*ザレイズ時空
元の世界での私は誰からも愛されない子供だった。母は私を産んだときに亡くなったし、父は女遊びが激しい人で物心ついた頃から殆ど家にいなかった。
私は母方の祖母に預けられていたけれど、両親の結婚に反対していた祖母は自分が認めていない男と最愛の娘との間に出来た私のことを孫として受け入れようとはしなかった。正直、それは仕方のないことだろうと思う。私を産んだせいで自分の大事な娘が死んだのだ。父親は子供を作った責任も取らずに遊び呆けているのだから尚更だ。
祖母の家で使用人に近い扱いを受けていた頃の私は子供らしい感情を喪失していた。あれが欲しいだとか、こんな遊びがしたいだとか、そんなことを考える機能すら失って、同じ毎日を繰り返すだけの存在だったと言ってもいい。
その祖母も年齢的な理由から体調を崩しがちになって、私はジャンナの教会へと預けられることになった。祖母からすれば漸く厄介払いできた、というところだろう。私が僧にでもなればもう頼られずに済むし、僧になる才能に恵まれなくてもリカンツ狩りなどに巻き込まれて死ねば二度と関わる必要もない。祖母にとっての私はその程度の子供だった。
——そんな私をたった一人、重用してくださったのがルキウス様だった。
教会に年齢が近い子供が少なかったからか、それともずっとひとりぼっちだった私を憐れんだのか、何となく話をするようになった。あの頃の私は教会で勉学に励む子供で、ルキウス様もまだ異端審問官ではなかった。もしも出会った当初から彼が異端審問官であったならば私は彼の話し相手になんてならなかっただろう。異端審問官は特別な役職で、身分の低い私たちが気軽に話しかけていい相手ではないと教わっていたから。
数年後、異端審問官になったルキウス様は教会で使い潰されていた私を拾い上げて部下として側に置いてくださった。心根の優しい彼は異端審問官の任務に私を巻き込むことをいつも気にしていたけれど、私は人生ではじめて私を必要としてくださったこの方のお役に立てるのならばこれ以上幸福なことはない、と。あの時確かにそう思ったのだ。
◇
目を覚ましたら、別の世界にいた。
元の世界の記憶はカイウスと名乗るリカンツの少年と戦っていたところで、それ以降の記憶はない。あの少年はルキウス様の生き別れた兄なのだという。ルキウス様の家族を私が殺すのか。一瞬そう考えてプリセプツの詠唱が鈍って、その先は覚えていない。
「……クロシェット、」
同じように異世界に具現化されていたルキウス様が私の姿を見てどこか悲しげな顔をする。その表情で——もしかしたら私はカイウスとの戦いの末に死んでしまったのではないか、と気付いてしまった。
「ルキウス様。元の世界での私は……あなたのお役に立てましたでしょうか」
「これ以上ないくらい、助けられたよ」
「…………家族からも求められることがなかった私を、あなただけは必要だと言ってくれたのです。あの時からずっとあなたの助けになりたかった。ですから、あなたにそのように言ってもらえることが何よりも幸せです」
「でもボクが巻き込んでしまったせいで、クロシェットは……」
「それは違います。私は自分の意思であなたの為に戦うと決めたのです。ルキウス様が声をかけてくださらなければ、私は孤独なままでした」
ルキウス様がいなければ今頃は——教会の落ちこぼれ扱いされていたかもしれないし、碌な仕事も与えられないまま雑用係として使い潰されて壊れていたかもしれない。恐らく生きている、と言えるような状況ではない。
目の前にいる彼が私を広い世界へと連れ出してくれた。その結果、命を落とすことになったとしても私は幸福だったと断言できる。
「この世界でも私は、ルキウス様のお役に立てればと思っています」
「ありがとう。でも、ボクはこの世界でまで君を部下にするつもりはないんだ」
「それは、どういうことでしょうか」
「……此処にはもう、教会も異端審問官もないからね。ボクと君の立場は対等の筈だ。だから——」
信頼できる仲間として、或いは友人として。もしかしたらもっと違う関係かもしれないけれど、元の世界では築くことが出来なかった関係を改めて築きたいのだと真っ直ぐに告げる。
今まで考えたことなどなかった。ルキウス様は私にとって、あの日掬い上げてくださった人で……手の届かない星のような方だと思っていたから。
「君が嫌じゃなければ、だけど」
「嫌、なんてこと……。でも、私はこれまで仲間も友人もいなかったので……ルキウス様は私と対等になりたいのですか?」
「対等になりたい、というか……身分や立場の違いが新しい差別を産むこともある。もちろん、身分差や上下関係があったほうがいい場面もあるだろうけど……今のボクと君との間には必要のないものだと思っている」
ルキウス様は時折難しいことを仰る。自らの生まれ持った境遇ゆえのものなのか、異端審問官としての経験から来るものなのか私には知る術もないけれど。
私にルキウス様の部下となる以外の生き方はなかった。だから別の関係を想像することさえ出来ない。それでも。
「あなたがそれを望むのなら、よろしくお願いします」
彼の手を取って、それだけ返す。ぎこちない、私にとっての精一杯。