2.絡まる吐息がほどけない

「……げ!?」
「……うわ!?」


「…………え……?」

 ――応援席。右腕を大和、左手を成樹くんに掴まれて、わたしは硬直していた。隣に座る春菜も困惑した表情で固まっている。

 話は数十分前に遡るーー。





*



「あっちーなマジで。こんな暑い中体育祭とか狂ってんだろ」
「ほんとにねー。……って、ぎゃー!砂嵐!大和っ!盾になって、盾っ!」
「あん?ふざけんな誰が盾だっ……、ぐわああ!?目が!目がァ!」

 まさに体育祭日和としか言いようのない雲一つない青空の下、わたしと大和と成樹くんは応援席の片隅を陣取ってスポドリ片手にぐだついていた。不思議なことに、高校生にもなると学校行事といった類のものは大抵生徒の自主性が大幅に試されるものに変化する。そういうわけでわたしたち怠惰三銃士は、見事なほどに体育祭への体育祭へのやる気がフライアウェイしてしまっていた。高校生あっぱれ。

「お。借り物競争あっちに集合だってよ。大和行こうぜ」
「え?何で?」
「何でって大和、あんた借り物競争出るんでしょ」
「そーだっけ?そーだったかも」
「やる気なさすぎだろ。勝負しよーぜ。先にゴールしたやつがアイス奢り」
「乗った。成樹絶対ボコす」
「いいなーわたしもアイス食べたい」
「成樹、俺勝ったらあきにもアイスな」
「んだよそれ。まあいいけど」

 じゃあいってくる、と大和が立ち上がってわたしの頭をわしゃわしゃと撫でた。成樹くんはドン引きした顔で大和を凝視した後、諦めたようにため息をついてわたしとグータッチする。くだらない言い合いをしながら待機テントに向かう二人を見送って、暇になったわたしは春菜の姿を探した。

「あっあき!いたいたー。って、ちょ……」
「春菜!おつかれさまー」
「髪の毛どうしたのー!」
「え?」

 わたしたちがぐだついてる間、真面目に競技に参加していた春菜が心配そうな表情でわたしの髪に触れる。あ、そういえばさっき大和が、と口に出すと春菜の頬がぽっと赤らんだ。最近この親友は不肖の従兄のことが気になっているらしい。

「……あ!そういえばね、あきにおすすめのヘアアレンジがあるの。フィッシュボーンっていうんだけど」
「フィ……?さかなの、骨?」
「似合うと思う。せっかくだからやってみてもいい?」

 応援席の奥の水道。春菜はしっかり手を洗うと、ぐしゃぐしゃになったわたしの髪を丁寧に櫛で整え始めた。渡された手鏡の中で、春菜の細い指が器用に複雑な三つ編みを編み込んでいく。――水道のへりに座った数分後には、それはもう見事なヘアスタイルが出来上がっていた。

「春菜、すっごーい!」
「ふふ、絶対似合うと思ってたの。はちまき貸して。こうしてね、頭の上でリボン結んだりして」
「わー!かわいー!」

 その時、パパンと校庭の方からピストルの音がして軽快な音楽が流れ始めた。借り物競争が始まったらしく、応援席の生徒たちも興味津々で競技の様子を見守っている。

「春菜、大和と成樹くん見つけよ!」
「えっ、どうして?」
「なんかどっちがゴール早いか勝負するんだって」
「そうなんだ。あ……大和くん、あれじゃない?」

 春菜が指さした方向には確かに大和がいた。さっすがぁと春菜を小突くと、春菜は恥ずかしそうにわたしを肘でつつき返す。どうやら大和は小さな紙を片手に、必死の表情でうろうろと何かを探しているようだった。背が高くて体格の良い大和は遠目から見てもちょっと目立つ。アイスのためにも大和には是非勝っていただきたいので「大和がんばれー」と声援を送っていると、

 ばちっ

「え?」

 思いきり目が合った。

 あー!とわたしの方を指さした大和は、猛烈な勢いで応援席の方へ走り寄ってくる。普通に怖い。ガタイの良い人間に狙われるのって怖い。大和はそんなわたしの心境などお構いなしに、応援席前のカラーコーンを飛び越えてわたしの左腕を掴もうとーー

 パシッ

 ぐいっと右手が引っ張られて、わたしは目を点にした。

「……げ!?」
「……うわ!?」

 成樹くんだった。大和と成樹くんは、わたしを挟んで緊張した面持ちのまま対峙しあっている。困惑した顔の春菜が「えーっと……」と切り出した。

「やっぱりここは……じゃんけん?」
「――最初はグー!」
「ぐほぉ!?やったな大和!」
「あぶっ!……コノヤロー表に出ろ!アイスはおめーのおごりだ!」
「先に手ぇ出したのはテメーだろうーが馬鹿!ハーゲンおごれよ!」
「ちょっ……二人ともやめなさい!!こらー!!」
「瀧本、四宮やめろって!」

 あわててクラスの男の子たちが仲裁に入ってくれたけど、二人はずるずるとひきはがされながら手負いの獣みたいな目で睨みあっている。勝負への執着……というよりアイスへの欲求が二人とも強すぎるのではないだろうか。普通体育祭でこんな熾烈なバトル、起きない。しかも争いの種はアイス。ばかなのか。仕方がないので、わたしは砂だらけになった大和と成樹くんの背中をばしばしとはたいて、落ちている二枚の紙を拾い上げた。

「あーもうくしゃくしゃじゃん。どっちがどっち?」
「……ゴメン、あき。えっと……」
「あ!――お兄ちゃーん!あきちゃーん!」
「っ!?」

 ばっ!と大和が声のした方向を振り向く。応援席の外側、保護者の観覧スペースには、小学生くらいの女の子が三つ編みを揺らしながら元気いっぱいに手を振っていた。

「ま、まーちゃんっ……」
「――まさきィィィィィィィ!」
「わ!?ちょ、大和っーー!?」

 ――お題の内容は『三つ編みの人』と『かわいい人』だったと思う。大和はノールックで『かわいい人』と書かれた紙ををわたしの手からもぎとると、猪突猛進の勢いでまーちゃんの方へと走っていった。大和に勢いよく抱き上げられたまーちゃんは、「きゃははは!お兄ちゃん!」と天真爛漫に笑い転げている。

「まーちゃん来てたんだ。……じゃなくて!あき、行こう!」
「……あ、うん!そうだった!えーっと、どこに行けば良いの?」
「校長がいるど真ん中のテント。大和のバカが正気にかえらないうちにゴールしないとーー」

 応援席のスズランテープを乗り越えて、わたしと成樹くんは必死で走る。テントまであと半分というところで突然わっと歓声が上がったかと思うと、地面を蹴る凄まじい轟音が聞こえてきた。嫌な予感しかしない。わたしは一瞬後ろを振り返って、顔をひきつらせた。

「い、いやあああああ!?やまっ、あっ、な、成樹くん!大和が!大和がぁ!」
「振り向くな!今の奴の姿は人間の恐怖心を煽るだけだ!」
「きゃああああ!こわいこわいこわい!!えっ!?まーちゃんあぶな、ええ!?」
「あき、手出せ!」

 ぐい、と成樹くんがわたしの手を引く。テント前に設けられたゴールテープはすでに切られていたけれど、この二人の勝負にはそんなものは関係ない。――勝負を生温かい目で見守ってくれていた雅道さん曰く、成樹くんがゴールを越えるのと、まーちゃんを抱きかかえた大和が白線の内側に滑り込んだのは同時だったらしい。

 息を切らしながら、成樹くんと大和が同時にお題用紙をビッと突き出す。校長先生は冷静な声で「同率ですね」と言って、まず大和の方の紙を広げた。マイクを持った体育祭委員の女の子が大和に駆け寄る。

「二年の年の四宮くん、瀧本くんは同率で三位ですね!まず、四宮くんが借りてきたのは、えっと……」
「借りてきたっつか元から俺のっすね」
「は?」

 思わぬ爆弾発言に、思わずわたしは大和の膝裏を蹴る。しかし妹を全校生徒に自慢できる喜びに浸っているらしい大和は、これ以上ないような幸せそうな表情で頷いた。

「……あ、ああ!もしかして妹さんですか?」
「まさき、挨拶して」
「こんにちは。よつみやまさきです!」
「かわいい!これはお題通り『かわいい人』ですね!」
「え?」

 大和が目を瞬かせる。あれ?どうしたんだろう。日頃あんなにまーちゃんを溺愛している大和が、こんな反応をするわけがない。
 何かあったのだろうかと首を傾げると、成樹くんも大和と同じく困惑した表情を浮かべていることに気が付いた。その途端、わたしはある可能性に辿り着いて息をのむ。
 ……まさか。

「おにいちゃん、まーかわいい?」
「――もちろんだよ!まさきは世界一、いや宇宙一かわいいよ!頭のてっぺんから足の先までかわいいよ!不本意ながら今すぐ食っ、――ぐふッ!」

 警察沙汰にならないうちに大和にとどめを刺しておく。体育祭委員の女の子は倒れ伏した大和を怯えた表情で一瞥してから、無理矢理笑顔を作りなおして成樹くんに向き直った。

「瀧本くんのお題は『三つ編みの人』ですね。無事条件にあてはまる方が見つかったようでよかったです!」
「あっ、はい!」
「何か感想一言いただけますか?」
「えっ!えーっと、感想!――かわいいです!そうですね、三つ編みがすっごく似合っててかわいいと思います!」

 成樹くんは至極真面目な表情でそう答えてから、しまった、とでもいうような声で「……あ」と口を覆う。もうどうにでもなれ。わたしは成樹くんの横で顔を赤くしながら、観念したように俯いた。



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title:sprinklamp様

エンドロールに会いたい
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