観音坂独歩


※夢主が同性愛者となっております。



いつもの調子で階段を上り、立ち入り禁止の札が掛かっているロープを無視して屋上に出る扉を開けた。
冷たい空気が肌を刺してきて思わず身震いしてしまう。そしてこんな寒い場所で1人の女子が柵に身体を預け運動場の方へと視線を送っていた。ドアの音にも気づかずじっと一点を見つめる姿に躊躇い、帰ろうかと思ってしまったがそうすればここに来た意味がなくなってしまう。


「名前」
「ぎゃぁっ!な、何だ、独歩君か…!」
「ははっ変な声だな」
「そりゃ突然声掛けられたら誰でもびっくりするよ」


驚きから笑顔へと表情を変える名前に心臓の鼓動が一段と大きくなった。そんな俺の気も知らず此方へ手招きする彼女に、小走りで向かってやった。
隣に来ると「今日は寒いね」と苦笑する名前の体は僅かに震えており、ここで自分の上着を掛けてあげるだけの勇気があれば良かったのだけどあまりの恥ずかしさに出来ず、代わりに上着のポケットに入れていたホッカイロを渡した。


「ありがとう! すごくあったかいよ」


…まぁ、喜んでるみたいだし良しとするか。
俺から貰ったカイロを包む手は小さく白い。名前は何処にでもいる普通の女の子だ。明るく人見知りをしない性格の為クラスの皆も彼女を慕っていし、現にこんな俺に対しても優しくしてくれる。……優しくしてくれるのは、きっと彼女の秘密を俺だけが知っている事も含まれているから。その秘密というのは、今まさに彼女が熱い視線を送っている相手の事だ。


「見てみて、あの子1位だったよ」


目線を変えないまま俺に声を掛ける姿に一瞬胸が締め付けられた、が気にしないふりをして俺も同じ方へ目を向ける。そこには陸上部の人達がいて、今は部員同士で競争しているようだった。


「すごく嬉しそう…良かった」
「お前こんな遠くからよく見えるな」
「視力めっちゃ良いからね」


ドヤ顔する名前に「はいはい」と軽く受け流す。表情まではわからないが外見くらいはぎりぎり分かる。
長い髪を一つに束ねた、隣のクラスの女子。
その子こそ名前が想いを寄せている相手だ。教室が隣だから時々すれ違ったりするが身長は少し低めの可愛らしい子だ。小動物みたいで可愛いが陸上をしている時の真剣な表情が良い、と名前は言っていた。


「本当、目が良くて助かったよ」
「…そうだな」


そうしてまたその子を見つめる名前の横顔を俺は気づかれないよう、ひっそりと盗み見ていた。
名前の秘密を知ったのは偶然生徒手帳を拾ったからだ。中に隣のクラスの女子の写真が入っていて、しかも目線が此方を向いてないものだったので思わず固まってしまいそれを見つけた名前の悲痛な叫びは頭でも鮮明に覚えている。
それから同性愛者である事、それを知っているのは俺だけだと言う事を教えてくれた。
その時名前の肩は微かに震えていて、勇気を振り絞って話してくれているのだと実感した。同性愛者に対して考えた事は無いし、人それぞれ愛の形があるからそれをとやかく言う権利もない。それを素直に伝えると名前は泣きそうな目で「良かった」と力無く笑った。

それからというもの名前は時々相談してきたり、更には自分だけの秘密の場所だった屋上にも連れてきてくれた。女子と話すなんて小学校以来だった為最初こそ戸惑ったけれど段々と冗談も言えるようになり、気づけば毎日名前のいる屋上へと自らの意思で来るようになった。
想い人である陸上部の女子の姿を見つめ、部活が終われば自分も帰る名前。
そんな彼女に気づかれない様隣へ視線を送り、共に帰る俺。

どれだけ俺に笑顔を見せてくれても甘い視線を送るのはあの子にだけだし、頬を赤らめるのもあの子にだけ。
名前の可愛い姿は全てあの子が関与しているからで、俺が引き出してる訳じゃ無い。
もうわかりきっている事なのにそれでも心が引き裂かれそうで痛んでしまうのは少しでも希望を感じているからなのか。でも絶対にこの距離が埋まる事はないし俺の望む仲にはなれない。それでもここへ来てしまうのは、やっぱり名前の事が好きだから。


「あ、また笑った。…可愛い」
「……お前がな」
「? 今なんか言った?」
「いいや、何も」


今日も今日とて、想い人を見つめる名前を俺は見つめていた。痛む胸を無視して可愛い姿を、ただひたすら目に焼き付けていた。



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