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夜も更けて、窓から差し込んでくる光が淡い月明かりになった頃、私は夕飯を食べ終えてからも執務室に籠りっぱなしの我愛羅君を、寝ずに待っていた。

なんて律儀な嫁だろうか。
もうとっくに日付は変わっていて、別に待っていてくれなんて頼まれた覚えもないんだけど。
今日の昼間に開かれた会議の事で、やっぱり我愛羅君に一言謝った方が良いかなあ、なんて、思っての待ち時間である。


「っても、悪いのは我愛羅君だよねえ」


あの場がもし、私の世界での出来事で、我愛羅君が平社員、上役のおじさんたちが文字通り取引先の偉い人だったとしたら、あの口答えをした瞬間取引はパアになるだろう。
君ィィイイイ!どこの誰に向かってそんな口を聞いとるんだね?!とかなんとか、奇声が聞こえてくる事間違いなし。
まあでも、それは私の価値観と言うかそんなものだから、気を悪くさせたのなら謝っておこうと、今更ながらに感じている。


我愛羅君まだかな〜なんて、執務室に行って一言我愛羅君に謝罪だけしてさっさと寝れば良いんだけど、やっぱり真に悪いとは思っていない分、わざわざ私が出向いて謝るのもなんか癪なんだ。あれ私ちょっと性格悪くない?
だから寝る前に愚痴も少し交えつつ謝ってやっても良いかなと。あれやっぱり私性格悪いかも。

まあでも、やっぱりどう考えてもあれは我愛羅君が悪いよねえと、同じ事をぐるぐる考えていると、月明かりが柔らかく差し込むのみの部屋に明かりが灯った。


「名前?」

「あ、我愛羅君、今日はもう終了?」

「ああ。まだ起きてたのか」


寝てると思ってたんなら電気点けるなよと一瞬批難の言葉が頭をよぎったが、まあ私は起きてたのでそこはお咎めなしで良いかと、まあね。と短く返事を返す。


「眠れないのか」

「いんや、待ってたんだよ、我愛羅君の仕事が終わるまで」


風影としてのいつもの格好とは違って、随分とラフな格好をしている。それに髪が濡れているので、お風呂もすでに済ませた様だった。
ドライヤーなるものは脱衣所に備えてあるはずなのに、なんで乾かして来ないのか。というかいつも濡れっぱなしだよねと思いながら、ベッドから這い出て我愛羅君の方に近づく。

近づいてくる私を見ながら、なぜ待っていたのかを聞いてくる我愛羅君に、そんな事よりなんで髪乾かさないの?と質問を質問で返してやると、特に意味は無いと返された。


「風邪引くよ?」

「いつもの事だ。気にならない」

「ふーん?」


ベッドではなくソファへと腰掛ける我愛羅君の濡れた髪の毛を触りながら、私も隣へ座る。
いつもぴったり分けられた長い前髪が、水分を含んだ重さのせいで顔にかかっていて、少し鬱陶しそうに目を細めている。
お風呂上がり特有の、肌の内側からほんのりピンク色に染まる頬と合間って色気がすごい。
その色気にやられて思わずエッロォオオと声が漏れそうなったのを堪えて、髪を弄っていた手を離し目を逸らす。破壊力がすごすぎた。


「それで、何かあったか」

「あ、えっとね、」


逸らした視線を再び隣の我愛羅君へと移すと、やっぱりそこには色気抜群の顔があったので、ちょっとごめんねと言いながら乱れた前髪を耳にかけてやる。
こうでもしないと、垂れた前髪の間から見つめられるのは心臓に悪いです。ええ。

これでよしと、聞こえるかどうかも分からないくらいの声量で呟き、話の続きをと、口を開く。


「昼間さ、口挟んだ事謝りたいなと思って。ごめんね」

「……」

「上役ってのがああいうちょっと嫌な奴らって事は、まあなんとなく知ってたし、我愛羅君が口答えしたくなる気持ちも分かるんだけど、さ。ああいう状況の時は素直にこっちが謝れば良いっていうのが私の考えであって、ああいう行動に出ちゃったんだけど、それはあくまで私の考えであって、…えっと、なんか我愛羅君のプライドを傷つけちゃったかなあ〜なんて。我愛羅君、怒ってたし。だから、なんて言えば良いのか分かんないけど、とにかくごめんね」


目を合わせるのが途中から少し気まずくなり、逸らしながら、思っていた事を言う。
自分の膝を見ている私からは我愛羅君の表情は伺えないが、少しの間の後、そうかと、いつも通りの短い返答が返ってきた。


「うん。だから機嫌直してよ」

「機嫌など元から悪く無い」

「は…え、嘘でしょ。お前に謝罪など頼んだつもりは無いとかなんとか言って来といて?完全に怒ってたよね?嘘はいけないなあ」

「……確かに気を悪くしたが、それはお前に対してでは無い。砂の上役達にだ。奴らはいつもああだからな。毎度気分を悪くさせられる」


ため息混じりで話す我愛羅君の方を改めて覗き見てみるとバチっと目があった。

じゃあ上役にムカついてたから私にもキツく当たっちゃったて事?え、八つ当たりじゃん。
と言っても我愛羅君からすれば八つ当たりをしてるなんて意識は無いんだろうけど。

それならそうと早く言ってくれれば良かったのにと、我愛羅君の肩を小突きながら言うと、意外にもあっさり、すまないと謝られた。


「いや別に謝らなくても良いんだけど」

「それでも、機嫌が悪いと思わせていたのはすまない。こんな時間まで待たせる事になってしまった」


不意に、頭に手が伸びて来て撫でられる。髪の毛を掬ってみたり、とかしてみたり、遊ぶようにして髪を弄ってくる我愛羅君の表情はすごく穏やかで、全部がどうでもよくなった。

その穏やかな顔を、私が見ている事に気づいたのか、髪の毛を弄る手元を見ていた我愛羅君の視線が私のそれと合わさって、全身が固まってしまった。


「…名前、」

「な、なんですか、」


思いがけず敬語になってしまったのは、髪を弄っていた我愛羅君の手が頭から頬に降りて来たからだ。
そのまま数回、親指の腹でほっぺたを撫でられ、そして唇を撫でられた。
これは、もしかしてもしかしてもしかして…!と、この後起こりうる事が頭を掠め、身体を緊張が走る。


「…っ、」


視線を逸らしたい。なのに、私の唇の輪郭を確かめるように指で撫でてくる我愛羅君の穏やかな表情から視線を外すことができない。なんて顔してんだ…!
きっと私の顔は言わずもがな、風呂上がりすぐの我愛羅君よりずっと赤いはずで。
今すぐ両手で顔を覆ってしまいたいのに身体が動かない。誰か影縛りの術でもかけてんの?と言うくらい動かない。
いやもうこれは逆にかけておいてほしい。
この後起こりうるだろう行為を頭で描いてしまって緊張で身体が動かないなんて初めての事すぎて追いつけない。

フと、我愛羅君が視線を少し下にずらした事で、合わさっていたそれがずれる。
なに、と思ったのも束の間。その視線の先がなんとなく私の唇に向けられているのを感じて、ついに来たその瞬間を覚悟して強く目を瞑った。


「…………?」


あれ?と、来るだろうと思っていた柔らかい衝撃がいつまで経っても来ない事に、薄く目を開いて我愛羅君を盗み見る。

相変わらず、私の唇には指が添えられていて、添えられているその場所に目線があるのは変わらなかったが、さっきまでと違うのは我愛羅君の顔がお風呂上がりだからと言えないくらい赤くなっていたという事。


「が、あらくん」

「っ」


その表情を見て思わず閉じていた目を開き、どうしたんだと我愛羅君を呼ぶと、フイ、と顔を逸らされてしまった。

そういえば。
カンクロウ君が言っていた、我愛羅君は女っ気が無いって事を思い出して、もしかして、とある結論が頭を埋め尽くす。

うわあ、聞きたい。めちゃくちゃ聞きたい。
今すぐにでもその結論が正解なのかを聞いてしまいたい衝動に狩られるが、私の目の前で顔を赤くして向こうを向いている我愛羅君にそんな事を聞いてしまうのは如何なものかと、男子からすれば、好きな女子にそんな事聞かれるのって恥ずかしいどころか落ち込んじゃったりするかもしれないと思い、聞くのは辞めておこうと決定した。


「ね、我愛羅君、こっち向いてよ」

「……いや、お前はそろそろ寝ろ。…俺は髪を乾かして来る」


そう言って、途端に立ち上がり部屋を出て行ってしまった。
さっき乾かさないでも別にいいって言ってたくせに。

恥ずかしがり屋さんだな〜なんて、さっきまで緊張しまくっていた自分が嘘のように余裕だ。
我愛羅君が帰って来る前に寝ておいてやるかと、電気を消してベッドへ移動する。

私も初めての時はあんな感じだったんだろうなあと、別に我愛羅君が初めてって決まった訳じゃ無いが、遠い昔では無い自分を思い出しながら布団をかぶって目を閉じた。