ライラックが散るまで

 その人は今から十年ほど前に倒れているところを保護されたらしい。
 記憶喪失で身元不明。恐らくはウルトラホールの向こう側——つまり此処とは異なる世界から迷い込んだと思われる。本人が覚えていたのは自分の名前と、ホウエン地方の出身であること、自分がどこかの塔を守っていたらしいこと。その他ほんの僅かなことだけだ。
 不幸中の幸いというべきか彼女は手持ちポケモンたちを連れていて、ポケモンたちはよく育て上げられていた。それこそどこかの地方の四天王やチャンピオンを任されていてもおかしくないほど。きっと元の世界でも相当な実力者だっただろう。

 記憶のない彼女、リラは国際警察に保護された。保護されたといえば聞こえがいいが実際の扱いは酷いものだった。
 彼女がウルトラホールのエネルギーを大量に浴びてウルトラビーストに襲われやすいFallと呼ばれる存在であることが判明すると国際警察の上層部は彼女を自分たちの任務に利用する計画を立てた。
 この世界に迷い込んだウルトラビーストを誘き寄せる為の囮として利用しようとしたのだ。過去にもリラと同じ境遇の女性を囮として使っていて彼女を犠牲にしてしまったことがあるのに性懲りも無く、だ。
 ——国際警察の一員だった俺は彼女を監視する為に彼女の部下の一人として配属された。


「リラと呼んでください」

 正式な国際警察の一員となって日が浅い自分が敬われたりするのは落ち着かないからと苦笑する。リラという女のことは散々聞かされていたし写真では何度も見ていたが実のところ本人と顔を合わせたのはこれが初めてだった。
 記憶喪失。異世界の人間。そんな話は嫌というほど聞いた。しかし目の前にいる彼女は自分と変わらない、普通の人間だった。
 両親がホウエンの出身だった俺は(俺自身は生まれも育ちもアローラなのだが)一度ホウエンの観光名所などを両親に聞いてみたことがある。記憶を失う前のリラが守っていたという「塔」が気になったからだ。
 塔というからには目立つものだろうし仮に立ち入りが制限されているような場所でも存在くらいは知られているものだろう。しかし親が言うにはホウエンにはそもそも塔のようなものはホウエンにはないらしかった。俺が生まれるよりも前に両親はアローラへと移住してしまったから、それ以降に大きな塔が作られている可能性はあるがこの世界とウルトラホールの向こう側にある世界では同じホウエン地方でも少し違うものなのかもしれない。


「メテノ、アクロバットだ!」

 ボールから飛び出した俺の相棒——メテノが指示に従い技を繰り出す。相手は未知の存在、ウルトラビースト。確か国際警察で「UB04 SLASH」と呼称されていた存在だ。
 これはSLASHに限らずだがウルトラビーストについての情報は国際警察も掴みきれていない。こちらの世界のポケモンの技でダメージを受けていて、技のタイプによってダメージの大きさも変動しているようなので彼らにもそれぞれタイプが存在しているのだろうが鳥ポケモンや虫ポケモンのように分かりやすい姿をしているものは少なく、こちらの世界の常識は通用しない。
 SLASHはメテノの攻撃を受け、体勢を崩す。思ったよりはダメージが入っていないらしい。残念ながら俺はSLASHのタイプを知らない。そもそもポケモン勝負自体、国際警察を志すようになってから本格的に学び始めたものであまり得意とは言い難い。

「ナマエさんは下がってください。あとはわたしが!」
「ですがあなたの護衛が今の俺の仕事です」

 とある事件がきっかけでアローラ地方に出現したウルトラビーストを保護し、問題解決に努めよ。それが国際警察の上層部から与えられた任務だった。
 まずリラを本格的に囮として投入。彼女はウルトラビーストを釣る為の撒き餌のような役割。そうして寄ってきたウルトラビーストを迎撃する。リラの存在は今回の作戦に必須で、残りのメンバーとして選ばれたのが彼女の部下である俺とハンサムだ。
 俺もハンサムもリラをこのように扱うことには反対の立場だった。ウルトラビーストはとても危険な存在で一歩間違えばリラは命を落としてしまうだろう。そうでなくとも何度も襲われることになるリラへの負担は大きい。肉体的にも精神的にも。
 最近ウルトラホールを通りリラと同じエネルギーを浴びてFallになってしまった少年がいると聞く。確かアローラ地方の初代チャンピオンだったか。せめて彼の協力を得ることが出来ればリラの負担も少しは軽減されるのだが。
 ……と、今は余計なことを考えている場合ではなかった。
 ハンサムは別の任務で合流が遅れるからその間リラのことを任されているのだ。尤も、俺の実力はリラの足元にも及ばない。彼女の戦う姿を見たのは数えるほどだが国際警察の中に彼女以上の実力者は殆どいないと言ってもいい。
 リラがFallでさえなければ護衛なんて必要なかっただろう。常にウルトラビーストから直接狙われる立場の彼女がほんの少しでも休む時間を確保できるように俺は彼女についてきた。

「わたしも国際警察の一員です。自分の身は自分で守れますし……任せてもらえませんか?」
「……はあ」

 こうなるときっとリラは自分の意思を曲げないだろう。それは彼女の部下として活動してきたこの数年で嫌というほど理解した。

「分かりました。ですがサポートはさせてもらいますからね」

 メテノはまだまだ元気だ。ケーシィ、ともう一体の手持ちの名を呼べばケーシィは勢いよくボールから飛び出した。
 俺の手持ちのうちメテノは戦闘要員だがケーシィはあくまでもサポート要員だ。テレポートによる緊急回避とリフレクターやひかりのかべを使った援護が得意。攻撃技は覚えていないのでウルトラビーストと直接戦う、というのは流石に不可能に近いが。

「カビゴン!」

 リラが投げたボールから巨体が繰り出される。カビゴンは彼女が保護されたときからずっと一緒にいるポケモンの一体だ。恐らくは記憶を失う前のリラを知る数少ない存在である。
 普段は眠っているか食事をしている姿ばかりを見せるカビゴンだがいざというときはとても頼もしい。
 SLASHは素早く飛び回る。巨体故に動きの遅いカビゴンではあの素早さについていくのは難しいだろう。だったらこちらの選択はひとつだ。

「まずは俺がウルトラビーストの動きを封じます。ケーシィ、トリックルーム」

 素早さの低いほうが速く動ける特殊な空間を作り出す。この空間が作られている限りはSLASHの動きは制限されるし逆にカビゴンはSLASH以上の素早さで対応出来る。
 どんなウルトラビーストを相手にすることになるか分からないからと念のためアローラ入りする前にケーシィに覚えさせておいた技が早速役立ったことにひとまず安堵する。これでカビゴンは戦いやすくなった筈だ。
 思うように動けなくなったことに困惑——しているのか定かではないが、SLASHは先程までと比べるとふらふらとした動きを見せている。リラのカビゴンはそんなSLASHを片手で鷲掴みにし、地面に叩きつけるように放り投げた。
 ウルトラビーストは危険な存在で放置できないとはいえ、彼らもまたある日突然何も分からぬまま異世界へと放り出された被害者だ。Fallを襲うのは帰巣本能から来る行動なのではないか、と推測していたのはかつて国際警察に所属し今はアローラ地方のしまキングを務めているクチナシさんである。
 Fallであるリラも、それから今地面へと叩きつけられたSLASHも同じような境遇だ。だから出来ることなら保護して元の世界へと帰してやりたいし、それが叶わないのならこの世界でどうにか共存する術を探したい。
 ……凶暴化しているウルトラビーストに一切手を出さずに保護する、というのは命がいくらあっても足りないので結局こうして戦って弱らせなければならないのだが。
 動かなくなったウルトラビーストを専用のボールに入れて、今回はひとまず終了だ。

「お疲れ様です、ナマエさん」
「リラもお疲れ。俺もポケモンはきちんと育ててきたつもりだけど……やっぱりリラのカビゴンは強いな」

 メテノもケーシィも出会った頃と比べたら随分と強くなったと思うが俺自身があまり戦いを経験してこなかったこともあり、未だに適切な指示を出せないことがある。
 アローラの風習のひとつである島めぐりにこそ子供の頃に参加したことがあるが、トレーナーとして成長できたかと言われると怪しい。

「メテノが事前にダメージを与えてくれていたのとケーシィのサポートのお陰ですよ」
「……リラにそう言われても、あなたほどの実力者なんて国際警察にもそういないでしょうに。前にクチナシさんも俺と似たようなこと言ってましたよ」

 以前、国際警察の戦闘訓練でリラの戦いを見たことがある。あのとき使っていたのは確かフーディンだったが、彼女はフーディン一体で次々と他の警察のポケモンたちを薙ぎ払っていた。
 俺とメテノは同じくらいの実力の相手と一戦交えただけでへとへとになってしまい彼女のように何度も戦うことは出来ないまま終わった。国際警察として凶悪な犯罪者を追うこともあるし、もっと強くなりたいと思ったきっかけのひとつでもある。

「ナマエさん、戻りましょうか」
「そうですね、ハンサムともそろそろ合流しておきたいですし」

 ——リラの命が軽々しく扱われているのなら、彼女のほうが強いとしても俺は彼女を守りたいと思ってしまっているのだ。