君に降る雨はいつだって


 シャーロット・ベイカーと初めて会ったのはホグワーツ特急のコンパートメントの中。わんわん泣きながら列車の通路の隅にうずくまっていた彼女を、優しいリリーが拾ってきたのだ。日本生まれ、イギリス人と日本人のハーフだという彼女はリリーに負けず劣らず美人で、赤く染まった目尻すらも僕の瞳を惹きつけた。可愛いリリーが彼女に寄り添ってこぼれる涙をハンカチで拭き取ってやる様は、さながら昔一度だけ見た女神の絵のように欠点ひとつなくうつくしくて、神々しくて、この空間を切り取って永遠に保存できる能力が僕にあったらと切に願ってしまうほどだった。

「セブルスは少し不愛想だけど、いい人よ。セブ、シャーロットをよろしくね」

 グリフィンドールに組み分けされたリリーがそう早口でまくしたてていく。僕は見慣れたリリーの後ろ姿が雑踏の中へ消えるのを、呆然と見送った。リリーがグリフィンドール?まさか。ずっと一緒にいられると思っていたのに。……もしあの時ポッターが邪魔をしてこなければ、リリーもスリザリンに入ってくれたかもしれない。仄暗い憎悪が心臓を蝕んでいく。ポッターが憎い。リリーがあんな無礼で野蛮なやつと7年間も同じ寮で過ごさなきゃいけないのだと考えるだけで、頭がおかしくなりそうだった。

「セブルス、あっちにゴーストがいたわ!追いかけてみない?」

 ふわふわと揺れる銀髪の襟首を掴みながら、僕はため息をついた。能天気なシャーロットが今はなんだか恨めしかった。

「リリーに頼まれたから仕方なく、君の面倒を見てやるんだ。分かったか?」

 僕がそう冷たく言うと彼女は少しキョトンとした後、けらけらと笑った。何がおかしいのか全然理解できなかったけれど、鈴のような声がきれいだと思った。まったく、君なんてリリーのおまけに過ぎないのにどうして僕が。いろんな気持ちでぐちゃぐちゃになりながら、楽しそうに拙い英語でぺちゃくちゃ話すシャーロットの手を引いてやる。人形のようにきれいな顔をした彼女の手は、思いのほかほんのりと温かかった。



 図書館からの帰り道、雨の降る中庭に突っ立っているシャーロットを見かけた。姿が見えないと思ったら、傘もささず外にいるだなんて。しかし常日頃の彼女の奇行と比べてみれば、蝙蝠の糞を大量に畑へぶちまけたり怪しい魔法薬をトイレで爆発させたりしてないだけ、まあいくらかマシだ。今日は一体何をしているんだと大声で尋ねてやりたかったけど、何やら様子がおかしくて思いとどまる。……まさか、泣いてる?僕はたまたま通りかかったスリザリンの下級生に借りた本を任せて、ばしゃばしゃと水たまりを蹴って彼女のもとへ駆け寄った。目のまわりが少し赤い。髪の毛も制服も何もかもがびしょびしょで、ずっと冷たい雨の中にいたはずなのに、彼女のうつくしさは相変わらずだった。そうなのか。雨に降られても、凍えるような寒さの中にいても、君は永遠にうつくしいままなのか。僕は彼女の横顔をずっと眺めていたい気持ちに駆られたけど、ぐっと我慢して防水魔法をかけた自分のローブを彼女の頭にかぶせてやる。こちらを振り向いた彼女の瞳はやっぱり涙であふれていて、どこか遠いところを見ているようなうつろな目をしていた。

「……何してるんだ、君。風邪、引いちゃうじゃないか」

 少し灰色がかった青い瞳から大粒の涙がこぼれおちる。僕はびっくりして息をのんだ。びしょぬれのまま泣く彼女はすこしおとなびて見えて、僕は涙を拭ってやろうとしていた右手をぎこちなく下ろしてしまう。

「……どうした。何か嫌なことでもあったのか?」
「海がわたしを呼ぶの。もう二度と戻れないってしってるくせに、何度も何度も」

 こんなふうに彼女は、たまに不思議なことを言った。僕は彼女の頬を流れていく透明なしずくを凝視する。彼女は、僕に見えていない何かが見えてしまっているらしいということだけはただなんとなく分かった。
 僕たちはしばらく無言で俯いていた。雨がしとしとと降る音だけが、しずかな世界を包み込んでいる。



 天文学の授業の帰り、こっそり列を抜け出した白い脚がひと気のない階段の方へ消えるのを見て、僕は彼女のあとを追った。どこからか狼の遠吠えが聞こえる。いつものように真鍮の取手を引くと、松明に照らされた広い部屋が現れた。
 ふかふかなベッドに横たわる彼女の姿は、窓から差し込む満月の光も相まってどこか遠い世界の女神のように見えた。今朝結ってやった髪の、深緑色のリボンが風に揺れる。僕は彼女の隣に黙って腰を下ろした。物憂げな青い瞳も、小さな肩に広がるウェーブのかかった銀髪も、制服のスカートからすらりと伸びる脚も、少し目立ってきた胸のふくらみも、僕の手に絡められた細い指も、すべて計算しつくしたようにうつくしかった。

 大きなベッドに寝ころびながら、僕たちはただそっと寄り添っていた。入学したての頃あんなにおしゃべりだったはずのシャーロットはこの頃めっきりおとなしくなってしまって、それがさらに彼女の魅力を際立たせているような気がした。男子生徒の下世話な噂も、邪な視線もすべて気に障った。芸術のようにうつくしい彼女の儚さが汚されてしまうのが我慢ならなかった。

 それなのに今、花の蜜みたいに甘い涙が、月に濡れた赤い唇が、ふれたら止まらなくなってしまいそうなやわらかなからだが、僕の思考をじわりじわりと奪ってゆく。

「セブ、ずっと傍にいて」

 溶けて消えていってしまいそうな声が小さくそう言ったものだから、僕は堪えていた熱をため息と一緒にゆっくり吐き出しながら、掠れた声で答えた。

「……君が、そう望むなら」

 僕は狡猾なスリザリンだ。リリーと仲の良い君といっしょにいれば、リリーは僕のことを見てくれる。僕が君と一緒にいる理由なんて、それだけのはずだ。そうだろ?



君に降る雨はいつだって
そうして今日も僕たちは想いを飲み込んだままキスすらできずに、指を絡ませてまどろみに身を委ねる。忘れてもいいと嘘を吐きながら。