4.泥に塗れる他愛事


「……あの、かすみさん。すみません、失礼ながら……もしかして、不審者の話と混同されているのではないでしょうか?」

 マシュ・キリエライトが呆然とした表情で言う。私はカルテを記入しながら、ふふと笑った。

「レオナルドにも同じようなこと言われたなあ。『君、記憶違いを起こしていないかい。それ、ロマニじゃなくて不審者の話だよ?』って」
「……え、ええと、その。私も、ダ・ヴィンチちゃんと同じ感想を抱いています。……何度考えてみても、私には、不審者の話をされたようにしか思えません。ドクターとかすみさんは、もっとこう……物語のような出会い方を……いえ、ある意味物語的であると解釈することも可能ではあるのですが、そうではなく……」

 困惑したような顔で、マシュは首を傾げる。ーーと、噂をすればなんとやら。シューッとドアが開いて、ロマニが部屋に入ってきた。

「おはよ、マシュ。16歳のお誕生日おめでと、……マシュ?」
「……。ああドクター。本当に、あなたって人は……」
「え?マシュの目がものすごく冷たいんだけど。外の吹雪以上に冷たいんだけど!?なんでー!?」

 聞かなければよかった、とマシュがため息をついた。マシュの言動で全てを察したらしいロマニは「ああ、さてはついに知ってしまったな……」とがっくり肩を落としながら、マシュの体調をチェックする。

「うん。よーし、健康状態に異常はなし、と。――マシュ。何か、不安なことはある?何せミッション直前だからね。なんでも聞いてくれよ?まあボクらが答えられる範囲でよければ、だけど」
「……あの、ドクター。お二人は本当に、そんな出会い方を?」

 マシュが真っすぐな瞳でそう問いかける。

「ドクターとかすみさんの関係は、とても素敵なものだと……私は思います。ですが、何だか……お二人の出会いは、ちょっと意外すぎるというか。……もちろん、初対面でのドクターの言動には引くことしかできませんし、それに」
「ちょっとマシュ、なんか今日ボクに当たりが強くないか!?」
「そ、そうでしょうか。申し訳ありません。私自身にそのような自覚はありません」
「う、うーーん。うーーーーん……!」

 ロマニはがしがしと頭をかいて、「……ミッション前の質問がそれでほんとにいいの?」と笑った。

「その件について、ボクは黙秘権を行使する!……でもね、マシュ。一つだけ、ボクが言うとしたら。まあ、現実は平凡でありふれていて、ありきたりでカッコ悪くて……必ずしも物語のようにはいかない、ってことさ。特に恋愛に関してはね」
「ドクターの不審者っぷりは、平凡でありふれたものとは言い難いような気もしますが……ですが、はい。話に聞くドクターは、確かにカッコ悪いです。それはもう、とてつもなくカッコ悪いです」
「ぐぅっ……!?今の言葉はボクのHPをゴリゴリに削ったぞぅ……!?――ま、まあ、とにかくだ!この話から得られる教訓は、好みのカワイイ女の子が大好きな『マギ☆マリ』のコスプレ衣装を持っていたからって、油断して変な絡み方をしちゃいけないってこと!ホラ、こんなふうに一生揶揄われる羽目になるからねっ!」
「はい、とても勉強になります。実践する場の見当たらないアドバイスではありますが、ドクターの悲鳴はとても悲痛で、それでいて表情はとても楽しそうです。……あ」

 カチ、と時計が7時を指す。マシュはベッドから立ち上がり、スカートのシワを整え、「失礼します」と小さく会釈して部屋を出て行った。はあ〜とロマニが大きなため息をつく。不貞腐れた表情で、ロマニは私の頬をむにと掴んだ。

「この話好きだね、キミ」
「……うふ。大好き」
「〜〜っ。なにそれ、ずるいなあ!」

 ロマニが私にのしかかるように抱き着いてくる。私が「ん」と首を傾けると、ロマニはきょろきょろと周囲を見渡した。影とともに、ちゅ、とキスが落ちてくる。

「ふふ」
「嬉しそうだね」
「もう一回」
「……も〜」

 君って人は、とロマニが笑った。甘い音が響いて、私たちはそのまま額をくっつけあう。ロマニの浅い吐息。柔軟剤と一緒にかおる、彼の匂い。幸せだなあと思う。

「……カルデアに来てからずっと……マシュにせがまれてたの。私たちが出会った時の話を聞きたいって」
「……うーん。まあ、マシュも思春期だもんね。興味はあるよねぇ……」
「……あの話、べつに子供の教育に悪い話ではなくない?」
「でもちょっと複雑というかぁ……だってさあ、カッコ悪いだろ?」

 ロマニはそう言って、わかりやすくしょげかえる。私は笑いながらロマニの頬にキスをした。そのまま両頬を両手で挟んで、無理矢理目を合わせる。

「ロマニ、私ね」
「うん?」
「……カッコ良くてやさしいロマニが大好き」
「!」
「あの時話しかけてくれてありがと。わたし、ロマニが世界で一番すき。……ね、お仕事戻る前にもう一回して?」
「え!?……え!も、もう!あんまり、煽んないでよぅ……」

 ちゅ、と音が鳴って、ロマニの顔がゆるむ。わたしの泣き虫な恋人は、たぶんみんなが思っているより存外に甘い。好きだなあ、と独りごとを言うみたいにロマニが呟く。そんな一言で私の表情もとろけてしまう。

「あ、そうだ」
「?」
「知ってた?キミがカルデアに着任してから、今日で3年目なんだよ。ーーおめでとう、とはちょっと違うかもだけど、……受け取ってくれるかな」
「え?……え?待って!ロマニ、なに」
「右手出して」

 エフン、とロマニが咳払いをして、小さな包みを取り出す。目の前で起きていることに理解が追いつかなくて、私はポカンとした顔で、ロマニになされるがままにされた。

「大したものじゃないんだけど、気に入ってくれると嬉しい。…………うん。なんかものすごく照れ臭いな、コレ!」

 エメラルドが嵌まったシルバーの指輪と、真っ赤に染まったロマニの顔を、私は交互に見比べる。どうしよう。顔がものすごく緩んでしまって、どうしたらいいのかわからなくなってしまって。

「ロマンくん」
「うん」
「――大好きっ!」
「わあー!?」

 ロマニの胸に飛び込んで、二人してばたーんとひっくり返る。――途端にぽろ、と彼の首元からチェーンに通されたエメラルドのそれがまろびでて、私は目を丸くした。ロマニは私の視線に気付くと、瞳を伏せてぽりぽりと頬を掻く。

「え、えっと。後出しでゴメン。実はボクとお揃いなんだけど。……付けててくれる、かな。勿論、キミさえよければ、だけど……」

 なぜこんなにも、いつまで経ってもこのひとはヘタレなのか。思わずにニヤニヤしてしまいそうになるのを必死で堪えながら、私はロマニの肩を掴んで努めて真摯な表情で言う。

「ロマンくん」
「……うん」
「ありがと。一生、大事にするね」
「……っ、も、もう、そんな……っ、それ、逆ぅ……っ」

 ロマンくんは真っ赤な顔を両手で覆って、ひぃ、だかひゃあ、だか判別つかない悲鳴をあげた。



*



「……レオナルド、いつから見てた?」
「そうだなあ。『この話好きだね、君』『大好き』のあたりからかな?」
「序盤じゃん。もう全部見てるよね!?このっ!このっ覗き魔っ!」
「いやぁ、いつ終わるのかなって。ていうか一応、一線を越えそうになったらさすがに止めてあげようと思ってね?」
「あ〜っも〜〜〜性悪!うわーん!」

 耳を真っ赤にしたロマニが、顔を覆ったままスタッフに引きずられていく。親バカ、ならぬ恋人バカである私枯らしてみたら、めそめそと泣いている姿はとてもかわいらしいとしか言いようがない。私はじゃあロマニ、また後でね、と手を振って彼を見送った。

「ロマニはあっち、かすみはこっち。急げ!所長がお呼びだよ。例の演説の内容を確認してほしいってさ」
「レオナルド、楽しそうだね?」
「私?ふふ。朝からいいものが見れたからね。友人のイチャつきは勿論のこと、からかった後のロマニの反応は大変質の良い心の栄養になる。――まあ、少し奴は欲を出しすぎというか。今回ばかりはちょっと、説教案件ではあるんだけど」
「?」
「……あ、いや。こっちの話。ゴメン、忘れて」
「――かすみ!遅すぎるわ、あのグズっ!レオナルドは何をしているの!」

 中央管制室から怒声が飛ぶ。私たちは顔を見合せた。レフ・ライノールが管制室から顔を出す。

「御機嫌よう、かすみ。――ああ、レオナルド。さっきぶりだね。二人とも、オルガの堪忍袋の緒が切れる前に早く来てくれ」
「うひゃー。……ま、所長にとっても今日は一大イベントだものねぇ」

 さあ行こうかかすみ!と、レオナルドが私の手を取って、なだれこむように管制室に滑り込む。――ぴくぴくと額に青筋を立てたオルガマリーは、私を見るなりスンスンと鼻を動かした。

「なんだか気に食わない匂いがするんだけど?」
「どうした、オルガ?」
「変に気が緩むような、何というか。……気のせいかしら。おかしいわね、ロマニ・アーキマンを前にした時と同じくらい、猛烈に腹が立つわ」

 ぎく、と私は身動きを止めそうになって、レオナルドに肘で小突かれる。レフが不思議そうな顔でぱちくりと目を瞬いた。あはは、と乾いた笑いを浮かべながら、私たちは背中で冷や汗をかいたのだった。


Fate
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