5.まぼろしにも似た



 ロージーがあの日の『女帝』であったことが判明して以来、シリウスはロージーを避けるのをやめた。ロージーは当初は困惑して――というより不審がっていたようだったが、数日も経つと態度を軟化させるようになった。

「シリウス」
「何だ」
「お茶」

 ――ロージーが顔も上げずにそう言った。シリウスは呆れ果てながらも、棚からアールグレイの缶を取り出した。

「軟化っていうか悪化だろ、これ」
「何か?」
「いや、何でも」

 ロージーが入団以来担っている仕事は、『襲撃』してきた死喰い人たちをリストアップしてまとめることだった。
 シリウスはロージーの前にマグカップを置いて、机の上に山積みにされた書類を一枚めくる。羊皮紙の上には名前や住所、身体的特徴、家柄、家族構成、――そして本人の生死の如何が綿密に書き記されていた。
 新人にも拘わらずロージーがムーディに重宝されているわけは、どうやら彼女の記憶力にあるようだった。所謂『映像記憶能力』を持つロージーの頭の中には、死喰い人たちのあらゆる基本データが入っているらしい。シリウスは正確に記された家系図に舌を巻いて、ロージーに尋ねた。

「お前、こんなのどこで覚えたんだ?純血だってこんな他所ん家の家系図、把握してねえぞ」
「魔法省よ」
「魔法省?」

 ロージーは顔を上げて一瞬シリウスを見つめると、

「――1時間分のポリジュース薬とダンブルドアと、ほんのちょっとの機転と勇気。必要だったのはそれだけ」

 何言ってんだよ、といつものようにロージーを小突こうとして、シリウスはひくりと喉を鳴らした。ロージーはいたって真面目な顔でシリウスを見上げていた。

「……冗談だろ、それ」
「冗談に見える?」
「お前……うわあ、マジか……」
「ロージー。それ以上は機密事項だ。ブラック、お前も余計なことを聞くんじゃない」

 いつの間にか本部に戻ってきていたムーディが、シリウスの手から資料を奪い取る。ロージーが机の上の羊皮紙をかき集めて、シリウスの方を振り返った。

「お茶有難う。美味しかったわ」

 ――ロージーが部屋を出て行くと、ソファに寝そべっていたジェームズが新聞から顔を出す。ジェームズはシリウスを揶揄うように言った。

「――あんなに毛嫌いしてたっていうのに、一体何があったんだい?毒でも飲んだ?」
「うるせえな。――それより、ムーニー見なかったか」
「わあお、どうしたの。怒ってる?何かあったのかい?」
「別に怒ってはねえよ。ただ……聞きたいことがあるだけだ」
「喧嘩なら外でしてちょうだいね。今日はロージーのお誕生日だから」
「だから喧嘩じゃねえって……――え?誕生日?」

 シリウスが間抜けな表情でそう聞き返すと、リリーが腰に手を当てて言った。

「あら。知らないの?今日はロージーのお誕生日よ。――とっても有名じゃない」
「有名?俺知らねえけど」
「僕も知らない。あの子の誕生日、そんなに有名なの?」
「……まあ、『女帝』を避けてたあなたたちが知っているわけないわよね。ロージー、どうしても好きな人にパーティーに来てほしくてね、毎年誕生日の半年前に招待状を渡しに行ってたのよ」

 思わず「毎年?」と声に出してしまう。リリーが「毎年よ」と頷いた。

「毎年毎年それはもうかわいそうになっちゃうくらいこっぴどく振られるものだから、――あの子には悪いけど、ちょっとしたホグワーツ名物みたいになってたの。それでもロージーは毎年懲りずに誘いに行ってて……」

 ほんと健気でとっても可愛いわよね、とリリーが感動したように頬に手を当てため息をつく。シリウスは愕然とした。たかだか誕生日パーティーに来てもらいたいがために、半年前から想い人の元を足繫く通うなんて。あのロージーがそんなことをするような人間のように思えなかったし、――何よりあの“弟”が、そんなロージーを適当にあしらったりせず、毎年律儀に『こっぴどく』振っていたことに驚きを隠せなかった。信じられないくらい、らしくないと思った。

「ただいま。――何の話してるの?」
「ムーニー」

 大量の紙袋を抱えたリーマスが本部に帰ってくる。シリウスが立ち上がると、リーマスは目をぱちくりさせてから、観念したような微笑みを浮かべた。

「お前も分かってるだろうけど、話がある。ちょっと良いか?」
「――うん、わかった。場所を変えよう」

 何てことない表情で、ジェームズが「ついていこうか」と言った。流血沙汰の喧嘩でも予想しているのだろうか、不安そうな表情のリリーがジェームズをソファから押し出そうとしている。そんなティーンじゃねえから、とシリウスは手をひらひら振って、リーマスと一緒に部屋を出た。


 あまり使われない小部屋で、シリウスはどかりとソファに腰かけた。リーマスは少しばつの悪そうな表情を浮かべていた。

「――何か俺に言いたいことはあるか、ムーニー」
「……知ってたよ、ロージーのこと」

 リーマスが申し訳なさそうに言った。シリウスはため息をついた。

「だよなあ。……だってお前、監督生だったじゃん。『女帝』はレイブンクローの監督生だったし、お前らの間で交流があっても不思議じゃねえ」

 てことは、リリーも知ってたんだろ?と聞くと、リーマスは唇を噛みしめて頷いた。

「……ごめん。私の判断だ、パッドフット。私が、リリーに提案した。君にこのことは黙っていようと」
「何でそんなことした、ムーニー」

 シリウスがそう問うと、――逃れられないことを悟ったリーマスは観念したように首を振った。

「主だった理由は二つある。一つは、私たちが彼女の力を必要としていたこと。君も知っての通り、現状彼女の記憶力は騎士団の重要な戦力となっている。そうだろう?――だが、彼女は『白』じゃない。彼女は……その」

 歯切れの悪い口調だった。シリウスは腕を組んで、リーマスの言葉を待った。

「君の弟と恋人同士だった。……史上最年少で『死喰い人』になった男と、だ」
「――我が家の誇りは陣営を抜け出して、あの人に始末されたみたいけどな」

 シリウスは皮肉たっぷりにそう吐き捨てた。リーマスは慎重に言葉を選んで言った。

「私は、私たちの私情で彼女の入団の如何を決めるべきではないと考えた。私は……私たちのこの感情と、“騎士団にとっての彼女の有用性”をうまく天秤にかける自信がなかったんだ。だから余計なことは言わず、下手に波風を立てたりせずに、流れに身を任せようとーーリリーに提案した」

 ムーニーらしい考えだ、とシリウスは思った。

「もう一つの理由は……私は、君がきっと傷ついてしまうと思ったんだ」

 静かな声だった。リーマスは膝の上で拳をきつく握りしめ、やるせなさそうに首を振る。

「私は……パッドフット、君のことをよく知っているつもりだ。だからこそ、君とロージーを近づけるべきじゃないと考えたんだ」
「近づけるべきじゃない?」

 ――まるで、リーマスはロージーを嫌うシリウスを黙認するどころか、進んでシリウスとロージーの間の溝を深めさせようとしていたとでも言うような口ぶりだった。シリウスが眉を寄せると、リーマスは言った。

「『ロージー・デュベリー』は君にとって、軽蔑に値する人物だ。何せ、君の家の方針に忠実に付き従っていた人間と恋人関係にあったんだから」
「それは事実だ。だからこそ、俺は確かにあいつを避けていた」
「――シリウス、君だって気付いてるだろう」
「……何に?」
「……彼女は闇に魅せられていたはずの人間なのに、あまりにも……あまりにも『平凡』すぎるだろう?」

 リーマスの言いたいことは痛いほどにわかった。――現にシリウスの感情はリーマスが心配する通り、そんな矛盾の間で板挟みになりつつあるのだから。唇を噛みしめてから、シリウスは言った。

「……あのとんでもない記憶力を見ても『平凡』と言えるなんて、我らがムーニー先生はさすがだな?」
「茶化さないでくれ、パッドフット……!君だってわかっているはずだ!彼女は確かにずば抜けた記憶能力を持っているが、それ以外は至って普通の『ティーンの女の子』だ。君の親切に喜んで、ちょっとした冗談に笑って……“憎めない“ほどに、普通の女の子なんだ!」
「だから、何だ。ムーニー」

 うまく不敵に笑おうとしても、口角が言うことを聞かなかった。リーマスが目を瞑って、――深く息を吐き出してから、シリウスの瞳を見る。

「――パッドフット。そんな女の子が、元恋人の血縁者を見て何を考えると思う?……『誰』を思いだすと思う?」

 どくり、と心臓が波打つ。
 あまり外見の似ていない自分たち兄弟が唯一そっくりだったのが、父親譲りの瞳だった。
 ――それを自覚していたシリウスは、ロージーの思考を手に取るように理解出来てしまっていた。
 瞳を揺らす彼女が、一体誰を思い出しているかなんて。――そんなの、リーマスに指摘されずとも、最初からわかっていた。シリウスを見つめる琥珀色の瞳が揺れるたびに、シリウスはわざとロージーの感情に気が付かないふりをして、自分の思考にふたをしていた。

「何故、自ら傷つきに行くんだ……!君が彼女に自己犠牲を捧げたところで、彼女が『白』になるわけじゃないだろう!」
「ムーニー、落ち着けって」
「――君は昔から、不器用すぎるよ。もう少し自分を大切にしてくれよ……!」
「……はあ。その言葉、そのままそっくりお返しするぜ」

 シリウスがそう言うと、リーマスは怒ったような、それでいて今にも泣き出しそうな顔で肩を落とした。でもまあ忠告ありがとさん、と肩を組むと、珍しく本気で怒っているらしいリーマスが「誤魔化さないでくれ」と怒鳴って部屋を出て行った。手を振り払われたままの不格好な姿勢で、シリウスはふと不思議に思う。――傷つくとわかっているのに、どうしてロージーに歩み寄るのをやめられないのだろう。




*



 18歳の誕生日以来、シリウスとロージーの距離はさらにぐっと縮まった。ロージーはムーディと『仕事』をする時以外は、主にシリウスと行動を共にするようになった。

「シリウス、あの書類取って」
「どれだよ。これ?」
「違う。もうワンブロック先の、――だから違うって言ってるでしょ!」
「わっかんねえよ!もう自分で取れ自分で!」
「――ほんと仲良いなあ」

 ぎゃあぎゃあ言い合いするロージーとシリウスを見て、ジェームズがそうぼやく。

「ねえ僕のかわいい奥さん。僕たちもああいうことしない?」
「何よ。ジェームズあなた、負けたいの?」
「えーっとダーリン。君の中では僕が負ける前提なんだね?」
「口論で私に勝ったことない癖に何言ってるのよ」
「――うう……最高だよリリー。好きだ」
「ちょっと邪魔。向こう行くか手伝うかして!」

 にやつくジェームズに容赦ない一撃を加えるリリーに、シリウスとロージーは称賛の拍手を送る。少し目立っているリリーのお腹を撫でまわすジェームズを生温かい視線で見守りながら、二人が「バカップルね」「ジェームズの場合ただのバカだな」と軽口を叩きあっていると、大きな音を立てて部屋のドアが開いた。少し慌てた様子のムーディが部屋をぐるりと見渡す。

「ロージー・デュベリー。ダンブルドアがお呼びだ。今すぐホグワーツへ発て」





*




 ――シビル・トレローニーの予言がダンブルドアの口から告げられた時、ロージーの背筋に何か嫌な汗が伝った。

「死喰い人が一人聞き耳を立てていての。シビルの予言はおそらく――少なくとも前半部分は、ヴォルデモートに伝わってしもうた」

 やけに冷ややかな声だと思った。校長室でダンブルドアと向かい合っていたロージーは、話を聞きながらずっと疑問に感じていたことを尋ねた。

「ダンブルドア校長。――なぜ、そのように重大な話を私に?」

 ロージーは困惑した表情でダンブルドアの様子を伺う。ダンブルドアは微笑を浮かべて言った。

「何故そう思うのじゃ?」
「それは勿論、他の団員に比べて私には信頼が無いからですわ、ダンブルドア。入団して半年と日が浅いですし……何より、その……」
「――君の恋人のことかの?」

 全て見透かすような視線だった。ロージーは頷く。

「校長は何故、『死喰い人』と恋人関係にあった私をそのように信頼なさるのですか?」

 ダンブルドアは一瞬考えるそぶりを見せてから、まっすぐロージーを見据えた。

「君は騎士団員の中で、――そうじゃの。確かに、異色じゃ。騎士団に入ったうち多くの者は、志を同じくしておる。未来のために、闇の脅威に対抗するという志をの」
「ならば、何故……!」
「だからこそじゃ、ロージー。君が騎士団に加わった目的は、闇に立ち向かうことではない。――恋人が死んだ真の理由を知るため、じゃったな?」
「それが何だと言うのです、ダンブルドア!」

 ロージーが怒鳴り声を上げて、はっとした。唇を噛みしめて目を伏せたロージーに、諭すような声色でダンブルドアが言った。

「ロージー。君はどうも、自分を過小評価するきらいがあるようじゃ」
「……そう、でしょうか」
「左様。――わしが君の記憶能力の高さに初めて気が付いたのは、『レギュラス・ブラックが目を通していたホグワーツの蔵書を全て読破した』と聞いた時じゃった」
「……あの時は、先生が騎士団への入団を後押ししてくださりましたね。マッド-アイが『生け捕り』のために秘書代わりの魔法使いを探してるって。仕事をしながら、レグのことを調べていけばいいって……」

 ロージーは膝の上で両手を強く握りしめた。ダンブルドアがロージーの前に膝をついて、ロージーの手を両手で包み込んだ。

「ロージー、君は気付いておらぬようじゃの。――君のそのずば抜けた記憶能力は、おそらく後天的なものじゃ。君がレギュラス・ブラックを追い求めーー心からあの子を愛し、血の滲むような努力することで身に付けた、素晴らしい能力なのじゃ」

 レギュラスは優等生だった。一つ一つを丁寧に積み重ねていくような彼の姿に、ロージーは憧れた。近づきたいと思った。じわりとロージーの中で何かがはじけて、喉の奥がぎゅうと苦しくなった。

「――君は、何てことないと思っているのかもしれん。しかし、忘れてはならぬ。ひたむきに愛に生き、ひたむきに愛に殉じようとしている君は……誰よりも信頼と尊敬に値する、素晴らしい魔女なのじゃよ」

 ぽっかりと穴の開いた心に、ダンブルドアの諭すような声色が吸い込まれていく。――でも、本当に欲しいのはこんな優しい言葉じゃない、とロージーは泣きたくなった。

 かつての懐かしい学び舎の奥で、スカイグレーの瞳がロージーを呼ぶ。
 会いたい。こんなにも会いたいのに、沈んでしまった星にロージーの手は届かない。


あったかもしれないいくつかのこと
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