ホラーよりも怖い話
昔から運だけは良かった。商店街のくじでは一等しか当たらず、学校では席替えで一番後ろの席以外になったことはない。午後台風が直撃する日に傘を忘れた時には何故かこの町だけ晴れた。何か落としても必ず無事に返ってくるし、出掛け先はいつも空いていて長時間何かに並んだことはない。これを運が良いと言わず何というだろうか。
『おじさん、おばさん。掃除機壊れたって言ってたからこれ貰ってきた。』
「またくじ引いたの?自分のために運は使いなさいって何度言ったらわかるの?」
「そうだぞ花莉。気を遣わなくていいんだから。」
『うん、でも、私がそうしたかったからいいの。』
「もうっ、なんていい子なのかしら!」
「俺たちの娘なんだから当たり前だろう。花莉は世界一可愛いしな。」
『大袈裟だよ。今日のご飯なぁに?』
「今日は麻婆豆腐よ!手を洗ってらっしゃい!」
『はーい。』
普通の親子のような会話だけれど、私はこの二人と親子の関係ではない。でも、本当の親のように思っている。私がまだ物心つかない頃に両親は死んでしまったらしい。そこで引き取ってくれたのがおじさんとおばさんだった。とても遠い親戚みたいだが、こうして大切に育ててもらっている。本当の両親のことは気にならないと言ったら嘘になるが、今こうやって育ててくれてるおばさんやおじさんには聞けなかった。今後も私はこの二人の娘として生きていくのだから、必要ないんだ。本当の両親は薄情だと責めるのだろうか。
『ん?メールが来てる。』
携帯が光っていることに気付き、画面を開くとメールが1通来ていた。受信ボックスを開くと、幼馴染からのメールだった。
「[今日、可愛い猫がいたんだ。擦り寄ってきて可愛かった。]」
そんな文章と一緒に可愛らしい猫の写真も添付されていた。猫も可愛いが、こうやってメールを送ってくる幼馴染に思わず笑みが零れる。ほら、私は幸せだ。大事な家族も幼馴染もいる。これ以上の幸せはないんだ。これからも穏やかに暮らしていたい。そう願った。
***
『はぁ、夏休みでもこんなにコキ使われるなんて思ってなかった…、』
喫茶店でため息と共にボソリと呟いた。誰が想像していただろうか。ほぼ毎日学校に通い、風紀委員の仕事をすることを。いい加減委員長の顔も見飽きてしまった。アイスカフェラテを飲み終わり、荷物を持ってレジへと向かう。すでにレジには先客がいたが、どうも様子がおかしかった。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。確かここに入れたはずなんだが…、」
外国人だろうか。金髪がやけに目立っている。よく見たら腕に刺青もしている。関わらないが吉だな、そう判断した。
「け、携帯もねぇ…。くそ、ロマーリオに連絡も出来ねぇじゃねぇか。」
金髪のお兄さんはものすごく焦ってるし、店員さんも私の後ろに並んでいるお客さんもだんだん苛立っているのがわかった。
『この会計も一緒にお願いします。』
悪いことをしているわけではない。むしろ彼を助けたのだからきっと変に絡まれないだろう。店を出たら早く家に帰ってしまえばいい。
会計を済ませ、私は素早く店の外へ出た。すると案の定金髪のお兄さんが後から追いかけてくる。
「ちょっと待ってくれ!ありがとな、助かったぜ。」
『いえいえ。失礼します。』
「待てって!」
そそくさと逃げようとしたらお兄さんに腕を掴まれ、心臓がひやりとした。ああ、やはり関わるんじゃなかったと後悔する。
『ひっ、こ、これ以上お金は貸せませんよ!暴力も反対です!』
「ぷっ、あははっ!暴力なんてしねーよ。悪かった、怖かったか?」
『少し…、』
まるで子どものように無邪気に笑うものだから驚いた。思ったより怖い人じゃないのかもしれない。なんだか勘違いして逃げようとしていたのが申し訳なくなった。
「俺はディーノ。ちょっと用事で日本に来たんだ。」
『どこの国の方ですか?』
「イタリアだぜ。」
確かリボーン君もイタリアから来たって言っていたような。知り合いだったりするのだろうか。そんなことを考えているのと彼はジッと私を見ていることに気付いた。それはもう頭からつま先まで。
『な、なんですか?』
「いや、お前何処かで見たことあるような…ないような…、」
『どっちですか。』
というか私が彼に会っていたら、忘れるはずがない。こんなに顔が整っていれば嫌でも頭に残るだろう。私は記憶にないのだから会ったことはない。他人の空似だろう。
「ん〜〜〜思い出せねぇ!」
『あ、の、近い!近いです!』
整った顔は委員長で見慣れているはずなのに、違うタイプの整い方の彼に顔を近づけられれば自然と顔に熱が集中する。思わず顔を背ければ、顎を持たれて無理矢理彼の方に向かされた。
「なんだ?」
『っ、』
にやにやと笑う彼に揶揄われているのだと気づいた。さすがイタリアの男、と言ったらイタリアの方に失礼なのだろうか。だが、彼は手慣れている方なのだろう。さっきレジ前で慌てていた彼はどこへいったのやら。
「ボス、何ナンパしてんだこんなところで。」
「げっ、ロマーリオ!」
ディーノさんは私から手を離し、両手を上に上げる。助かった、とホッと胸を撫で下ろした。ディーノさんの後ろにはいつのまにかスーツの眼鏡の男の人が立っていた。
「可愛い子だが、手を出すなら義理を通せよ。」
「わぁーってるよ!揶揄ってわるかった。そういやお前名前は?」
『山田…花子です…。』
この人に本名を教えてもいいのだろうかと迷った結果、全然違う名前を答えた。だって悪用されたら怖い。
「ほんとか?」
「嘘だろ。」
『星影…花莉です。」
「花莉か!よろしくな!今度イタリア来いよ。案内してやるぜ。」
『いえ、遠慮しておきます。』
「ハハハ、振られたなボス。」
「うるせーぞロマーリオ!…ったく、花莉。別に誰にでも言ってるわけじゃないからな。」
『あはは。』
「信じてねぇな!っと、そうだロマーリオあれ持ってるか?財布無くして立て替えてもらったんだ。」
「ああ、こいつか?」
「さんきゅ。」
ディーノさんはロマーリオさんに何かメモのようなものを受け取り、そこに何か書いて私に渡してきた。思わず受け取ってしまったが、これは何なのだろうか。そう思い見ようと思った矢先、彼に手を引っ張られ、手の甲に柔らかな何かを押し付けられる。
「またな、花莉。」
ウィンクをして立ち去るディーノさん。そしてその後をロマーリオさんが付いていった。しばらく何が起こったのか分からず動かないでいたが、頭がやっと先程の出来事を理解し、全身が熱を帯びた。
『どこの王子様なの…、』
そんなことをぼやきながら受け取ったメモを見ると、まるで小切手のような形式のメモだった。そこには馬鹿みたいに高い金額が書いてあって思わずそのメモを握りつぶした。そしてあることを思い出す。
「ボス、何ナンパしてんだこんなところで。」
「ハハハ、振られたなボス。」
『…っ、』
まさかね、と思いつつもサァ…と体温が下がっていくのを感じた。私は急いで家に帰り、握りつぶしてぐちゃぐちゃになった小切手を机の奥底にしまいこんだ。ホラーよりも怖い夏の体験だった。
「また会いてぇな、花莉。」
柔らかな白い肌の感触が忘れられず、ディーノは少しだけ唇に触れ、彼女に思いを馳せていたのだった。