遠くなる二人の距離
『うーん、ちょっと伸びてきたけどまだかなぁ。』
ある日の夜、私は部屋でパソコンとにらめっこをしながらチケットの売れ行きを確認していた。テレビの効果もあってチケットも売れてきたが、千秋楽がまだ売り切れていない。私達は千秋楽まで満席にする必要がある。どうしたものか…、
むむむ、と考え込んでいると誰かがドアをノックした。
『はーい。』
「俺。」
『真澄君…?入っていいよ。』
「ん、」
少し遠慮気味にドアを開ける真澄君。こんな時間に一体どうしたのだろうか。
『どうしたの?こんな時間に…。』
「……最近の俺、どう?」
『えと、すごく成長したなぁって。』
「本当に?」
『うん、それに雄三さんが褒めてたってお姉ちゃんから聞いたよ?すごいね。』
「あんなオッサンどうでもいい。俺は、かえでのためにやってるのに。」
『私のため……?』
「そう。かえでに褒めてもらうため、かえでに喜んでもらうためにやってる。」
『そんなの…っ、』
ダメだよ。真澄君が心から演劇を好きになってくれないと意味ない。私なんかのためじゃなくて、自分のために演じてほしい。
「それじゃダメなの…?」
『…っ、』
私がとやかく言うことじゃない。人が演劇をする理由はそれぞれだ。戸惑う真澄君に何も言えなかった。
「もう、いい…。」
『っ、真澄君…!!』
彼は私から目を逸らして部屋を出て行ってしまった。去り際の傷ついた表情が頭から離れない。私は彼を傷つけてしまったんだ。
『明日…謝らなきゃ…、』
真澄君を傷つけてしまったことを謝りたいし、伝えていないこともちゃんと伝えたい。しかし謝るきっかけを真澄君は与えてくれなかった。次の日の朝練も私の顔を見た瞬間学校へ行ってしまったし、真澄君が学校から帰ってきた後も目すら合わせてくれない。
『真澄君、お願い、こっち向いて。』
「…。」
『真澄君…、』
このままじゃダメなのはわかってる。公演も近いし、本番にも影響が出てしまう。だけどこういう時に人と仲直りする方法がわからないんだ。
「あ!そうだ!」
『綴君…?』
「そういえば、夕飯の材料が足りないんだった!かえでさん卵買ってきてもらえます?」
『卵…なかったっけ?』
「足りないんで!ほら、真澄も荷物持ちしてこい!」
「…、」
あ、綴君は気を利かせてくれたんだ。ちゃんと仲直りしてこなきゃ。私と真澄君は卵を買いに二人で出かけに行った。
「…。」
真澄君は相変わらず何も話さない。それに目も合わなかった。久しぶりだな、前にもこんなことがあった。それは真澄君じゃなくて、もっと別の人だけど。でももう諦めたくない。ちゃんと歩み寄りたい。
『真澄君、昨日のことなんだけど、』
「あれ!?真澄君じゃない!?やば、こんなところで見られるなんて、ラッキー!」
「真澄君、握手して!」
『!?』
「…ジャマ。」
「公演頑張ってね!応援してるから!」
「友達誘って観に行くよ!」
派手な化粧に、ゆるく巻かれた茶色い髪。ジャラジャラとカバンについたストラップはとても印象的で目がチカチカした。真澄君を囲んだのは高校生の女の子達。きっと真澄君のファンなのだろう。少しだけ頬を染めるその姿は恋する女の子そのものだった。
「つーか、あんた誰?」
『!!…わ、私は…、』
「え?何?聞こえないんだけど?」
「まさか真澄君に付きまとってるストーカー?」
『ちがっ、』
悪意のある視線。嫌でも思い出してしまう。あの頃の自分を。
「真澄君はみんなのものなんだから。」
「あんたは引っ込んでてよ。邪魔。」
『きゃっ、』
ドンと押される身体。思ったより強い力でそのまま尻餅をついてしまった。見下されたその視線の奥で殺気で溢れた視線が女の子を捉えていた。
「お前らーー、」
『真澄君!ダメっ!』
手を振り上げた真澄君を見て慌てて立ち上がる。女の子の前に立ちはだかるとパンッとした音と共に熱い痛みが襲う。
「ごめん、俺、叩くつもりなんて、」
『大丈夫だよ真澄君。』
「あの、なんか、私たち、変なこと言った?」
『私、真澄君が所属する劇団の副監督です。今回の公演は真澄君のかっこいい以外の、違う良さを沢山観ることができるから楽しみにしててくださいね。』
「あ、はい。」
「なんかごめんなさい。」
「行こう。」
き、緊張した。もう少し人との関わり方を考えないとなぁ。真澄君と仲直りしようと思ったのに益々雰囲気が悪くなってしまった。このまま二人でいても解決しない。
『真澄君、寮に帰ろっか。』
俯いたまま頷く真澄君は少しだけ私の後ろを歩いた。その距離が寂しいなんて、今の私には言えなかった。