ピエロはだあれ?
大好き大好きと個人的には素直に愛情表現をしていたつもりだったのだけれど、ずっと言われ続けると言葉の重みが無くなるらしい。というのも、硝子ちゃんから「ずっと花子が好きでいてくれるって信じてるから浮気するんじゃない?」と言われたからだ。
浮気されている事は知っていた。
それでも他の子を抱いたり食事をした後に帰ってきてくれるのは私の所だったから、彼から愛されているのは私だと――私だけだと思っていた。――いや、違う。愛されていると思いたかった。
惚れた方が負けだとはよく言ったものだ。
「だけどさ、私なんかがあの五条悟と付き合ってるって事自体がそもそもの間違いみたいなものじゃない?」
「花子は自己評価が低すぎるんだよ。その気になれば彼氏の一人や二人簡単に出来るのに昔から一途だったじゃん」
カランと氷が溶けたのか音が少しだけ響いたが、居酒屋で周りが騒がしいこともありすぐにかき消された。そして先程硝子が言った言葉を頭の中で復唱する。……確かに私はずっと悟を見てきた。
だからこそ長年の思いが実って付き合えた時は嬉しかったなと一人で思い出に暫し浸る。
「最初は一緒に喜んだけど、この状況が続くなら別れるのもありだと思うけど」
硝子の言葉がグサリと胸に突き刺さる。
別れるという選択肢を今の今まで忘れていた。
このままは良くないと思っているのは事実だけど、こんなにも悟でいっぱいな私が違う人を好きになる人なんて──そもそも悟を嫌いになる日なんて来るのだろうか。いや、世の中には好きだからこそ別れるという選択肢もあるらしいから、好きなまま別れるということもありえるのか。
「……どうしたらいいと思う?」
「それは自分で決める事でしょ」
「だよね」
「ま、花子の事だからもう暫く悩んでいいんじゃない?」
硝子の言葉に「そうする」と答えて少し温くなってしまったお酒を飲み干す。
「アルコール入った状態なら別れられるかなぁ」
「さぁ」
私の言葉に笑った硝子の顔が綺麗で思わず釘付けになる。
「私も硝子みたいに綺麗な顔だったらなぁ」
「お、煽ってる?」
「煽ってない煽ってない」
「……私は花子のこと可愛いと思うよ」
「ありがと」
硝子は嘘はつかないから、これは本心なのだろう。
友達だろうが言い難いこともきっちり言ってくれる彼女だから信じられる。けれど、
「そういえば私、悟に可愛いって言われたことないかも」
「…………は?」
硝子のポカンとした表情はレアだなぁと思いながら頭を働かせるが、やはり可愛いなんて言われた記憶はない。好きだとは言われるけど。そんな事を言ったら硝子が長い溜息をついた。
どうしたのかと聞いても「花子には分からないと思う」と言われた。その言葉に疑問は残るものの、聞いても答えてくれないだろうからいつの間にかあいた口を塞いだ。
「一回別れるって言ってみな。大丈夫、男はアイツだけじゃないし。何かあっても私がいるから」
硝子の方が男前だなとぼんやり思いながらも投げられた返事を迷いながらも頷くと「じゃあ、はい。スマホ出して」と言われたのでスマホを差し出す。すると硝子は暫く画面をタップした後に楽しそうに笑って電源を切ってから返却してきた。
「そろそろ切り上げて今日は私の家に行こうか」
「んー……そうする」
悟に連絡をと思ったが約束をしている訳ではないし、先程硝子が電源を落としたばっかりでまた電源を入れるのは少し面倒だ。今日飲みに行くことは伝えていたし、明日でいいかと酔いが回ってきた頭で考えた。
硝子と一緒に会計を終えて外に出ると冬だということもあり冷たい風が頬を撫ぜ、それが火照った体に気持ちよく目を閉じていたら「花子」と聞き慣れた声が耳をくすぐった。
だが、ここにいるはずがない。会いたいと思う私の幻想だ。そう思っていたのに、
「どこか書いてないのに良くここがわかったね」
硝子の楽しそうな声もしたのでまさかと思って目を開けると思っていた通り悟がいて、硝子の言葉に彼は一気に不機嫌そうに眉を寄せた。
「さっきの連絡、硝子か」
「そうだけど、ちゃんと花子の許可はとったよ」
「は? 僕の花子がそんな事言う訳ないでしょ」
私へ視線だけ向けて「なぁ?」と言われても、私は硝子が何を言ったのか知らないから答えられない。
「本当にそう思う? 大切にされてないって泣いてたけど?」
硝子は悟を煽る天才かもしれないなと思う程、硝子の言葉に悟は完全に怒っていた。顔はかろうじて笑っているけど、きっとアイマスクの中に隠れた目は笑っていないはずだ。
「えっと、ごめん。とりあえず今日は硝子と一緒に帰るね。泊まる約束してるし」
このままはいけないと思って二人の間に入ってそう告げると何故か硝子が吹き出し、悟は私の腕を握ってきた。
「悟、痛い」
「帰るよ」
「は? ちょっと、硝子のとこ、」
私は最後まで言葉を紡げなかったが、その場から離れる際に硝子の方を見ると笑顔で手を振っていたのを見て少し安心した。
◆◇
一瞬のうちに移動した先は悟の家で、そのまま玄関に縫い付けるように立たされ「別れよう」と私から送られているスマホの画面を見せられた。
「これ、硝子は花子の意思って言ってたけど本当?」
「……本当」
「なんで?」
オマエ僕のこと大好きじゃん、と言われると頷きそうになる私がいるのが我ながら怖い。
「このままじゃダメだと思ったから」
「は?」
どこか高専の時の天上天下唯我独尊状態な悟に戻っている気がするのはきっと気のせいじゃないだろう。有無を言わせないようなぴりぴりとした空気が纏わりついて少し痛い。
「悟はさ、私じゃなくて、悟が可愛いって言ってるような可愛い子と堂々と付き合った方がいいと思う。そしたら浮気する必要ないでしょ?」
「……浮気してたのわかってて何も言わなかったのは何で?」
「私が可愛くて悟の理想になるのが先かなって。そうなったら悟は私の事だけ見てくれるって思ってたから」
今思うと無駄だったんだけどと笑うと悟は肩口に顔を埋めてきて、どうしたらいいか少し考えてから彼の広い背中をトントンと一定のリズムで子供をあやすように叩く。
「ごめん」
「えっと、何に対して?」
「浮気しても平気そうな顔してるから、意地になってた」
いや、意地になるなよ。というか謝るくらいなら浮気しないでよ、という言葉を必死に飲み込んだ私は我ながら偉いと思う。全力で褒めて欲しい。
「どういうこと?」
「花子は何しても許すし、束縛することもなかったでしょ。ずっと好きだって言ってた割には淡白だったから、僕に対しての好きがアイドルのそれと同じだったのかなって思って。そしたら次は何したら僕のことだけ考えてくれるかなって思って、僕だけ見て欲しくて浮気した。それでも見て見ぬ振りされたから、悔しくて繰り返して……」
返事をできないでいた私に、でも『同じ人と二度は寝ていない』なんて要らない報告までしてくる悟に思わず溜息をついてしまい、またごめんと謝らせてしまった。聞きたいのは謝罪の言葉ではないのに。
「二人して回り道してたってこと?」
私の言葉に悟はまたごめんと言ってから「そうみたいだね」と笑った。