おとしもの
俺は鴎外さんの屋敷の前で頭を抱えていた。
「おかえりなさい、春草さん。あの、これ……春草さんの部屋の前に落ちてたんですけど」
無邪気な笑顔であの子が差し出してきたのは、
まさかの褌。
……頭が痛い。どうしてこの子はこんなにも厄介なんだ。
「……春草さん?顔色が悪いみたいですけど…………」
「……いや。ごめん。大丈夫……」
幸い彼女はソレが褌だとわかっていないよだった。…………それにしても、女の子が白昼堂々道端で褌を握りしめているだなんて、凄い図だ。
……困ったな。
「春草さんのではない……ですか?」
もしここで誤魔化したらこの子は鴎外さんやフミさんのところに褌を届けてしまう気がしたので、咄嗟に
「多分俺の……だと思う」
……フミさんは兎も角、鴎外さんにこの醜態を知られるのだけはどうしても避けたかった。
もしバレてしまったら。……そんなもしものことを考えるだけでも、鳥肌が立つ。
俺は深いため息をつくと、
「……ありがと。拾ってくれて。助かったよ」
「す、すみません……あの、私何か迷惑なことをしてしまったんでしょうか」
「……は?いや、そんな迷惑なことはされてない、とは思うけど…………ていうか、何でお礼を言ったのに謝られなきゃいけないわけ」
「あっすみません……でもなんだか、その……」
彼女は上目遣いで、遠慮がちに俺を見つめる。
……そんなことより早くその褌、寄越して欲しいんだけど。
「何。早くしてくんない?いつまで外に立たせるつもり」
「その……機嫌があまりよろしくないような……気がして」
機嫌が悪いというより、この状況をどう打開したら良いか考えてるだけなんだけど…………
「やあ春草に子リスちゃんじゃないか」
……タイミング良く、タイミング悪く、鴎外さんが帰ってきた。
即座に俺は彼女の手から褌を奪い取って、制服のポケットにねじりこんだ。驚いている彼女を尻目に、俥から降りてきた鴎外さんを出迎える。
「おかえりなさい、鴎外さん」
「ああただいま。…………門の外に立って、若い男女二人が何をしていたんだね?」
棘のある鴎外さんの言葉に、彼女が狼狽える。
文明開化の明治の世といえど、幕府時代と同様、俺やこの子のような年齢の者が外で異性と話し込むのは、とてもはしたないことなのだった。
軽率だった、と褌に気を取られてそこまで頭が回らなかった少し前の自分を、責め立てる。
「……お、鴎外さん、ごめんなさい……!私のせいなんです!お散歩の帰りにたまたま春草さんに会って、春草さんに落し物を……もがっ」
俺は慌てて、慌てふためいて、彼女の口を手で塞いだ。
「……何をしているんだね、春草は?はは、なんだか子リスちゃんを捕獲しているように見えるではないか」
鴎外さんは朗らかに笑っている。……しかし視線はこれ以上ないほどに冷ややかだった。
俺はこほんと咳払いをすると、
「……すみません鴎外さん。俺の部屋の前に落ちていた雑巾を、この子に拾ってもらったんです。彼女を怒らないでやってください。申し訳ありませんでした」
「いやいや、子リスちゃんを叱ったつもりはないよ。……勿論春草、お前もね。ただ、ご近所の間での私の顔のことも考えてやってくれたまえ。いいね?」
「はい、わかりました。今後気をつけます」
「鴎外さん、ごめんなさい……」
俺に続いて彼女も謝ると、鴎外さんは満足したように笑った。
「そんなに落ち込まないでくれたまえ、二人とも。こんなところに立っていてはなんだから、早く我が家に入ろうじゃないか。……そうだ、今日仕事先でいただいた西洋の珍しい茶菓子があるのだよ。フミさんにお茶を淹れさせて、お茶会とでも洒落込む……なんて、どうかね」
「茶菓子ですか!?」
彼女が鴎外さんに食いついた。ついさっきまで落ち込んでいたのが嘘のような明るい笑顔に、呆れて拍子抜けしてしまう。
「そうとも。とても甘いという話だ」
「……た、食べたい!食べたいです鴎外さーん!」
鴎外さんに戯れつく彼女を見てもやもやとした気持ちが湧き上がってきたが、一先ず一件落着である。ポケットに入った白いそれをぎゅっと握ると、俺はそっと安堵の溜息をついた。
※※※※※
「ところで、あれって雑巾だったんですね。」
「なんの話だね?」
「……!君、お茶してる時くらいちょっと黙ってよ」
「え?何でですか?」
「良いから!」
「ははは春草。さてはお前、子リスちゃんに何か失礼なことをしたのだな?」
「何言ってるんですか鴎外さん……!…………ああ!そうだ、今日の夕餉は牛鍋にしませんか」
「牛鍋!?!?」
「………………はは、外で食べるのも久しぶりだなあ。良いだろう、行こうじゃないか」
終