3.瞳に映る

 セブルスは本当に生理痛が重いタイプのようで、マダム・ポンフリーの所見では「おそらく半日は起き上がれない」とのことだった。カーテンの隙間からセブルスの穏やかな寝顔を覗き見て、シャーロットはため息をつく。シャーロットも生理痛が重い方だったので、そのつらさがわかる分、とても胸が痛んだ。

 その日の授業は全て休講になった。トイレや浴室を整備しなおしたり、生徒の保護者に連絡を取ったり、教師たちは「ふくろうの羽も借りたい」と嘆きながら激務に身を費やしていた。シャーロットもスラグホーンに泣きつかれた。さすがに可哀そうだったので、スリザリンの指揮を執るのに忙しいナルシッサに構ってもらえず暇そうにしているルシウスをスラグホーンに貸し出した。ルシウスには睨まれたが、気が付かないふりをした。

 シャーロットはというと、最初は癒者志望の上級生と一緒にマダム・ポンフリーの手伝いをしていた。……はずだった。しかしながら医務室にはいつの間にか『王子様』目当ての生徒が増え、「胸がドキドキして苦しいのです」「恋のお注射してください」「こっちの方も診ていただけませんか?」などと患者側がいろいろとおかしな方向性に暴走し始めてしまったので、クビになった。その後、友人や先輩後輩に誘ってもらっては、いろんな仕事をした。――しかしどれも長続きしなかった。気が付くとシャーロットは黄色い声と野太い歓声に囲まれ、校内を逃げ惑う羽目になっていた。

 シャーロットは呆然とした顔でぼやく。

「一体何でこんなことに……?」

 見兼ねた後輩が救いの手を差し伸べてくれて、シャーロットはグリフィンドールの塔の古ぼけた教室に身を潜めていた。レギュラス・ブラックは呆れた顔で言った。

「だって男性バージョンの先輩、ありえないくらい格好良いから仕方ないんじゃないですか。彼らは熱烈なファンですよ、ファン。うちの兄にもいたでしょ、ああいうのが」
「シリウス、いつも平気そうな顔してたけどあれってこんなきつかったんだ。知らなかったなあ……」
「いや、多分あの馬鹿は率先して女性をたぶらかしにいってるので全っ然苦痛に思ってないと思います」
「でも私、仕事したいよ!みんなの力になりたいよ!」
「さっきナルシッサに『シャーロットは座ってるだけで良いのよ。それがお仕事よ』って言われてましたね……」
「ナルシッサ先輩がお手上げならもうどうにもできないじゃん……」

 シャーロットがめそめそと涙を流す。
 その時だった。入り口のバリケードが音を立てて崩れ落ちて、レギュラスは箒を掴んだ。いざとなったら箒でシャーロットを逃走させる、そういう計画だった。

「どうにもできない。本当にそう思うか?」
「兄さんッ……?」

 バリケードを踏み越え現れたのは、レギュラスの憎き実兄――シリウス・ブラックだった。
 その視覚的衝撃に、レギュラスは目を疑った。

 シリウスはグリフィンドールのローブの下に、ホグワーツの制服を着崩していた。素行の悪いシリウスも、ホグワーツの生徒だ。ちゃんと制服も着るし、ローブだって着る。一切合切着崩すけど。
 レギュラスが驚いたのは、兄が履いている灰色のプリーツスカートだった。――ホグワーツ指定のスカートを、彼の兄はこともあろうに膝上15cmまで短くしているのである!
 レギュラスは叫んだ。

「こ……ッ、んの馬鹿兄!スカートは膝下が規則でしょう!やはりあなたはブラック家の恥だ!」
「うるせえ!ボインでセクシーな姉ちゃんを抱けねえなら俺がボインでセクシーな姉ちゃんになるしかねえって気付いちゃったんだよ!」

 ジェームズはシリウスの後ろでげんなりとしている。……シャーロットはレギュラスの後ろから、ジェームズに口パクで尋ねてみる。

「ねえ、シリウスは何を言っているの?」
「僕は理解を諦めたよ」

 ジェームズが口パクでそう答えて、ふるふると首を振った。

「もう俺はキレーな姉ちゃんは抱けねえんだ!なら俺自身がキレーな姉ちゃんになってここのトップを目指す!――なあレギュラス、お前もそろそろ諦めろ。俺たち、やっぱり美形の血が入っちゃってんだよ。男でも女でも、性別関係なく美人になっちまうんだよ。じゃあおいしく調理しなきゃもったいねえだろ……」

 シリウスが泣き崩れながらそう訴えた。シャーロットは口パクで「どうしたの?」と尋ねた。ジェームズも口パクで「わからない」と答えた。ーーまあとにかく、この性別逆転の呪いは半年で解けるとさっきダンブルドアが説明していたので、シリウスが全校集会の話を一切聞いていなかったことはわかった。逆にそれしかわからなかった。シャーロットもジェームズ同様、シリウスの主張を理解することを諦めた。
 ――一方兄の涙を見たレギュラスは、困惑した表情で口を開く。

「い、いえ。兄さん、それは構わないんですが。そういうの、個人の自由でしょうし」
「は?」
「――ただ、あなたの容姿にその服装を組み合わせると、ただのベラトリックスなので」
「え……?」

 シリウスは動きを止めた。レギュラスは思慮深そうな顔で「ええ」と頷いた。

「どこからどう見てもホグワーツ時代のベラトリックスでしょう、今の兄さん。長い髪を下ろして、ローブも制服も着崩して」
「ベ、ベラ……?俺、ベラトリックスなの……?」
「ええ、今の兄さんはベラトリックスそっくりです。やはり血は争えませんね。女性版の兄さんは、ベラトリックスなんですか」
「え?……え、え……い、嫌だ」

 シリウスは顔を青くすると、勢いよく教室を去って行った。トイレで服装の乱れを直すつもりなのだろう。相変わらず台風みたいなシリウスに、シャーロットは呆れつつも、妙な慈愛の感情が芽生えてしまうのを感じた。

「で、本題は何です」

 深く溜息をついてから、レギュラスがそう切り出した。
 そうだった。わざわざバリケードを破壊してまでシャーロットたちのもとへやってきた彼らのことだ。シリウスの「てっぺん獲ったる」宣言はただの前座なのだろう。……前座にしては濃すぎた気もするが。
 ジェームズの眼鏡が妖しく光りを反射した。にやり、と微笑みを浮かべる口元に、レギュラスは警戒するようにシャーロットの前に立ちはだかる。

「ファンクラブだ」

 ――ジェームズはそう短く言った。
 レギュラスが凄む。

「ファンクラブ?」
「そうだ。ベイカーのファンクラブを作る」
「ま、まさか……、――フン。なるほど。秩序を作るということか」
「ご名答。さすがブラック家のご子息だ」
「ッ……それは、どうも」

 目の前で交わされるとげとげしい言葉のキャッチボールに、シャーロットは目を白黒させる。

「ね、ねえレギュラス。どういうこと?」
「この腹立たしい眼鏡の男が言うことには、ですね。――とにかく先輩の公式ファンクラブを作って、生徒たちの行動を統率するんです。ほら、ファンクラブにはクラブ規則があるでしょう?そこでいろいろとみんなの行動を制限すればいい。たとえば、先輩がお仕事をされている間はファンサービスを求めてはいけない、とか」
「えーっと……なるほど。合理的ね。でもね、レギュラス。私のファンクラブなんて作って、人が集まるかな?」

 シャーロットが心配そうな顔で尋ねると、レギュラスはキッとシャーロットの手を掴んだ。

「そろそろ先輩はご自身の魅力を自覚されるべきです!!僕はセブルス先輩と常々言い合ってきましたが、先輩は実に!実にお美しい!!その流れるような銀髪はこの世のありとあらゆる祝福が与えられており女神の愛が満ちた瞳は世界の果ての空と海が混じり合って白く美しい肌には林檎のような赤みがさして、」
「……ねえベイカー、君の後輩大丈夫?」
「……ちょっと変わってる子なんだけど、でもすっごく良い子よ……」
「吟遊詩人とかテレビショッピングの販売員とか向いてるんじゃない、彼」
「おーい馬鹿レギュラス!これでどうだ!」

 ――レギュラスの暴走を止めたのは、意外にもシリウスだった。スライディングで教室に乱入してきたシリウスは、きっちりと制服を着こなして、下ろしていた髪をゆるくハーフアップにまとめている。レギュラスはそんなシリウスを見てリュートを下ろすと、冷たく言い放った。

「ま、良いんじゃないですか。知りませんけど」
「な、んだとお……!?」
「まあまあまあシリウス!もうやめなって」

 ブラック兄弟は仲が悪い。口が悪い上に素直になれない性格の弟の方もどうかと思うが、売り言葉に買い言葉で弟の喧嘩に乗ってしまうシリウスもシリウスだとシャーロットは呆れる。――しかしシャーロットは、勝ち誇った笑みを浮かべたレギュラスが、ぼそっと呟いた言葉を偶然聞いてしまった。

「――規則は絶対、守らないとね」

 ……絶対にこの後輩には逆らうまい、とシャーロットが心に決めた瞬間だった。

トワレの小瓶
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