2.理想的なまぼろし


 高校の文化祭からの帰り道。屋台の売り子をしていた私は、某ディスカウントストアで購入したコスチューム衣装を紙袋に突っ込んで、いつものクレープ屋さんに足を運んでいた。適度に安くて適度にお手軽で適度においしいチョコバナナを売っている我がクラスの売上は、一日を通じてかなりよかったらしい。一日中注文を取り続けたせいで、私の疲労度はピークに達していた。手っ取り早く糖分――そう、生クリームとチョコレートを摂取しないと、どうにかなってしまいそうだ。
 改札を下りて早々クレープ屋さんに直行して、お店の前のメニュー表と睨めっこする。――そんなタイミングだったように思う。真横から、素っ頓狂な声が上がったのは。

「えっ!……マギ☆マリ!?」

 私はびくりと仰け反った。顔を上げて、怪訝な表情で彼を見やる。ライムグリーンの瞳に、アプリコットで染まった無造作な長髪。清潔感のあるお兄さんだ。……いや、清潔感のある不審者だ、と思った。

「……えっと。お好きなんですか?」

 気まずくなって、とりあえずそう返してみる。彼はカーッと顔を赤くして、両手を顔の前で合わせた。

「ゴ、ゴメンっ!その……あまりにもびっくりして!思わず声を、……声を……出し、ちゃって……」

 徐々に声が小さくなる。ぱちぱち、と目を瞬かせたあと、彼は誤魔化すように笑った。何かに気が付いて驚いたような、思わぬ出来事に慌てたような。それは「思わず声を出した」こととは全く別の何かなのだろう、と私は直感的に思った。

「あの、もしかして知り合いだったりします?」
「あ、え、いや!えっと……その、」

 私の視線に耐えられなくなったらしい彼は、ふうとため息をついて言った。

「キミさえよければ、ここの会計はボクが持つよ。……こんなオジサンにおごられるのが嫌でなければ、だけど……」




*



「……ホイップチョコレートソースマシマシバナナトッピングトリプルチョコレートスプレー追加イチゴトッピング追加アイス追加ブラウニー追加、あと何だったっけ?」
「おいしいですよ。お兄さんも食べます?」

 ずい、とスプーンですくった生クリームを差し出すと、彼は呆れたような表情でこちらを見る。ふかいふかーいため息。

「いらない。……JKの胃って怖いなあ」

 そう言う彼はちまちまと和風クレープを食べている。不貞腐れつつも着実にもきゅもきゅ食べすすめる姿は、なんとなく小動物を髣髴とさせるような。とはいえ、私なんかよりもずっと身長が高いから、随分と大きい小動物ということになるけど。
 私が持っていたコスチューム衣装は、どうやらインターネットアイドルの「マギ☆マリ」をモチーフにしたものだったらしい。広げて見せてあげると、彼は両手で顔を覆って恥ずかしがりつつも指の間からちらちらとこちらを見て、早口で実際のマギ☆マリ衣装との相違点を指摘しながらも大喜びした。ちょうど同クラの遠坂からケータイで送られてきた私の写真を見せると、見たことのない人体の動きを披露しながら大絶賛してくれた。見せた張本人は私自身ではあるんだけれど、ちょっと引いた。ちょっとどころでなくめちゃくちゃドン引きした。クレープを奢られてなかったら絶対他人のふりをしてた自信がある。「インターネットは良い文明だ」なんてひとしきり大騒ぎしてからすこし落ち着いてきたらしい彼は、ぱたぱたと赤くなった顔をあおぎながら、照れ笑いを浮かべる。黙ってればただの好青年なんだけど……。

「――それで、魔術師だろう、キミ」

 そんなことを考えながらクレープを咀嚼していると、爆弾発言が飛び出してきた。何も心の準備をしていなかった私はおもいきり被弾する。ぐっと喉にクレープが詰まった。

「……え。なっ、何で?」

 おそらく先ほどの「何か気付いた表情」のネタバラシなのだろう。こんな反応をしてしまってはほぼ図星ですと言っているようなものだけど、私はあわててお澄まし顔を浮かべる。

「うーん……そうかなと思ったんだけど、違ったかな?」
「う……はい、そうです……。よくわかりましたね。魔術師の家系としては三流だし、いい意味でも悪い意味でも目立たないことを自負しているんです、けど……」

 私はちらりと彼を見上げる。初対面で私の素性に気付いた人間は、目の前のお兄さんがはじめてで。
 私は尋ねる。どこか遠くを見つめているような、寂しそうな表情を浮かべる彼に、小さく問いかける。

「あなた、誰?……一体何者なの?」
「! ボクは……」

 ライムグリーンの瞳がやさしくゆるむ。うれしそうに、しあわせそうに彼は答えた。まるで、私に名乗ることを望んでいたように。

「ボクは、ロマニ。ロマニ・アーキマンだ」




*




 その日から、『自称一般人』のロマニ・アーキマンは私の生活に入り込んできた。別に変な意味じゃない。変な意味じゃないんだけど……でも変な話、私はこの「クレープをおごってくれた不審者」と予想以上に気が合ってしまった。聞いて驚くなかれ、なんと私たちは即座に週5で会う仲になった。
 ロマニさんは妙に常識がありそうなのに無くて、私はまるで現代社会初心者の人に接するみたいに、電車やバスの乗換の仕方とか、ポイントカードの仕組みとか、図書館の使い方を教えたりした。そのくせ知識量は人一倍だし歴史だとか神話だとかそういう教養が深いものだから、ロマニさんってば過去からタイムスリップしてきた人みたいね、なんて私が揶揄うと、彼はとてつもなく生真面目な顔で古代イスラエルがなんとか、神話がなんとか、とうんちくを語って見せるのだ。
 ぶっとんでてチキンで弱虫で優しくて、魔術師じゃないくせに魔術に詳しくて、変わってて、常識的で、でも悲観主義で、根性なしで。そんなロマニさんが「医学を学ぶために留学するんだ!」という志を明らかにしたのは、出会ってから数週間後のこと。そうしてロマニさんは持ち前の吸収力ととんでもない努力量でその年のうちに、なんと超難関と名高い――私でもすごいとわかるような海外の大学の奨学生に選ばれた。留学をして、それはもう秒速で飛び級して、試験に合格して、お医者さんになって、世界中でたくさんの命を救って。そんなこんなであっという間に、ロマニがスターダム、ならぬお医者ダムを駆け上がっていく横で、私は高校を卒業して、時計塔に留学して、なんとかそれなりのレベルの魔術を習得して、最終的に時計塔の一事務員の職にありついて、いっぱしの魔術師になってしまった。こんなにうまいふうに事が進んだのも、実は私の家が魔術師の名家と名高いあのアニムスフィア家の傍系の傍系の傍系であったことが発覚して、なぜかうまいことアニムスフィア家にコネがあったロマニさんがいつの間にか口添えしてくれて、紆余曲折を経て、血筋が途絶えて今にも断絶しそうだった傍系の魔術刻印を受け継ぐことになったから、なんだけれど。本当に、人生は何が起こるのかわからない。
 そしてまあ何はともあれ、……たぶんこの流れで大体気付いてもらえるだろうけど、いつの間にか「ロマニさん」は「ロマンくん」になって、「鈴懸さん」は「かすみちゃん」になって。何とかかんとかあって、私たちは無事恋人という関係に落ち着いた。何とかかんとか、というほど何かあったわけじゃないんだけど、毎月目が飛び出るくらいの通信料になるほど国際電話を繋いだり、ロマンくんも忙しい合間を縫って1年に1回は日本に帰ってきてくれたり、逆に私がロマンくんのいる国に会いに行ったり。なんかそういう関係を続けていくうちに、私の心の中はロマニ・アーキマンという男でいっぱいになってしまった。「クレープをおごってくれた不審者」はいつの間にか、世界で一番大切な存在になってしまっていた。

 他の恋人に比べて一緒にいることのできる時間は短いかもしれないけれど、ロマンくんに愛されて、大切にされて、私は幸せ者なのだと……思う。多分。
 というのも、ロマニ・アーキマンが私への連絡を絶って今日でちょうど二年。かくいう私は今、絶賛目隠しをされて『カルデア』という組織を目指して空の旅で移動している。待遇、お給金、福利厚生、すべて文句なしの栄転。恋人に何の報告もないまま転職するのもどうかと思ったが、よく考えたらロマンくんなんて二年間も音信不通なわけだし、私自身うまいこと生きているだけで万々歳だと思おうと気を取り直す。
 でも。

「……え?」

 理解ができず固まる。
 ――カルデアで私を待ち受けていたのは、この二年間何度も夢にまで見た顔、で。

「……ちょっと。ロマンくん!あなた一体、今までどこで何を……!」

 どうやら私は思っていたよりも、恋人にご立腹だったらしい。思わずに声が低くなって、震える。――あれ、でも、まさか。カルデアに私を呼んだのは、まさか。

「……!かすみちゃ〜〜ん!」

 つい今しがたまで生真面目な顔で働いていた彼の顔が、途端にくしゃくしゃになる。わああーっと泣き叫びながら、アプリコットの髪を振り乱した男が私に飛び付いてきた。不審者だ。どう考えても不審者だ。私は恋人にドン引きしながら、すこし痩せた身体を抱きしめ返す。

「うう。かすみちゃん……!本物だよね?かすみちゃんだぁ、かすみちゃん……っ!」

 ロマンくんが私の首筋に顔をうずめて、めそめそと泣く。情けなくて、可哀そうで、呆れ果ててしまって、すぽーんと二年間放っておかれた怒りがどこかに吹っ飛んで行ってしまう。私は背の高い彼の頭をよしよしと撫でた。ぐずぐずと涙をこぼす彼の耳元で、私は小さな声で尋ねた。

「ロ、ロマンくん。……久しぶり、だね?」
「ぐすっ。2年間も連絡取らなくてゴメンねっ」
「……私に会いたかった?」
「当たり前じゃないか。会いたかったよっ……!」

 折れそうなほど、強い力でぎゅーっと抱き締められる。思わず頬が緩んだ。心が大好きでいっぱいになって、「ねえロマニ」と呼びかける。その途端、ロマニ・アーキマンの掠れ声が耳元をくすぐった。

「……だいすきだよぅ、かすみ……」
「っ、」

 ああもう、こんなの降参するしかないじゃん。言おうとしたことを先回りされてしまって、私は思わず笑ってしまう。何笑ってるの、とロマンくんが拗ねたような顔でこちらを見下ろしてきたので、私は彼のシャツを掴んで頬にキスをした。

 ――私がロマンくんの補佐官として、カルデアの職員名簿に登録されていることを知るのは、これから五分後のおはなし。

Fate
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