彼には敵わない

彼に目をつけられたのは、進級してすぐのことだった。風紀委員会の抜き打ち検査に今まで引っかかったことはない。ある程度しっかり制服も着ているし、髪も染めてはいない。もちろん化粧も。どこにでもいる"普通の中学生"だ。ただ一つを除けば。

だけど、この小細工は委員長に通じなかった。ある日、廊下を歩いていた私の数m先から委員長は歩いてきた。実際彼を間近で見たことはないし、これから見る予定もないはずだった。ただ、ほんの少しの好奇心で、私は彼の整った顔を見てみたくなってしまったのだ。すれ違う直前に少しだけ顔を上げて、委員長の顔を見た。それが生まれて15年間の最大の過ち。一体誰が目が合うと思っていただろうか。まさかこちらを見ていたなんて。もちろんすぐ視線を下げ、その場を通り過ぎようとした。が、それは叶わなかった。

「待ちなよ。」

『っ、』

「それは校則違反だ。」

『な、何のことですか?』

「ワオ。惚けるつもり?その目、本来の色じゃないよね。」

欺けるはずがなかった。そのくだらない好奇心から、私は自分の首を絞めてしまったことに気づく。

委員長の言っていることは勿論正解だ。黒色のカラーコンタクトをしているし、今後もこれを外して学校に行くつもりは毛頭ない。どうにかしてこの委員長を納得させる他ないのだ。そうすれば私のやることは自ずと決まってくる。勢いよく膝を地につき、滑らかに頭を垂れ、額を地に擦った所謂土下座というものだ。

「なんのつもり?」

『見逃してください!!』

「やだ。」

『無情な!!お願いします!!これ外したらいじめられちゃう!!』

「知らないよ。」

『う…っ、うぅ…っ、楽しい学校生活も今日で最後かぁ…、』

このカラコンを外さないためだったらプライドなど捨ててやる。土下座だって嘘泣きだっていくらでもできる、という勢いだった。我ながらよくあそこまでやったと思う。

「理由を言ってみてよ。理由次第で考えてあげなくもない。」

『えっ、ええと、実はこのコンタクトを外すと右手が疼き始めて…!』

「今すぐ咬み殺そう。」

『冗談ですごめんなさい!!』

トンファーを構えられた時は本当に咬み殺されるかと思った。つい出来心で冗談を言うんじゃなかったと後悔した。

「言うの、言わないの。」

『言いますけど、あの、黙っててくれますか。』

「別に興味ないよ。考えてあげるかの判断材料にしかならないんだから。」

きっと本当に興味はないのだろう。そもそも彼は人といることを極端に嫌う。そんな人が誰かに言う姿をまず想像できない。この人なら大丈夫だろうと変な安心感すら感じてしまっていた。私は腹をくくり、右目のカラコンを外した。

『この色が、嫌いで、付けてます。』

黒から瑠璃色へ。この色が小さい頃から嫌いだった。皆とは違うこの瞳の色が。早く隠してしまいたかったんだ。早く皆と同じになりたかった。くだらないと彼は嗤うのだろうか。

「…いいよ、許可しよう。」

『えっ、本当ですか!』

「そのかわり、君は今日から風紀委員会に入ってもらう。」

『はい?』

「二度も言わない。放課後応接室に来て。いいね。」

『え、ちょ、待っ…、』


こうして私は紅一点、風紀委員会の仲間入りとなった。今思えば、諦めてカラコンを外してしまった方が良かったのでは?と思ってしまう。

「考えごとかい花莉。」

『ひっ、』

首元にヒヤリとした感覚。まるでナイフを添えられてるようだった。実際にはトンファーなのだが。

『委員長とのハートフルな出会いを思い出して感傷に浸っていました。』

「ああ、君が土下座した日ね。」

『その覚え方やめてくれませんか!?っていうかトンファーしまってください!』

「僕に指図するなんて随分偉くなったね。」

『アハ、アハハ…しまってくださると嬉しいです。』

にっこり笑ってそういえば彼はつまらなさそうにトンファーをしまった。風紀委員会に入って何度彼に咬み殺されそうになったことか。これじゃ命がいくつあっても足りない。

『ん?委員長また誰か咬み殺してきましたね!?顔に血が付いてますけど!』

「後処理は草壁に任せたよ。」

『そういう問題じゃないですから。』

委員長の頬につく返り血をハンカチで吹く。困った委員長様だ。もう少し穏便に済ませないのかと常々思う。

『はい、取れましたよ。』

頬の血を拭き終わり、ハンカチをしまおうとすると彼に手を掴まれた。突然のことに思わずギョッとする。

「君はその色を嫌いだと言ったけど、」

私の手を掴む力が少しだけ増す。窓から入る風がさらりと彼の髪を揺らした。

「僕は嫌いじゃないよ。」

これだから彼には敵わないのだ。