どうか名付けないで

「…あれ?」
「あん?」

 誰かに似ている気がしていた。そう、誰かに似ている気がしていたのだ。私は酔い潰れてしまったルートヴィッヒと、居酒屋の入り口で眉間に皺を寄せている人物を唖然とした顔で見比べる。新入生歓迎会でルートを見かけた時何となく感じた違和感ーーいや、既視感と言うべきかーーの正体にようやく気付こうとしていた。ムキムキの大きな身体に似つかわしくないような可愛らしい寝息を立てる金髪碧眼のルートに、うっすらと彼の面影が重なった。ああそうか。ずっと引っかかっていたものが解けたような、ずっと忘れていたものを思い出したような。

 ギルベルト・バイルシュミットは邪悪にして最悪な腐れ縁――つまり幼馴染だった。まあ幼馴染といっても幼稚園が同じだったっきりだし、ここ十何年もお互いに連絡を取り合うこともなかったので、「幼馴染」という呼び名が果たして正しいのかは私にはわからない。
 とはいえ、まさかサークルの後輩が彼の弟だったとは。幸せそうな顔でギルベルトの肩に寄りかかるルートと、銀髪赤眼のギルベルトを見比べる。まあ似てる、似てなくもない。気がする。言われてみれば、「あー」と納得できるくらいには雰囲気だけはそっくりだ、多分。もっとも、ギルが「喋らなければ」「辛うじて」感じ取れる程度なんだけど。

「てめえ、全部声に出てるぞ」

 あ、今の語尾はちょっと似ていたかも。なーんて思いながら私はギルのほっぺつねり攻撃に甘んじて身をまかせる。いや意外と痛っ、え?痛いなコラ!跡がつくでしょうが!

「チャリで来ちまったけど無理だなぁこりゃ」
「あれ?ギル、もしかして家ここから結構近い?」
「おう。大学の横の、スーパーある通りわかるだろ。そこまっすぐ行って右曲がったとこの郵便局の裏」
「えっまじ?」
「あ?」

 ――そんなこんなで徒歩1分の距離に住んでいることが発覚して、私はギルの代わりに自転車を押していた。ギルは「チャリ乗って先行ってていいぜ」とのことだったけど、あまりにもデザインが独特過ぎたので乗り方がわからず、丁寧にお断りした。ギル以外がこんな自転車に乗ったりなんてしたら即職質されてしまう。ギルはもっと世界に許された唯一の存在であることをしっかり自覚してほしい。

「ん、ん……兄さん」
「おーおーヴェストぉしっかりしろー。ったく、どんだけ飲んだんだこいつ」
「うう、ほんっとーにすみません……」
「こうなったら最後まで面倒見てけよー」

 ギルがさらっと「今日泊まっていいぜ」と言ったものだから、私は厨二びょっ……ッフン、ギルにしか許されないデザインの自転車から手を離して駐輪場ドミノ倒しをしてしまうところだった。先行ってるぞーとひらひら手を振りながらルートを抱えてオートロック式のエントランスに消えて行くギルの背中をあわてて追いかける。

「お?ほんとに来たのか」
「は?あのねえ、だってギルとルートのカバン自転車のカゴの中に」
「戦略的忘れ物だ。――おーいヴェスト、家着いたぞ!なまえはコレで鍵開けて」
「え?うん」

 なんか引っかかったけどとりあえず手伝うことにする。埃一つなく掃除された家はさすがという感じで、私はてきぱきとルートをお風呂に入れるギルベルトの姿を眺めながら、指示通りに彼所望の夜食を作った。アボカドと生ハムのサンドイッチだ。ルートを寝かしつけてきたギルがコーヒーを淹れてくれて、私たちはリビングの大きなソファでほっとため息をつく。

「おおすげーうめえ。お前、うちの専属シェフになれよ」
「またまた。こんなの誰でも作れるよ」
「冗談じゃねえよ。なあ本当にいいぜ。来いようちに。一緒に住もうぜ」
「ええー?まあ確かに家広いしきれいだけどさ」

 ギルの突拍子もない言動は相変わらずなようで、私は無い無いと笑いながら首を振った。それにしてもなんだかリクルート活動が本気な気がする。大変な兄を持つルートに少し同情した。

「いや何言ってんだ」
「うん?何って何が」
「は?お前昔、俺様と結婚するって約束したじゃねえか」
「え」

 どんな昔の話を持ち出してきたんだこの人は。何言ってんのと笑って終わらせようと顔を上げると、――予想以上に真剣な瞳が私を射抜いた。王子様みたいにうやうやしく私の手を取ったギルベルトが、手の甲に顔を近づける。ちゅっとすこし濡れた音がして、私は思わずぴくりと身じろぎをした。――この人はほんとうに、昔からこういう身のこなしがうまい。

「まだ有効だろ?」
「っ、え」

 ――ギルベルトがそう言いながらぺろりと唇を舐めた。あ、と思った。心臓がどくどくうるさい。血みたいに真っ赤な瞳から、私は目を離せなくなってしまう。俺にしとけよ、とさっきよりちょっと低い欲のにじんだ声が私の耳朶を噛んだ。


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