*ザレイズ最終章ネタバレ
鏡映点がティル・ナ・ノーグから元の世界に帰る術はなく、仮に戻ることが出来ても具現化された存在である鏡映点は命を落とすことになる。何らかの奇跡で命を落とすことがなかったとしてもティル・ナ・ノーグで過ごした記憶は失うことになるだろう。
死ぬ可能性が高いとしても、それを覚悟の上で元の世界に帰りたいと望む人もいる。ボクだってヒトとレイモーンの民がどのように生きていくのか、教会がどうなっているのか気にならないわけじゃない。向こうの世界には変わらず自分がいてやるべきことを果たしていると分かっていても、今ここにいる自分がその使命から目を背けたくないという人がいることも理解できる。
尤も、どれだけ帰りたいと望んだとしてもボクらに決定権はない。全ては観測者——そう呼ばれる見えない存在の決断次第だった。
「わたしは……死ぬ可能性が高いとしても帰りたいと思っている。元の世界でやるべきことがあるから」
クロシェットもそんな一人だった。彼女は元々ジャンナの教会で僧をしていた女性である。レイモーンの民を迫害する教会の方針には反対していたけれど、教会ほど安定していて稼ぎがいい仕事は他に黒騎士や近衛騎士くらいしかなかったし、クロシェットは戦うこと自体あまり得意ではなかったから渋々教会に身を置いているようだった。
彼女は確かヤスカの出身で、故郷には不治の病を患った弟がいると聞いたことがある。病気の症状を和らげる薬も高額で、貧しい家の生まれである彼女はその薬を買うことも出来なかった、と。
弟が彼女にとって頑張る理由だったことはボクも知っている。ボクにとって兄さんやルビアが大事であるように、彼女にとってその弟が自分の命よりも大切であることも。
クロシェットの弟が具現化されているという話は聞いていない。もしも具現化されていたとしても恐らく鏡映点ではなく、姉のことも知らないだろう。きっとそれは、クロシェットにしてみれば似ているだけの別人だ。
「元の世界も良い思い出ばかりじゃない。両親は亡くなっているし、引き取ってくれた叔母さんはわたしに酷いこともした。向こうにいるわたしが弟を守ってくれていると信じてはいるけれど、わたしは唯一の家族にもう一度会いたい」
でも、と彼女は続ける。
「最初は何が何でも帰りたかったのに、この世界で過ごすうちに死ぬことが——ううん、この世界での記憶を失うことが惜しくなった」
「……クロシェット」
「それはこの世界で君と仲良くなれたからだよ、ルキウス」
アレウーラ大陸で異端審問官と一般の僧が関わる機会など殆どない。レイモーンの民が見つかって、通報を受けたときにその町の司祭や僧から情報収集をするということはあるけれど。
ボクとクロシェットも元の世界ではあまり会話をしたことがなかった。たまに挨拶を交わす程度だ。仲間とすら呼べない関係だっただろう。
教会の方針に反対していたクロシェットは陰ながら兄さんたちを支援していたようだし、敵だったとすら言える。
「ボクはきっと、君のことが好きなのだと思う。君を失ってしまう可能性があることが恐ろしいと感じるほど」
「……ルキウスは優しいね」
「優しくなんか、」
「君には幸せでいてほしいのに、わたしでは多分君を幸せにはできない」
ルキウス、とボクの名前を呼ぶクロシェットの表情は儚げで、思わず息を呑む。
「愛しているよ、ルキウス。わたしがこの世界に残ることになっても、帰ることになっても、この気持ちは変わらない」
ボクたちは見えない壁に阻まれていた。