走ったあと

こんなに走ったのはいつぶりだろうか。
砂の里から外へ出た事が無く、全く知らない土地をただひたすらに走って少し。
あまり人がいない、丘の上まで来たところで立ち止まり、体力の限界を感じながら脇腹を抑えた。


「…はあ、」


まさかとは思うが追っかけて来たりなんてしないよなと、片手を膝に付き、もう片手でキリキリと痛む脇腹を抑えながら背後を振り向き確認してみるも火影様の姿は無い。
それどころか、日が沈みかけて薄暗くなった辺りに人の気配は全く無かった。


その事に安堵して、再度前方へと振り向いた瞬間。


「よぉ、」


短い金髪を風に揺らしながら、柵に腰掛ける火影様がいた。


「…っ、な、何で」

「いやあ、名前、聞いてなかったと思ってよ」


わざわざそんな事の為に、不躾に逃げ出して来たやつを追いかけて来たりするのか。
そもそも一度会っただけの、小料理屋の娘の名前なんか聞いてどうする。

折角逃げ出したのに、空気を読んでくれ頼むから。
…あ、この人空気読めない人だったっけ。


「名前、は、言う必要なんてありますか」

「……つめてーなあ。まあ言いたく無えなら良いけどよ。急に走って行っちまうから驚いたってばよ」


柵に寄りかかっている金髪は、困った様な笑顔で笑う。
その笑顔の後ろで、ついに山の陰に隠れてしまった太陽の残像がチラついた。

忍者というのは心が読めるんだろうか。
初めて会った時から何かを勘繰られているようでならなくて、それが余計に関わりたくないと思わせてくる。
ああ逃げたい。


「…私、もう家に帰らないと」


逃げたくなった時の決め台詞は、いつも効果抜群だ。
大抵こう言ってしまえば、どんな相手とでもサヨナラできる。
火影様からだって逃げきれる台詞なはずだ。
家に帰らないといけないと言っているにも関わらず引き止めてくる人は、酔っ払いでタチの悪い奴しか私は知らない。
そう思っていたのに。


「まあ落ち着けって。慌てて帰ろうとしなくてもいいだろ」

「…」


…本当に、一体私に何の用があるんだ。
逃げられると思っていた台詞も何故か通じず、別に慌ててなんかいないのに落ち着けと言われもう本当に腹が立ってくる。

だがしかし、今の私には切り札がある事を忘れちゃいけない。


「あ、慌ててはいませんけど、雷車の時間もあるので、…これで失礼します」


これでどうだ。
雷車の時間を切り出されたら、これはもう帰すしかないだろう。
というかあんまり遅くなってしまうと本当に帰れなくなってしまうから。
引き止めてくるのもいい加減にしてほしい。
帰りの切符ももう買ってるから。
当日限りの切符が使えなくなったらどうしてくれるんだこの野郎。


「ちょっと待て。……言いにくいんだけどよ、…あー、砂隠れまで行く雷車、多分もう無えよ?」

「…………は?え?」

「いや、だから、砂までは遠いからよ、雷車も早くで終わっちまうんだってばよ。というか俺を撒くための台詞かと思ったけど、マジだったのか」


衝撃的な事実を突きつけられて、明らかに固まっている私を見ながら、呆れたような困ったような表情を見せる火影様。

何が切り札だ。
めちゃくちゃ恥ずかしいじゃないか。
…いやいや、そんな事考えてる場合じゃない。
え、私、今日雷車乗れないの?


「…は、っ!」


切符買ったのに、なんて項垂れた途端ハッとした。
そのまま慌てて持っている鞄から財布を取り出し中身を確認すると、予感していた最悪の事実が私を襲う。
…やばい私、お金無い。

元々農家と契約だけ済ませて直ぐに帰る予定だった私は、往復の切符代と、事前に確認しておいた契約金なるもののみを握りしめて木の葉まで来た。
飲み物も食べ物も自前で、そんなものはもう既に空だ。
そして財布に残っているのは、無意味になってしまった帰りの切符と、少しの食べ物を買える程の小銭のみ。

確認しなければ良かったと思いながら青ざめる。
いや結局、財布の中は確認しなければならないのだけど。

雷車は無い。お金も無い。
そんな事実を突然受け入れられる筈もなく、全身の力が抜けた。


「…馬鹿だ。私は。もっとお金持ってくるんだった、」


膝から崩れ落ちて、いい大人がなんて馬鹿なんだと項垂れる。
とにかく払い戻しをできるか駅に確認して、できるなら明日帰るしかない。
だけど宿代なんて無いから…


「野宿…いや流石にそれは、…ていうか切符払い戻し出来なかったら私、歩いて砂まで…?」

「お前ってば、まさか金、ねえの?」


地面に手をついて、下を向きながらブツブツと今後の事を呟いている私の前まで来た火影様に確信を突かれる。

事実だけど、ハッキリ言われるとまた悲しい。


「…その様子じゃ、今日の宿も無ぇんだろ」

「………」


ああ、呆れてる。絶対呆れてる。
微かに聞こえたため息が、私の気分をより急降下させ、もう泣きたい。

今目の前にいる人物が、例えばただの一般人なら、直ぐにでも頼って「お金貸して!」と言うだろう。
だけど私の前にいるこの人は忍であって火影だ。
私は忍に頼るなんて、そんな事は絶対にしたくない。
少なからず憎さを感じているような奴らに、貸しを作るなんて真っ平ごめんだ。
てか関わりたくないんだ本当に。

そんな私の心情を露ほども知らない火影様は、相変わらず私の前で膝を折り、何か打開策を考えくれているようだった。

だけどそんな親切は、私には必要ない。


「…大丈夫です。なんとかしますから」

「なんとかって、野宿でもすんのかよ」


流石に昔より平和になったとはいえ、女一人が野宿なんて危ねえぞと、火影様は続けるが、私はもう野宿の方向で考えているから親切は無用だとハッキリ伝えた。


「…だからもう、帰ってくださいよ。私の事は放っといてくれていいですから」

「そんな訳にはいかねぇだろ」

「だから!もう忍者なんかと関わりたくないって言って、………っ、ほ、本当に、大丈夫ですから。どこかで電話でも借りて、知り合いに迎えに来てもらう事もできるんで、」


何を言っても帰ろうとしない、どこまでも親切にしてくれようとする火影様に、いい加減嫌気がさしてしまって、言うつもりも無かった言葉が口を突いて出てしまった。
それを誤魔化す様に、火影様を納得させる為に適当な事を言うが、
全部言い終わった瞬間、突然腕を掴まれた。


「ちょ、っと、」

「電話ならウチで掛けりゃいい。そのまま迎えが来るまで居てくれて構わねえ。…何があったのか知らねえし、関わりたくねえ忍に世話になるのは嫌かもしんねえけどよ、放っとけねえからな。我慢してくれ」


掴まれた腕をそのまま引っ張られ、有無をも言えないまま連れて行かれる。

さっきまで笑顔が絶えなかったのに、急に真面目な表情になった火影様と、流れる気まずい空気によって抵抗ができなくなってしまい、正に成すがまま、私はついていく事しかできなかった。