5.敗者の悲鳴


 ――ロマニが現場にいると空気が緩む、というどこかで聞いたような理不尽な、しかし誰もがなんとなく納得してしまう理由で、ロマニ・アーキマンが中央管制室から追い出されてからしばらく後。マスター候補生たちが着席している中、オルガマリーは私の真横でイライラとした様子を見せていた。

「……かすみ、どういうこと。時間通りに全員着席させる手筈ではなかったの?」
「申し訳ありません、所長。名簿と照らし合わせたところ、マシュ・キリエライトと一般人枠で受け入れた候補生が、会場に未到着のようです」
「一体マシュはどこに行ってるの!それによりによって魔術の才能もない、たかだか一般人が遅刻するなんて!」
「――失礼。通してくれ」

 管制室の扉が開いて、レフとマシュ、それから見慣れない子が入ってくる。レフはするりと私たちの傍に寄ると、私とマリーに囁いた。

「訓練で気を失ってしまっていたようだ。マシュが声をかけているところに、たまたま行き会ってね」
「まったく!……ハァ。予定から遅れたけれど、今から説明会を始めます。レフ、あなたは私の補佐に回りなさい」
「了解」

 怒り心頭といった様子を隠す素振りすら見せぬまま、マリーが壇上に上がる。――と思ったのも束の間。例のマスター候補生はマリーの演説中、よりによってマリーの目の前の席で眠りこけたらしく、バチンという平手打ちの音とともに風のような速さで管制室から追い出された。何という図太さだろう。是非見習いたいものだ、なんて本気で感動していると、レフが私に言った。

「かすみ、医療チームに召集をかけてくれないか。実験中、君たちには管制室の内部で待機していてもらいたい」
「わかりました。ドクターに伝えてきます」
「――ああ。ついでに、ロマニにもここへ来るよう言伝を頼む。コフィンの中は密閉空間だ。彼がいた方が、候補生たちも安心するだろう」

 所長に管制室を追い出されたばかりだし、ロマンくんは顔をしかめそうだ。しかしレフの要求も理解できるものなので、私は快諾した。頼んだよ、と言うレフの言葉を背に、そっと管制室を出る。

 ーーしかし、医務室は無人だった。スタッフは全員出払ってしまっているらしい。規則では医務室には必ず誰かが在室していないといけないことになっていて、この時間の当番はロマニのはずなんだけど……。私はボードに貼ってある、医療チームのシフト表をめくる。うん、やっぱりそうだ。まあでも、ロマンくんの事だから、きっとどこかでサボっているかフラフラしているに違いない。
 とはいえ、レフから預かった言伝もある。カルデア・医療セクションの召集権限はトップであるロマンくんに一任されているので、私が勝手に集めるわけもいかないし。私は端末をいじって、ロマニに通信を繋げた。

「ご機嫌いかが、ロマニ・アーキマン?あなた、今どこにいるの?」
『――ん?……かすみちゃん!?…………』

 しばしの無言。電波が乱れたのかと思って、もしもし?と聞き返す。

『……はい。聞こえてます。空き部屋でサボってます』
『いや、もうここ空き部屋じゃないし』
『はい。ついさっき空き部屋じゃなくなりました。元空き部屋でサボってます』

 聞き覚えのある声が混じる。さっき管制室から追い出されたマスター候補生がすぐそばにいるらしい。追い出された者同士、親交を深めていたのかもしれない。

「もう。別にいいけど、またマリーに怒られないようにね。――それで、本題に入るけど、レフ教授から伝言。中央管制室に医療チームを集めてほしいって」
『ええ?何で?ボクらが立ち会ったところでしょうがないと思うんだけどなあ。……ボクなんて、さっき所長に締め出されたし?』

 少し不貞腐れた声。予想通りの反応に、私は笑った。

「そうね。レフはあなたにも来てほしがってたけど、本当に入り用の時には直接あなたに連絡が行くでしょう。――だからそれまでゆっくり休んでたら?ロマンくん、最近働きづめだったでしょ?」
『やっっっ……たー!かすみ様神様仏様!それでこそボクの補佐官だっ!大好き大好き、だーいすき!』

 隣にマスター候補生がいることを忘れてはいないだろうか。はいはいと呆れて通信を切ろうとした瞬間、そういえば、とロマンくんが思いだしたように言う。

『レオナルドが君のこと呼んでたよ。急ぎではないけど、来るべきミッションに備えて早いうちに調整したい、だとかなんとか。で、仕事がひと段落つき次第、可及的速やかにに工房まで来てほしいってさ』
「ああ……」

 おそらくレオナルドの創造癖が爆発したのだろう。私は彼の発明品の実験台第一号、とかいううれしいんだかうれしくないんだかよくわからないポジションを獲得していた。というのも、魔術と科学は水と油の存在なので、私のように双方に馴染みがある人材――つまり、魔術回路の発達していない中途半端な魔術師――は、優秀な魔術師が多いカルデアにおいてかなり稀少なのだとか。今回は無傷で済むと良いけど。とりあえず、了解、後で行くね、と返事をして、ロマンくんとの通信を切る。

 ――中央管制室に戻ると、すでにレイシフトの準備が始まっていた。ずらりと並んだコフィンを縫うようにして、私たち医療スタッフは所長のもとへ集まる。私たちの方をぐるっと見渡して、レフが尋ねた。

「――おや、ロマニは?」
「ごめんなさい。今、手が離せないみたいなの。いざという時は直接呼び出してって、……」
「ちょっと。私の横でそいつの名前を呼ばないでくれる?」

 現場の空気が緩むじゃない、と不愉快そうにマリーが眉をひそめた。なるほど、今日の所長はロマニアレルギーを発症しているらしい。




*




 マスター候補生のバイタルチェックを終えて、私はふうと一息をつく。医療チームの仕事はひと段落つきつつあった。――あ、そうだ、とレオナルドに呼び出されていることを思いだす。人手も足りてそうだし、と顔見知りのスタッフに少し抜けることを伝えると、いってらっしゃいと快く送り出された。



 ーーだけど、管制室を出て、レオナルドの工房のすぐ傍まで辿り着いた時のこと。



 バチン、と廊下の明かりが消える。途端に轟音が足元から鳴り響く。何かの爆発音。

「なーー!?」

『緊急事態発生。緊急事態発生。中央発電所、及び中央管制室で火災が発生しました。中央区画の隔壁は90秒後に閉鎖されます。職員は速やかに第二ゲートから退出してください。繰り返します。中央発電所、及び中央――』

「――かすみ!」
「レオナルド!」
「今、中央管制室ではファーストミッションが行われているんだろう!?一体何が――!?」
「わ、わからない!……モニター、管制室を映して!」

 端末のモニターを、管制室に切り替える。真っ赤な炎と、あちこちに散らばる破片に頭が真っ白になる。

「ダ・ヴィンチちゃん!灯希!今のはーー」

 ばらばらと数名のスタッフたちが廊下に飛び出してくる。はっとして私はレオナルドの肩を掴んだ。レオナルドも同じことに気が付いたらしい。顔が途端に真っ青になる。

「……ま、待ってくれ。ウ、ソだろ。まさか、カルデアの職員は大部分が、今、この中央管制室に……!」

 ぼた、と『何か」がカメラの前を落ちて、私は思わず後ずさりする。どこを見ても、人の姿はない。指先が震える。息が浅くなる。

『動力部の停止を確認。発電力が不足しています。予備電源への切り替えに異常 が あります。職員は 手動で 切り替えてください――』

「早く逃げろ、かすみ!外に出て、外部からの救助を待つんだ!」

 レオナルドが私の肩を掴む。真っ青な顔だ。私はモニターの接続を切った。

「――いいえ、レオナルド。あなたは職員の避難誘導を。私が管制室へ戻る」
「……っ!かすみ、そんな、馬鹿を――!」
「私の替えならいくらでもきく。だけど!天才のあなたがいなくなったら、カルデアは……!」
「!!な、んてことを言うんだ、君は……!っ……、」

 怒ったような顔で、泣きそうな顔で、レオナルドは葛藤するようにぎゅっと目を瞑る。――彼は低い声で、わかった、と言った。私の背中をドンと叩いて、レオナルドは隔壁の方へ駆けだす。

「カルデアの職員諸君、出口はこちらだ!今は職務も何もかも後回し、とにかく自分の命を優先にして、この中央区画から脱出してくれたまえ!繰り返す!職員諸君――」

 はやく、急がなければ。

 私はレオナルドたちとは正反対の方向へ駆けだした。予備電源に接続できないとなると、このままではカルデアの火が消えてしまう。地下の発電所へ向かわなければ。――背後でズンと隔壁が下りた。レオナルドの声が聞こえなくなる。

『中央隔壁 封鎖します。館内洗浄開始まで あと 180秒です』

「っ、きゃあ!?」
「わぁあーっ!?」

 階段に駆け込もうとしたタイミングで、ドンッと誰かにぶつかった。そのままよろけて転びそうになった私の腕を、誰かが掴んでくれる。その途端、廊下の電気が復旧した。――煤でところどころ真っ黒になったロマニ・アーキマンが、愕然とした顔でこちらを見ていた。

「な、何で!かすみちゃん、どうして君がここに!?」
「ロ、マンくん」

 彼はずっとマイルーム区画にいたのだろう。ーー今は爆発音を聞き慌てて管制室に駆けつけ、地下の予備電源でカルデア内の電気を復旧させた、といったところだろうか。私はすっかり焼け焦げた白衣を掴む。

「ロマンくん、教えて。一体、一体何があったの!」
「……わ、わからない。ボクは現場にいたわけじゃないから。だけど、一つだけ言えることがある。――これは事故じゃない。人為的な、破壊工作だ。中央管制室は爆破で、もう……」

『館内洗浄を開始します』

「……生存者は……?」

 私はロマニのシャツを掴んだ。ロマニは顔を背ける。

「生存者は!――答えて、ロマニ・アーキマン!」
「さ、さっき、ボクと一緒にいたマスター候補生が一人。だけど、あの子もきっともう逃げたはずで……!」

 ロマニが浅く息を吐く。くしゃり、と煤だらけの手袋で、髪をかきむしる。

「……っ、管制室にいた人員は、あの爆発で全滅だ……!」
「そん、な――」

 ふらり、とよろめく。モニターで管制室内の現状を見た時からずっと、「もしも」に期待をしていた。
 中央管制室から物音が消えた。私は無我夢中でカードをかざして、管制室の扉を開ける。
 ぽたり、とスプリンクラーから水滴が落ちた。思わず、立ち竦む。

「駄目だっ、かすみ!」

 見るな、――と、ロマニの手が私の視界を塞ぐ。

 赤だ、と思った。館内洗浄機能で、炎はもう鎮火されたはずなのに。むっと立ち込めるような血生臭い匂いに、じわりと生理的な涙がにじむ。ロマニが私を正面から抱き締めた。掠れ声が、私の耳朶を震わせる。

「……見ないで、お願いだ、かすみ」

 身体の芯から震えるような、――ああ、『凄惨』とはこういうことを指すのだと思った。私は縋るように、ロマニの腕を掴んだ。

「……だけど、だけど!誰かがシバの観測をしなきゃ!」
「それはボクがやる」
「ロマニ!」
「君はマイルームに帰ってくれ!ボクはこんな……こんな景色を、君に見せたくない……っ!」

 悲痛な叫び声だった。ロマンくんがかぶりを振りながら私の目を塞ごうとする。手袋の奥の指輪が、私の額にこつんと当たって。ーーその途端、どくん、と心臓が音を立てて、いつかの冬の日の出来事が重なる。燃えるような朱に、黄金色が見えた気がした。

「……ロマン、くん。あなた」

 ひゅ、と喉の奥が鳴る。まさか。でも、そんな、わけ。ぐにゃり、とめまいがする。
 ーーそんな私の思考は、ロマンくんの悲痛な声で現実に引き戻された。

「……いやだ。嫌だ、嫌だっ!」
「っ」
「ボクは、怖いものは見せたくない。怖がらせたくない!キミには、辛い思いをさせたくないんだっ!」
「!」

 ぎゅう、と力強く抱き締められる。
 ーーああ、彼は悲劇に涙しているのではなくて、私が悲劇を目にすることを悲しんでいるのだと思った。
 優しくて、危うくて、すぐにでも壊れてしまいそうな、ロマニの声。彼の震える指が、私の方へ伸びてくる。私はロマニのその手を両手で捕まえた。

「ロマンくん。聞いて、ロマンくん。私は大丈夫。大丈夫だから」
「っ……、かすみちゃん!おねがいだから、ボクの言うことを聞いてくれよ……!」
「……ロマンくんってばおバカさん。私だって、カルデアの職員なんだよ?」
「……っ、そりゃ、そうだ、けどっ……!」
「一緒に行こう。ロマニ・アーキマンと一緒ならわたし、怖くないから。……ほら、ね」

 弱虫で泣き虫で、それなのに私のことを本気で守ろうとしてくれる、困った恋人。
 私がロマニの目元を拭うと、彼は青い顔で唇を噛む。

「〜〜っ、ああもうっ……わかったよ!」

 取っ組み合いでもするような体制で、二人で管制室に雪崩れ込んだ。水浸しになった床に浮かぶソレらを見て見ぬふりをして、私たちはシバのモニターを覗き込んだ。座標が指し示す見慣れたその場所に、私たちは思わず息を飲む。

 ーー2004年1月30日、冬木。"観測されない領域"に、誰かがレイシフトしている痕跡があった。


Fate
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