でられません!

 ピーブズのいたずらで例の部屋に閉じ込められちゃった話。





「どうやら……閉じ込められたみたいだ」

 セブルスが憎々しげな表情で舌打ちをしながら、ガタガタと扉を揺らした。

「えー!!そんなぁ……」

 シャーロットは『上級魔法薬学』を片手にがっくりと肩を落とす。
 ピーブズに追いかけられて慌てて逃げ込んだこの部屋には何やらいわくありげな魔法道具があちらこちらに散らばっていた。シャーロットは床に広げられた図面を踏まないように気をつけながら、そっとあたりを見回してみる。

「何か鍵とかが……必要なのかしら?」
「入るだけじゃなくて出ることも前提に作られてる部屋なら、探せばあるかもな」

 棚に並べられているのが不思議な形の魔法器具であることを除けば、部屋はさながら小さな図書館のようであった。シャーロットは銀製魔法器具を覗き込みながら、ダンブルドアの校長室にも同じようなものがあったのを思い出す。

「閉じ込めるための部屋だったら、お手上げってことよね」
「……もしそうだったらどうする?」
「……あー、そうね。とにかく私たちの幸運を祈るしかないんじゃない?」

 午後の授業が始まるチャイムが遠くから聞こえた。セブルスがガチャガチャと魔法器具を机の隅に押しやる。ぼんやりと埃が舞った。

「……残念だけど、魔法薬学の授業は諦めるしかなさそうだ。でもスラグホーンがきっと、僕たちがいないことに気が付いてくれる」

 シャーロットはおそるおそる床に積み上げられた分厚い本を摘む。パラパラとめくると、予言と月の関係がビッシリ図とともに解説してあるのが見えた。

「とりあえず手分けして部屋を探そう」
「……ねえセブルス。もしここが呪いの道具を保管する部屋って可能性は……」

 セブルスは一瞬黙った後、ため息をついて言った。

「ここはホグワーツだ。可能性は0とは言い切れないだろう。だけどこのまま何もせずこの部屋でくたばって死ぬのと、呪いを受けて死ぬのとだったらどちらが賢明な行動かーー優秀な君なら僕が言わずとも分かるだろう?」
「申し訳ないけどどっちも嫌よ。飢えて死ぬのも、呪いで死ぬのも」
「……君って意外と臆病なんだな」

 セブルスが信じられないものでも見るような目を向けてくるものだから、シャーロットはむっとして言い返す。

「うるさいわね!あなたが無鉄砲すぎるのよ!私は石橋を叩いて叩いて叩いて渡るタイプの魔女なの!……ひゃ!?」
「はは、情けない声だなあ。ただのゴブレットだよ。呪いなんて何もかけられてない。さっき僕がちゃんと確認した……ほら、この机は僕が選別して行くから、君はあっちの本棚を調べてくれ」

 なんて人使いの荒い男だ!シャーロットは深いため息をついて、セブルスに投げて寄越されたゴブレットを少々乱暴に床の隅に置く。埃を被った赤い本を摘み出しながら、シャーロットはふとセブルスに尋ねてみた。

「……ねえ、セブルス。もしも呪いの道具に当たっちゃったらどうするの?」
「その時は……そうだな」

 セブルスがカチャカチャとペンダントをいじくりまわして言った。

「死ぬしかないんじゃないか。君と一緒に」





 幸運なことに、この部屋には呪い絡みの物は一つも置かれていなかった。しかし逆に不運なことに、部屋中くまなく探し回っても脱出の手がかりとなるようなものは何一つ出てこなかった。部屋をぐるり取り囲むように壁際へ配置された棚を片っ端からひっくり返すのにも飽きてしまって、シャーロットは床にへたりこむ。

「……ちょっと休憩しても良い?」
「……ああ。僕もご一緒する」

 セブルスもどっかりとシャーロットの横に腰を下ろす。汗だくの二人はぐったりとした体で床を見つめた。4限が始まるチャイムが聞こえる。シャーロットとセブルスは疲労困憊だった。

「……暑いな」

 セブルスがネクタイをゆるめてシャツのボタンを外した。日焼けしていない白い喉が眩しくて、シャーロットはセブルスから目を逸らす。……このままでは脱出の手がかり云々に辿り着く前に、熱中症でなんとかなってしまいそうだった。

「……そうね」

 シャーロットは短くそう返して、ニットベストを脱いでブラウスの袖を捲り上げる。ぺっとりと張り付いた前髪が不快だった。早くこの部屋から出たい気持ちでいっぱいだった。

「……ん?」
「どうかした?何か見つけた?こんなところ、早く出ましょ。暑くて身体が溶けちゃうそうだわ……」

 その瞬間、首を傾げているセブルスの目が大きく見開かれて、シャーロットはその視線の先を辿る。石造りの扉には先ほどまで存在しなかった文字のようなものが焼き記されていて、シャーロットは文字を読み取ろうと目を細めた後ーーーー顔を真っ赤にさせた。

「……なにこれ!すっごく悪趣味だわ!」
「……ああ……すっごく悪趣味だ」

 セブルスは少し居心地が悪そうに身じろぎをした。いつもは血色の悪いはずの頬に、ほんのりと赤みがさしている。

「噂には聞いていたけど。ピーブズはきっと、わざと僕たちをこの部屋に追い立てたに違いない」
「……本当なの?これって。本当に…しなきゃいけないの?」
「多分な。あ……シャーロット、泣かないでくれ。一緒に考えよう。……あー、その、性行為をしなければ部屋から出られないなんて、おかしいだろ。他の切り抜け方があるはずだ」

 セブルスが遠慮がちにシャーロットの頭を撫でた。まさか、噂の『性行為をしないと出られない部屋』に閉じ込められてしまうだなんて!シャーロットは泣きそうな顔で想い人を見上げる。困惑したように伏せられた黒い瞳には、少しだけ『男の子』の焦りの色が在った。




 誰かが助けに来てくれるのを待つしかない、という結論に至って早数時間。なかなか誰も救出しに来てくれなくて、シャーロットたちは精神的にも肉体的にも追い詰められつつあった。

「……あの文字は、きっと部屋にいる誰かが衣服を脱がないと現れないんだ。なんて悪趣味なんだ。信じられない」

 セブルスが分厚い本を読みながらブツブツ呟く。シャーロットも『不死の魔法生物と魔法薬』をパラパラめくって蒸し暑さやら空腹感やら喉の渇きやらを紛らわせようと必死に努力していた。

「……もし閉じ込められたままだったらどうしような。水は魔法で出せるけど、料理の魔法なんて一つも知らないし」
「呼び出し呪文を使うのは?もしかすると外から突き破れるかもしれないし……もしダメでも、誰かが私たちがここにいることに気付いてくれるかも……」

 セブルスがふるふると首を横に振った。

「無理だ。部屋中に制限魔法がかけられてる。部屋の中で魔法が使えても、部屋の外の空間に干渉するような魔法は使えない。……まったく、ダンブルドアはどうしてこんな部屋をホグワーツに放置してるんだ。トイレや風呂はどうする?君が痩せ衰えてボロボロになっていくのなんて僕、見たくないぞ」
「じゃあ本当に、部屋を出るには……するしかないの?」

 シャーロットは肩を落として尋ねた。セブルスが嫌いなわけじゃないし、むしろ恋愛的にもとっても大好きなんだけど、こんなところでやるところまでやってしまうのはなんだか違う気がする。なんていうか、色々すっ飛ばしすぎている気がした。

「……そうかもしれないな。だけど僕は、……こんな行き当たりばったりで適当にして良い行為じゃないと……あー、思ってる…………」

 セブルスは顔を赤くして、照れ隠しに「君もそう思うだろ、なあ」と小さな声で言った。セブルスがその悪評に反してかなり紳士的なのはもちろん知っていたけれど(シャーロットやリリーなど限られたごく親しい女子にしかその紳士的な部分が発揮されないため、彼が意外と優しくて行儀のよい男であることが周知されるのは未来永劫有り得なさそうだとシャーロットは思う)、ここまで来るともはや恥じらい方が乙女だ。

「………………あ」

 そんなことをぼんやり考えていると、あごに手を当てたセブルスが何やら真剣な顔でシャーロットの方を振り返った。シャーロットは嫌な予感がして感覚的に身構える。

「……セブ?」
「シャーロット、落ち着いて聞いてくれ」
「……なあに?」
「僕とキスをしよう!」
「落ち着いて聞けるか!」

 どうやらこの暑さで頭がやられてしまったらしい。
 シャーロットは非難するような目で、食い気味に肩を掴んで来るセブルスを見つめ返す。

「あんたって人は……本当に……あのね……殴られたいの?」
「待て、その拳を下ろして考えてみろ。……キスだって立派な性行為だ。試してみる価値はあるだろう?」

 確かに一理ある。かもしれない。ただ助けをぼんやり待つよりも、かなり合理的で筋の通った案なのではないか。そう考えると一理どころでなく百理くらいあるような気さえして来る。
 こんな誰が見ているか分からないところで処女を散らすだなんて御免だが、キス一つで部屋から出られるなら万々歳かもしれない。シャーロットの沈黙を同意と受け取ったらしいセブルスがパタンと本を閉じてこちらに身を乗り出してきた。遠慮なく縮められる距離はいつものことなのになんだか恥ずかしくなってしまって、シャーロットは少し仰け反りながらセブルスの顔を向こうへ押しやる。

「…おい」
「ちょ、ちょっとストップ。近すぎ!」
「当たり前だろ。これからキスするんだから」
「まあそうなんだけど……」

 ドクンドクンと心臓が高鳴って、胸が苦しい。期待と不安で脳みそがどうにかなってしまいそうだった。セブルスが眉を寄せて小さく聞いた。

「……嫌か?」
「……ちょっと心の準備が必要だわ」
「心の準備をしてもしなくてもどうせキスするんだ。するなら早い方が良いだろう。今ならまだ夕食の時間に間に合うかもしれん」

 なんとも破茶滅茶な理論である。本当に早く済ませたいらしいセブルスがずいと顔を寄せてきた。好きでもない女とキスをしなければならないセブルスにも同情せざるを得ないので、諦めたシャーロットはため息をついてセブルスの肩に手をのせる。しばらく至近距離で見つめあっていると、セブルスがぶっきらぼうに言った。

「……なんで目、開けたまんまなんだ」
「え?瞑るの?キス顔見られちゃうなんて恥ずかしい」
「忘れてもらっちゃ困るけど、恥ずかしいのは君だけじゃない。……なあ、僕も目を瞑るから。それで良いだろう?」
「それじゃあセブも目を瞑ってるかどうか確認する術がないわ」
「ほんと面倒な奴だな、君」

 二人は顔を傾けあったまま、鼻と鼻が触れ合いそうな距離でああでもないこうでもないと議論する。結局シャーロットがセブルスの目を手で覆いながらキスをすることに落ち着いて(どんなマニアックなキスの仕方だ、とセブルスがツッコミを入れた。そもそもこのシチュエーション自体かなりアブノーマルなものなので今更といえば今更である)、シャーロットは少し緊張しながら、そっとセブルスの両まぶたを右手で覆う。長い睫毛が手のひらに当たってくすぐったかった。

「……ほんとにするの?」

 シャーロットが不安げにそう尋ねると、セブルスが小さく言った。

「するしかないだろう。それしか手段が無いんだから」

 セブルスの手がシャーロットの身体を引き寄せた。気難しそうな顔が、形の良い唇が、ずいっと近づいて来る。シャーロットはまた気恥ずかしくなってしまってセブルスの胸をぐっと押しやって首を振った。

「ちょっと待って」
「もう十分僕は待ってやったぞ。早く腹を決めろ」
「部屋のどこかにカメラとか仕掛けてあったらどうする?」
「データ奪ってブロマイドにして高値で売り捌いてやろう。美女と野獣の組み合わせだ、きっとよく売れるぞ」
「……目を塞いでキスって、なんだかいけないことをしてる気持ちになっちゃう。恥ずかしい」
「……恥ずかしいなら、僕が目を塞いでやるよ」

 セブルスが焦れたような表情でシャーロットの視界を塞ぐ。シャーロットの抵抗も虚しく、男の子らしく筋肉のついた腕がシャーロットの腰を力強く、だけど優しく掴んだ。その感触にうっとりとした心地を覚えて、シャーロットは無意識にセブルスに合わせて顔を傾ける。

 その時。

「おーい、誰かいるのか!?いるなら返事をしろ!」

 ドンドンドン!と聞き慣れた声がドアを叩く音が聞こえたと同時に、二人の唇が軽く触れ合った。触れ合ってしまった。触れ合っちゃった。マズい!カチャリと鍵の開く音と共に、ジェームズ・ポッターたちが部屋になだれ込んでくる。セブルスとシャーロットの顔は真っ青になった。

「……え?」

 ジェームズとシリウスの表情が固まる。ピーターがヒッと情けない声を上げた。ほんの一瞬、部屋に静寂が訪れる。

「……これはどういう状況だ?スニベリーがシャーロットを襲っているのか?」

 リーマスの怒りを孕んだ声が、震えながらそう尋ねた。彼らにはセブルスがシャーロットの身体をガッチリ拘束した上、目を塞いで無理矢理キスをしているように見えているのだろう。セブルスがぎこちなくシャーロットから身体を離す。ジェームズとシリウスがセブルスに掴みかかろうとするのをリーマスとピーターが止めようとしたけれど、間に合わなかった。シャーロットはあっという間に床に組み伏せられてしまったセブルスに駆け寄って、二人を制止した。

「喧嘩は校則で禁止されてるわ!やめて……これには事情があるの!」
「……おいベイカー。何か秘密でも握られて脅されたのか?」

 真剣な表情でジェームズが尋ねてくる。シャーロットは呆れて首を振った。

「違うわよ。……授業前、ピーブズに追いかけられてこの部屋に逃げ込んだの。そしたら閉じ込められちゃって……それで……その…………この部屋は」

 性行為をしなければ出られない部屋だったなんて言いづらくて、シャーロットは顔を真っ赤にして視線を彷徨わせた。だけど、正直に答えたい。セブルスは悪くないし、それにこれは私を傷つけないよう精一杯考え抜いてくれた末の行動なのだから。

「……お前たちも噂くらいは聞いたことがあるだろう。ここは『性行為をしなければ出られない部屋』だ」
「……は!?」

 セブルスがため息をついて、シリウスの手を振り払いながら立ち上がった。ジェームズが目を白黒させながら言う。

「まさか!存在したのか、その部屋ーーーーじゃあまさか、お前、ベイカーと」
「馬鹿っ!そんなわけないだろう、キスをしただけだ!」
「キスはしたのか!」
「してたじゃないか、シリウス!君の目は節穴なのかい!?」
「キスって性行為なのか……まあ考えてみたらそうか」
「こんな下世話な話、シャーロットの耳が腐り落ちてしまうよ。君たち、もっとレディへの配慮とか、そういうものはないのかい?」

 中学生よろしく際どい話でぎゃんぎゃん言い争う三人に呆れたらしいリーマスがシャーロットの耳をふさぐ。セブルスは威嚇するように悪戯仕掛人一味を睨みつけた。

「彼女とキスをしないと、僕たちは永遠にこの部屋に閉じ込められたままだった。……信じるも信じないもお前たちの勝手だがもしお望みなら、……お前たち4人をこの部屋に閉じ込めてやろう」

 セブルスはそう冷たく言うと、シャーロットの手を取って廊下に連れ出した。

「ちょっとセブ、そういう言い方はよくないわよ」
「なんだ。君はあいつらの味方をするのか?」
「そうじゃないでしょ!こら!」

 シャーロットは迷わず部屋の扉を閉じようとするセブルスの手をぴしゃりと叩く。リーマスが静かに言った。

「分かった。僕は信じるよ、スネイプ。さあ、ジェームズにシリウス。僕たちが騒ぐことで、一番恥ずかしい思いをするのは誰だと思う?……君たちも紳士ならば、ここは彼の言い分を認めてやるべきだ」
「賢明な判断と心遣いに感謝する」

 嬉しくもなんともなさそうな顔でセブルスが鼻を鳴らした。

「シャーロット、校長室に行こう。こんな部屋がホグワーツに存在すること自体信じられん。こうなったらダンブルドアに直談判だ」
「あ、セブちょっと……」

 シャーロットは呆然と立ち尽くす悪戯仕掛人たちにごめんね、ありがとうと短く声をかけてセブルスの後を追いかけた。いつのまにか離れてしまっていた手をそっと繋ぐと、ぎゅっと力強く繋ぎ返されて、思わず頬が緩んでしまう。

「あいつらに目撃されるなんて」

 セブルスが苦々しく吐き捨てるように言った。リーマスが口止めしてくれそうだけど、相手はあのジェームズとシリウスだ。数日もしないうちに噂は広まってしまうだろう。

「……ごめんね、セブ。もっと他の道を通っていればこんなことにはならなかったのに」

 罪悪感を感じてシャーロットが謝ると、セブルスが険しい顔のままコツンとシャーロットの頭を小突いた。

「君が謝る必要はないだろ。むしろ僕が…………君に、また迷惑をかけてしまう。すまない」

 僕とキスをしただなんて気持ち悪がられてしまうだろうな、とセブルスは無表情のまま言った。シャーロットは少し悲しくなってしまって、ぽろりと本音をこぼしてしまう。

「私は、嬉しかったけど…………あ」
「え?」

 セブルスがびっくりした顔で立ち止まった。

「君……今、なんて?」
「な、何でもない!忘れて!」
「忘れられるもんか。ほら言ってみろ。今なんて言った?」

 セブルスはニヤニヤとした表情でじりじりシャーロットを追い詰める。不審者として通報されかねないその姿勢に、シャーロットは顔を引きつらせて逃げ惑った。

「セブルス嫌い!こっち来ないで!」
「嫌……ッ!?なっ……ごめんって!待てよ!機嫌直せって、おい!」

 僕も、君みたいなかわいい女の子とキスが出来てすごく嬉しかった、という言葉は永遠に喉奥へ仕舞い込まれてしまった。セブルスは駆けてゆく少女を渋い顔で追いかける。

「シャーロット!待てってば!」




 ーーーー次の日、セブルス・スネイプはシャーロット・ベイカーのストーカーであるという不本意な噂が流れてしまったのは言うまでもない。