言った顔を。颯爽と去っていく背中を。

この世界にだって、憧れる人たちはいるのだ。わたしだって、少しでも彼らのようになれたなら。
そのとき初めて、前世の影から逃れられる気がした。


家庭科の授業で作ったカップケーキを渡したあの日、彼女は喜んでくれた。そしてまた保健室を訪れる約束をした。
わたしにできること。彼女と共有できそうなことがある。
他の人よりきっと少しだけ、彼女の痛みに寄り添うことが出来る。

彼女と会話するのももう数回目になる。
深呼吸しながら、シャツのことを思い出す。彼はいつでも、わたしに勇気をくれる。きっと彼ならこうするだろうと思いながら行動する。
保健室のドアを開ける。どこの世界でも保健室は似た雰囲気だ。
安っぽい白のシーツ。目隠しとしてポールから下がる薄黄色のカーテン。

「石田さん」

ぱ、と俯きがちな彼女の顔があがって、すこしだけ緩んだ、咲く前の小さな柔らかい蕾のような微笑みを見せた。
彼女はこの学校のことはあまり知りたがらない。それは過去に受けた痛みのこともあるだろう。
最近見た動画のこと、道で見た面白いこと。わたしの世界も広くないもののそこで見た小さな出来事について話す。そのたびに彼女の顔はまたすこし綻んだ。
そして、す、と息を吸い込んだ。心臓が忙しなく血を流す。

「わたしと友達になってほしい。石田さんともっと仲良くなりたい」

その一言を紡ぐのは酷く勇気が要った。じくじくと、過去の暗い影がまた忍び寄る。
そのときまた思い出したのは、シャツの優しい笑顔だった。目元に笑い皺のできたあの顔。彼がわたしに声をかけてくれたとき、どんな気分だっただろう。少なくとも今のわたしのような気分ではなかっただろう。それでも、わたしは今できることをやりたいのだ。

石田さんの顔は驚いたように、瞳がぐらぐらと揺れた。少しだけ恐怖の色が見えた。
しかし、それでも彼女は、うん、とか細く返事をしてくれた。