あの日に取り残されたまま


 風鈴の音が鳴り響くのと同時にそろそろ風鈴を片付けねばと腰を上げる。まだ暑い日が続くとはいえ、暦を考えるとそろそろ秋支度をするべきだろう。浴衣も来年までさよならだ。
「伝令!! 伝令!!」
 大きな声を出しながら近くを旋回しだした鎹鴉へ腕を差し出す。差し出された腕に止まった鎹鴉は「次ノ任務ハ渋谷ァ」
 束の間の休息も終わりだと急いで隊服に袖を通して刀を持ち、玄関へと向かうと屋敷の掃除をしていた千寿郎くんとばったり遭遇した。彼に会釈すると「お気をつけて」と声をかけられたので、元気よく返事をしてから屋敷を出た。
 
 ――私は煉獄家に居候をしている。
 煉獄家の手伝いをしてきた家系に生まれた私は、産まれてすぐ煉獄家に嫁ぐことが決まった。許嫁として一緒に一人前の炎の呼吸の使い手となるべく杏寿郎さんと共に切磋琢磨し、苦楽を共にして成長するはずだった。過去形なのは私が十歳になる年に大きな喧嘩をして、それから許嫁を解消させられたから。大きな喧嘩の理由は私の嫉妬だった。使用人の一人と距離が近いのではないかと私が感情のまま杏寿郎さんに詰め寄ったのだ。早めに謝るようにと言われていたのに勇気が出なくて謝れず、いつの間にか件の使用人は辞め杏寿郎さんからも距離を取られてしまった。そういえば、あの日もとても暑くてせめて風鈴が鳴るくらい風が吹いて欲しいと願っていたなと回想する。
 そんなことがあったのに私が煉獄家に居る理由は、両親が亡くなったから。槇寿郎様の命令で遠く離れた地に情報収集へ行って、帰って来なかった。それを重く受け止めた槇寿郎様が私が自立するまでという条件で居候させてもらっている。

 ◆◇

 任務が終わり煉獄家の屋敷に着いたのは、また日が暮れる頃だった。静かに屋敷に入ろうとした所で「結婚、ですか?」という千寿郎くんの声が響いた。それに肯定する声は、間違いなく杏寿郎さんのもので。もっと活躍すればまた杏寿郎さんは私を見てくれるのではないかという、私の自分勝手で浅はかな考えが見事に打ち砕かれたのは言うまでもなく。聞こえなかったフリをして自室に戻ると、暫くして襖越しに千寿郎くんから声をかけられた。
 彼曰く、兄の結婚が決まったと。日取りと奥さんになる方がこちらに住む予定なのだとも聞かされた。これは本格的にここを出て行けということだろう。ひと月先の事なので今から動けばどうにかなるかと伝えてくれたことにお礼を伝え、疲れた身体を休める為に湯浴みをして胸がズキズキと痛むのを気がつかないフリをして寝ることにした。

 杏寿郎さんにお祝いの言葉を言わねばと思って起きたが、朝食の席に彼は居なかった。千寿郎くん曰く、新しい任務が入って夜明けと共に出発したらしい。千寿郎くんに昨日のお礼を伝え、荷物が纏まったので今日中に出ていくことを告げる。目を丸くしてもう少しいても……と言ってくれる彼に杏寿郎さんに悪いからと断った。そして手紙を杏寿郎さんへ渡して欲しいと伝えると「わかりました」と頷かれた。
「生きていたらまた会えるよ。……祝言には呼んでもらえるかわからないけど、いつかまた」
「いつでも帰って来て下さいね。もうお姉様も同然なので」
「ありがとう」
 ご飯を食べ終えて片付けをしてから纏めた荷物を持って槇寿郎様の背中へ短い挨拶を告げてから屋敷を出る。本当に長いことお世話になったのだとしみじみ思いながら門をくぐる。振り返ると泣いてしまいそうで、振り返ることなく進んでいく。行き先は蝶屋敷。人ではどれだけあってもいいと胡蝶さんが言ってくれたので甘えることにしたのだ。

 ◆◇

「伝令!! 伝令!!」
 その日は胡蝶さんと一緒にいて、胡蝶さんの鎹鴉がくるくると旋回しているのを見ながら今度は何人負傷者がいるのだろうとぼんやり考えていたところで杏寿郎さんの死を告げられた。
「なん、で……」
 任務が続き先送りになっていた祝言がもうすぐ執り行われる筈だったのに、と思った。私が出て行った次の月、予定通り祝言を執り行うことは出来なかったが一緒に住み始めて煉獄家の皆さんと奥さんの関係は良好だと……祝言が楽しみだと千寿郎くんからの手紙に書かれていたし、祝言が先送りになったことで私も何故か招待を受けたのでそこで気持ちの整理をする筈だったのに。
 乗客や他の隊士は無事だったらしい。無事でなかったのは杏寿郎さんだけ。
 幸せになるべき人だったのだ。今回ばかりは逃げても良かったのではないかと思わず考えてしまった自分が憎い。彼は最期まで自分らしく生きたのだ。それでも、
「残された人はどうなるか、わかっていたのかな」
 頭を整理する為に出た言葉はいつの間にか口にしてしまっていたらしい。
「泣いていいんですよ。いっぱい泣いて、また頑張りましょう」
 胡蝶さんから頬に伝っていた涙を拭われ、抱きしめられてから初めて自分が泣いていたことに気付いた。
 
 死んでしまっては何も伝えられないではないか。
 感謝も謝罪もあの日からずっと蓋をしてきた恋心も全部全部、死んでしまったら伝えられないではないか。もっと怒って欲しかった。隣にいるのが私でなくてもいい。ただ生きて欲しかった。それが、なぜ。

「胡蝶さん、私……やっぱり鬼が憎いです」
 私の言葉に胡蝶さんは困ったように眉を下げた。
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