5.現実ほど夢みたいなものはないよ

「あらシャーロットにセブルス、おかえりなさい」

 寮に戻ると暖炉の前で、ナルシッサが優雅に紅茶を飲んでいた。
 行儀よく揃えられた長い脚、良家のお嬢様らしくピッと伸びた背筋。高貴な生まれのお手本みたいな存在感に、セブルスはたじろいでしまう。

「今ルシウスがお風呂沸かしてくれてるの。――ねえ、セブルス。もしかしてあなた、今日一日中ずーっと抱っこしてもらってるの?」
「な、違っ……!お、下ろせシャーロット!」
「えー」
「えーじゃない。君も腕、疲れただろ!」
「大丈夫!わたし、力持ちだから!」

 確かに、大広間から地下牢まで走ってきたというのにシャーロットの顔には一切疲労の色がなかった。むしろきらきらして見える気もする。
 同じことを性別逆転前のセブルスが試みたとしても秒でへたってしまうのが目に見えているので、セブルスは非常に複雑な心境になった。

 とはいえ。
 ふんすふんす!とセブルスの顔を舐めまわさんばかりに愛情を振りまくシャーロットの頭と尻に犬のそれがちらつく。そういう問題じゃない、と口を開きかけたセブルスは思わず「うぐ」と言葉に詰まった。

 ホグワーツの敷地内で時折見かける黒い犬は野蛮の限りを尽くしたように獰猛で、セブルスに対してあからさまに敵意をむき出しにしていたものだから、セブルスは犬という生き物を毛嫌いしていたきらいがあった。
 ――しかし、だめだ。この誇らしげなくるくるした瞳に見つめられると、じゅわりと甘いなにかが心の中に生まれてしまう。なんだ、あれだ。何というか、きゅんきゅんしてしまう。
 これが噂に聞く母性本能というものなのだろうか。

「羨ましいわあ」

 ナルシッサが頬に手を当てため息をついて、セブルスははっとして顔を赤らめる。暴れるようにしてシャーロットの腕から抜け出した瞬間、――シャァッ!と激しい衣擦れの音とともにルシウスが談話室に滑り込んできた。

「シシー!今お姫様抱っこしてほしいって言った!?言ったよね!?私、出来るよ!力持ちだもの!してあげようか!?」
「あなた、どうしたの。その瓶貸してごらんなさい」
「うん?これはな、新品の入浴剤なんだがやけに固くて開かなくて」

 結婚後も相変わらず二人はラブラブなようであった。ついでにルシウスのポンコツぶりも健在なようであった。一日中スラグホーンにこき使われたルシウスは、すっかり自棄になってしまったらしい。彼の纏う、真っ青な生地に真っ白な二本線がくっきり入った上下ジャージが目に痛かった。少しドン引きしたような表情のシャーロットが「芋ジャージだ……」と呟くのが聞こえた。

「あらあらルシウスったら。ふふ、力持ちなんじゃなかったの?」
「え!そ、それは……う」
「もう。中身は昔から可愛らしかったけれど、身体までずっと愛らしくなっちゃって」
「シシー……頑張ったんだ。頑張ったんだけど、開かなかったんだ」
「本当にあなたって人は。やっぱり私がいなきゃだめね」

 まずい。非常にまずい。目の前の空気がピンク色に染まりつつある。シャーロットなんて顔を赤らめて絨毯の蛇の模様の数を数えだした。

「セブルス、絨毯に蛇147匹いたー」
「惜しいな、152匹だ。もう一度数え直してみろ」
「……」
「……」

 ――卒業生たちの堂々としたいちゃつきに、さすがのセブルスも我慢の限界が来た。セブルスはかなりわざとらしく「エフン!」と咳払いする。何とは言わないがこのまま突入されても恥ずかしくなるのは後輩側なのだ。何とは言わないが。

「うげ!――セ、セブルスとシャーロット。いつからそこに」
「いつからって最初からいましたけど」
「の、覗き見とは良い趣味をしてるじゃないか……!」
「突然乱入してきた分際で何を言ってるんですか」
「いやでももうちょっと空気読んで出てくとかあるだろ?」
「……。家に帰れ」
「わー!シシー今の聞いた!?女の子になってもセブルス怖いよ!助けて!」
「ナルシッサ先輩、ココアクッキーたべますか?」
「ありがとう、いただくわ」
「……。ねえシャーロット、私にもちょうだい」
「シャーロット、無視していいぞ」
「うーん。じゃあこの割れたやつの小さい方あげる」
「お前たち、私のこと舐めすぎじゃないか……?」

 ルシウスの両手がぷるぷるしだしたその瞬間。ちょうどタイミングよく談話室の入り口が急に騒がしくなる。ようやく正気に戻った生徒たちが、混沌と化していた大広間から帰還してきたらしい。

「あれ、ルシウス。いたんですか」
「レギュラスお前も、うっ……!?」

 法被やらうちわやらペンライトやら、ありとあらゆる応援グッズの入った紙袋を抱えたレギュラスがけろりとした顔で会話に加わってくる。ルシウスは何か言い返そうと意気込んだ様子だったが、ふとレギュラスの手元のカオスさに気が付いたらしい。諦めたように静かに後ずさりした。
 レギュラスと従兄弟関係であるナルシッサはというと、そっぽを向いて紅茶を飲んでいる。彼女の中で、レギュラスの奇行の『形跡』は無かったことにされたようだった。

 ――セブルスとシャーロットは同時に顔を見合せた。なんとなく面倒な予感がしたので、二人はレギュラスを連れてセブルスの部屋に移動した。

「あ、そうだ。お二人が大広間を出て行った後に、校長から今後について話があったんです」
「そうなの?なんて言ってた?」
「今年度に限り、自宅から授業を受けることができる体制にするみたいですよ。さすがに保護者からクレームが来たらしくて、職員室は今ふくろうの羽とフンだらけで大変だって嘆いてました」
「そっかあ。まあさすがにねえ。時間が経つと元に戻るとはいえ、身体のことだもんね」

 シャーロットがばふん!とセブルスのベッドに倒れこむ。長い脚がじたばたと動いて危なっかしいので、セブルスはシャーロットの身体ごと向こうの方へ押しやった。

「明日の11時に臨時のホグワーツ特急が出るみたいですよ。お二人はどうします?」

 どこから持ってきたのか、レギュラスがティーセットで紅茶を淹れ始める。

「僕は帰らない」
「でしょうね」
「セブが帰らないなら私も帰らなーい」
「でしょうね〜」
「レグは?残る?」
「勿論残りますよ」
「やった!レグいないと寂しくなっちゃうもんね」

 おそらくレギュラスは、兄のお目付け役としてホグワーツに残るよう両親に言われたのだろう。
 ――いろいろと思うところがあったらしく、セブルスとシャーロットの返答を聞くまで張り詰めた表情を浮かべていたレギュラスが、安心したようにほっと笑みを浮かべる。

「でも残るにしても服とかどうしようねー。私、すごく背伸びちゃって。――ほら、見て。長ズボンなのにこんな足見えてんの」

 シャーロットは気を遣って話を変えることにしたらしい。セブルスも、ブラック家のことを考えるとあの憎たらしいレギュラスの実兄の顔が頭に浮かんでしまって大変腹立たしいので、シャーロットの会話に乗ることにした。

「掲示見なかったのか。明日の午後、事情を聞いたダイヤゴン横丁の店がいくつか出張販売に来てくれるらしい」
「へえーそうなんだ。ありがたいねえ」
「下着は今夜、入浴前に配布されるみたいですよ」
「おお、そうなのか?」
「ホグズミードの『グラドラグス魔法ファッション店』が無償で送ってきてくれたみたいです。……でもあそこの店が売ってるのって魔法の服ですよね?」
「魔法の星で点滅するパンツとかだったらどうしよ」
「もうそれノーパンで寝るしかないですよ、ノーパンで」
「……」
「……」
「……」

 下着問題にぶちあたって、ようやく三人は神妙な顔になる。
 セブルスはほぼ半日医務室で寝ていたし、シャーロットはなんだかんだ教員の手伝いをしたり熱烈なファンに追われたりで忙しかったので、自分の身に起きたことについてじっくり考える暇がなかった。同じくレギュラスも、シャーロットの逃走の手引きをしたりシャーロットのファンクラブ活動に精を出してみたりして、直面している問題をわざと考えないようにしていた。

 わけもなく、三人は顔を寄せ、声をひそめる。

「……ねえシャーロット先輩。トイレ行きました?」
「……えっとね、……行った」
「大丈夫だったのか。そ、その。ちゃんと出来たのか?」
「座って、座ってね!でもなんか、その、どうしてもさ、見なきゃ出来ないじゃない?だから……うん」
「……まあ自分の身体ですしね」
「無理言って個室の外までリーマスについてきてもらったの。でも、途中で追いかけてきた子に見つかっちゃって。もう仕舞うので精一杯で……」

 いかにも絵本の中の王子様、といった見た目の灯希が、かわいらしい仕草で「きゃー」と赤くなった顔を覆う。

「あんまり急がない方がいいですよ、特にズボンにファスナーついてる時は」

 そうアドバイスするレギュラスの顔は気圧されそうになるくらい真剣である。

「え、どういうこと?どうして?」
「だから、つまりあれがそれで……」
「ひーー!?」

 ーーえっと。そうか。そう……なんだよな。
 突然シャーロットの身体についているのであろう『ソレ』を意識してしまって、セブルスはあわてて頭を振った。……しかし意識しだすと言うことを聞かなくなるように頭は作られているらしい。妙に生々しい想像がセブルスの頭を占拠して、セブルスはため息をつく。――シャーロットの付属物とはいえ、何が悲しくてナニの想像をしなければならんのだ。

「で、ねえレグはレグは?」
「行、きましたよ。そりゃ。飲めば出るし食べれば出ますよ人間だもの。……変な感じしました。とっても」
「僕はまだだ……」
「ああ……」
「生理用品も替えなければならん……」
「あああ……」

 絶望。その一言に尽きた。
 ぽん、とシャーロットとレギュラスがセブルスの肩をたたく。二人はすでに試練を乗り越え、悟りの境地に至っていた。セブルスはいろんな感情がないまぜになって、ここにきてはじめて泣きたくなった。

「――ていうか下着ですよ下着。サイズ展開とか細かくあるんでしょ。あれ、どうやって選んだらいいんです?」
「あーブラ選ぶの確かに難易度高そう。レグ今どうしてるの」
「とりあえず包帯で巻いてます」
「そうねえ。私はサイズ図ったりとかも、基本店員さん任せなんだけど……」

 うんうんと大真面目に頷くレギュラスに会話を任せ、ーーセブルスは自分の胸を初めて意識してみる。
 生理の衝撃が大きすぎたというのもあるが、……多分、違和感を感じるほど脂肪がついていない、のだと思う。
 だから、今の今まで気にならなかった。……のだと思う。

 妙にぺったりしている胸元は、いわゆる『無乳』というやつだろうか。
 いや別に残念なわけではない。見た目の性別が変わっても、セブルスの性自認は男性だ。それに、この身体は紛れもなく自分自身のものである。自分の身体に興奮する趣味は持ち合わせていないので、特に問題はない。……はずだ。
 なのに、なんだ。じわじわと心を侵食する、この虚しさは。


 以前、「胸のせいで肩が凝る」という話をしているシャーロットとリリーに出くわしかけたことがある。――なんとなく異性としての気恥ずかしさと気まずさを感じてしまって、しばらく二人に声をかけることができなくなった。シャーロットにはとても不審がられて、リリーとは本気の喧嘩に発展しかけた。

 セブルスはシャーロットの胸元をそっと覗き見る。呪文で上下に伸ばしたらしい不格好なTシャツの下には、引き締まった筋肉の存在が見て取れた。
 対して背丈だけはまあまああったものの、不健康なほど痩せて、まともな筋肉もついていなかった自分である。

 個人差や男女ごとの体つきの違いなどまあ色々あるにせよーーおそらく『性別逆転の呪い』の前と後で、体型に大きな変化が出ることはないのだろう。
 そう考えると豊かなバストを望むなんて烏滸がましいなと納得してしまう。いや別に望んでない。望んでないが。

 セブルスは隣に座るシャーロットの肩にがっくりと頭を乗せた。

「……すまないシャーロット」
「セブ?」
「君のことを理解しようと思っていたんだが、こればかりは無理だった」
「え、なに!セブ、急にどうしたの!?」

 事情を察してくれたらしいレギュラスが「……先輩、聞かないであげてください」と消え入りそうな声で言った。




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 スリザリンは「よ〜し考えないようにしよう!」がうまいイメージ。人はそれを現実逃避と呼ぶ。
 スリザリンズがきゃっきゃうふふしている間に、たぶんグリフィンドールは地獄の地獄みたいな展開になっている。そうだよね、ジェームズ。ヘケッ。

トワレの小瓶
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