好きなもの
木の葉から帰れなくなって、風影様がわざわざ迎えに来てくれたという奇妙な日から数日。
いつもの日常を私は忙しなく過ごしていた。
あの日、また店に寄ると言っていた風影様の姿は見ておらず、密かに楽しみにしてしまっている自分に小さく喝を入れる。
だが今日はあの日の御礼にと、風影様ファンである八百屋のおばちゃんから聞いた情報を元に、並びに並んでやっと購入した人気精肉店の砂肝を渡さなきゃいけない。
自分でも御礼を、と最後の最後に言った事をあの日自宅に戻ってから思い出し、慌てて何を贈ろうか思案しての事だった。
「それにしても砂肝好きって、おっさんかよ」
あ、でもボルト君におっちゃんって呼ばれてたな。
なんて失礼な事を考えつつ、それにしても本当にこんなもので大丈夫なのかと心配がよぎる。
雷車をも占領できる風影様なら、街の人気店ではあるものの、並ばなくたって買えそうだ。というか普段からもっと美味しいものを食べていそうだ。
ああ、心配になってきた。
夜の営業はせず、日がオレンジ色に輝いている中、お礼の砂肝を持っていざ風影邸へと足を向ける。
こんなものでいいのかという事もあるが、初めて行く風影邸という場所に緊張感が走った。
「ていうか突然行って、ただの一般人を入れてくれるもんなのかな」
そもそもそれを考えていなかった。
そして風影様が今居るのかもわからないが、店も閉めたしこのまま帰るって訳にもいかないのでとりあえず行ってみる事にする。
近く度、いつも遠くから眺めるだけだった風影邸はこんなにも大きかったのかと感嘆しながら、ついに目の前まで来た私は出入り口であろう場所に立っている監視みたいな人に声をかけた。
「あの、すみません、風影様に会いたいんですけど」
「ん?風影様なら執務室にいらっしゃるが、何か用か。名は?」
ああやっぱり、簡単には入れてくれないんだろうか。
アポとか取って来た方が良かったかな。
でもアポを取るにもどうしたらいいのか分からないけど。
「えっと、私、あっちの方で食事処をやってる名前といいます。以前風影様にちょっとお世話になったので、そのお礼をと思いまして、お土産を持ってきたんですけど、」
少し目を細めながら難しい顔をして、問うてくる監視の人に向かって名乗る。
自分が歩いて来た方を指差しながら、店の名前も言ってみると途端に表情が緩んだ気がした。
「ああ、お前、どっかで見た事あると思ったらあそこの店主か。よく行くよ。いつも美味い飯、ありがとな」
「え?あ…いえ、」
「風影様に用だったな。執務室まで案内しよう」
明らかに忍である監視の人が、自分の店によく来ると言った事で少し驚いてしまったが、案内してくれると言いながら中へと入っていく後ろ姿を慌てて追いかける。
存外あっけなく入れてくれるんだな。
まあちゃんとした用事があるんだし、入れてくれなきゃ困ってたから良かったけど。
長い廊下を監視の人の後ろにつきながら歩いていく。
自宅も兼ねていると聞いたこの屋敷はちょっと広過ぎやしないかという程、廊下が長くて嫌になる。そして薄暗い。
途中途中ですれ違う忍に好奇の目で見られ凄く気まずい思いがした。
「…風影様、名前という者を連れてきました」
頭上に「風影」と書かれた部屋が風影様の執務室なんだろう、監視の人はそこの扉を静かにノックしてから口を開く。
そんなので聞こえるのかと思ったが、そこは忍。地獄耳なんだろう。そういう勝手なイメージだけど。
入れ、と短く中から聞こえた所で、目の前の扉が開けられる。
数日ぶりに見る風影様がそこに居て、椅子の肘置きに文字通り肘をつき座っていた。
「お前は下がってくれ。ここまでご苦労だったな」
「はっ。では失礼します」
上司と部下の、そんな風なやりとりを横で聞いてから、部屋から出て行こうとする監視の人に私も軽く挨拶をし、再度風影様の方を見やると、風影様もこちらを真っ直ぐ見ていて少しばかり緊張が走った。
「それで、突然どうした」
「え、っと、先日のお礼をと思って…あ、お忙しい中すみません、」
迷惑だったかな、なんてここまで来ておいて今更な感じもするが、とりあえず用だけ済ませてすぐ帰ろうと思いながら座る風影様の目の前まで行き、持っていた砂肝入りの紙袋を机に置いた。
「砂肝、お好きだって聞いて、これ……良かったらどうぞ」
もっと、これ人気の精肉屋のものなんですよ、とかなんとか言えば良かっただろうか。
緊張が先走って、紙袋を机に置くと直ぐに扉の方まで後退してしまった。
「…礼には及ばないと、言ったはずだが」
紙袋に触れもせずに、ただ後退した私を見ながら困ったような表情になる風影様。
やっぱり迷惑だったかな。
というか突然砂肝渡されてもって感じだよね。
急に申し訳ない気持ちが溢れてきて、また悪い癖である「気まずいなら逃げろ」精神に押された私は、別れの挨拶を言うべく口を開いた。
「あ、すみません…私が勝手にお礼したいと思っただけなので、……砂肝、や、焼くのが一番美味しいらしいです!なので、…えっと、…ほんとに、良ければ召し上がってください。先日はありがとうございました。…私はこれで、」
早口で、途中からはもう自分でも何を言っているのかも分からなかったが、最後に先日の礼を改めて言いつつ頭を下げる。
そのまま、風影様の返事も聞かず部屋を出ようと扉に手をかけた時だった。
「待ってくれ。…そうだな、お前がコレを調理してくれないか」
「へ?」
「今夜にでも、頂こうと思うが、生憎暫くの間、世話役の者がいなくてな。いつもはそいつが食事を用意してくれるんだが、」
「え、と」
つまりは私に、砂肝を含めた食事の用意をしてくれという事だろうか。
突然の要望に、戸惑う私は上手く言葉が出なくて、どうしようか考えあぐねていると、風影様は「無理にとは言わない」なんて静かに言ってくる。
確かに、調理済みのモノを渡せば良かったのだが、精肉屋で購入したそれは勿論生であって、私は勝手に誰かが調理してくれるだろうと踏んでいた。
だけどいつも食事を用意してくれる人が、よくよく聞けば長期で休暇を取ったらしい。
どうしようかと悩んでいた所、私が来た。という事だ。
普通なら、都合良すぎ!飯くらい自分で作れ!とか返したい所だけど、相手は風影様。しかも世話になったんだ。
正直、砂肝を渡して帰るだけで良いんだろうかと、悩ましい所もあったので、こちらとしても都合がいい。
頭の中でそんな風に考えた私は、さっきまでの気まずさを感じさせない程の声量で、イエスとの返事をし、今夜、風影様の為に食事を用意する事が決まった。