薬指の呪い
蜩の声で目が覚めた。
まだ登り始めたばかりの太陽をぼんやりと見ながら彼が海外へ行ってからどれくらい経ったのだろうか、なんて考える。一目惚れなんて生まれて初めてした。けれど、彼に好きだと伝えた所でまだ里香ちゃんのことが忘れられないだろうし里香ちゃんに敵う気もしない。そもそも私は恋愛対象外かもしれない。
「あっつ……」
誰もいないから返事なんて返って来ないのに思わず口から言葉が漏れた。
自分が汗だくになっているのを見るに思っていた以上に暑かったらしい。このままでは気持ち悪いとシャワーを浴びようと立ち上がり、すぐ視界に入ってきた今の二年全員で撮影した写真に目を移す。まだ初々しさの残る写真の中の彼の面影がまだ残っているのだろうか。――そんな事を考えたのは久し振りだった。
◆◇
時間になって寮から教室へ向かい、いつも通りに同級生へ挨拶をして自分の席へ座る。
彼が任務で欠けたままの、いつもと同じメンバーで、いつも通りの日々を送る。それはとても楽しくて、少し寂しいと思う。
「花子、最近元気ないけどどうかしたのか?」
隣に座っている真希ちゃんが片眉を下げながら心配そうにこちらを見てくる。
「あー……ちょっとね」
恋愛絡み、だなんてまだ口に出来そうにない。そう、思っていたのに、
「なんだ、乙骨絡みか?」
続いた真希の言葉に思わずその場に立ち上がってしまい、パンダくんや棘くんが驚いたのかこちらへ視線を送ってきた。
「安心しろ、本人以外はみんな知ってる」
「……な、え、……そんなにわかりやすい?」
私の言葉に真希は頷き、近寄ってきたパンダくんや棘くんが「乙骨の話か〜?」「しゃけしゃけ」と茶化す様に声をかけてきた。
「ち、がわない……。いや、ほら、海外で元気にしてるかなって。今日、久し振りに皆んなが写ってる写真見て思った、から……」
私の言葉にみんな「ふぅん」と納得していない表情をしていたが、先生が教室に入ったことによりこの話は強制終了となった。
◆◇
授業後に呼ばれ任務を言い渡され、そのまま新田さんの車に乗り込んでから現場へ向かう車の中でそういえば、中学生の頃に付き合った時はどうしたんだっけ。なんて考える。
まだ高専の存在を知らなかったから、知らず知らずに祓った自分に恐怖して人と関わるのを辞めてしまったからか上手く思い出せない。
人と関わらない様にするのは簡単で難しい、と私は思う。全く関わらないというのは無理だろうけれど、一線引いて付き合うことは容易だろう。
彼は――乙骨くんは独りだった時は何を思っていたのだろう。独りでいる時間が長くなれば長くなるほど、大切な人を作る事をやめた時間が長ければ長くなるほど人の温かさも残酷さも、愛の素晴らしさも忘れていくと思う私と同じ考えだったのだろうか。
「着いたッスよ!」
新田さんの言葉に現実に戻っていき、お礼を伝えて伸びをひとつ。そしてゆっくりとでも足早に現場へと向かう。
答え合わせにはもう少し時間がかかりそうだと考えながら私は――
◆◇
任務が終わり帳が上がる。
外は夕焼けが綺麗で、思わず目を細めると人影がひとつあった。見覚えのあるその人物の名前を呼ぼうとして、でも彼がここにいるはずないと口を結んだのににっこりと笑った彼が手をひらひらとさせてくるから、思わず名前がこぼれた。
「乙骨、くん……?」
「久しぶり」
トンッと軽く私の前に降り立って微笑む彼につられるようにして私も笑う。
「久しぶり。元気にしてた?」
出来るだけ動揺した事を悟られないように。
私が彼を好きだと言うことが伝わらないように。
そんなことを願いながら、だけど気付いて欲しいとも思いながら当たり障りのない言葉を紡ぐ。
「うん。みんなも元気かな?」
「元気だよ。乙骨くんが帰ったって知ったら喜ぶと思う」
「山田さんは……山田さんも喜んでくれた?」
「もちろん」
嘘ではない。
嘘のはずがない。
「そっか。嬉しいなぁ」
そう言った彼が、戦闘時とは全く違う年相応の男の子の表情をしたから思わず見惚れてしまった。
「えっと……ずっと見られると流石に照れるな……なんて」
「あ、ご、ごめん。つい。乙骨くんの顔が綺麗だったから……綺麗に笑ったから……見惚れちゃった」
私の言葉に乙骨くんは口を開けたまま暫く固まって、漸く動いたと思うと顔を真っ赤に染めた。
「私、任務終わってこれから帰るんだけど乙骨くんも一緒に乗っていかない?」
何も返して来ない彼にそう言葉を付け足すと頷いたので二人で車まで歩く。
「山田さん」
車に近付いた頃、乙骨くんが口を開いたので立ち止まって「どうしたの?」と顔を向ける。
「あの、僕……」
「お疲れ様っす! 帰るっすよー!」
乙骨くんの言葉に被さるように新田さんの声が響く。
慌てて口を紡いでしまった乙骨くんから先程の言葉の続きを聞くのはもう少し先になりそうだな、なんて思いながら二人で車へと乗り込んだ。