04 あなたを抱きしめる理由が欲しかった

 隔たれたあの灰色の世界で色鮮やかに映ったのは、幼い彼女だった。
 きっと彼女は知らない。何故なら彼女もまたオリジナルだからだ。俺と同じく、コピーの方のなまえは酷い失敗作だった。生まれて早々に廃棄された。
 俺は、オリジナルであるジュリウス・ヴィスコンティが神機使い(ゴッドイーター)になる以前に産み出された。オリジナルの劣化品として、代替品として、ここに生を受けた。
 今思えば、オリジナルのジュリウス・ヴィスコンティが特異点として目覚めなかった時の保険としてラケル・クラウディウスに産み出されたのだろうが、ラケル・クラウディウスは既にこの世には存在しない。真実を知ろうにも、今となっては不可能である。
 劣化コピーの中でもまだ使い物になったのは、ジュリウス・ヴィスコンティのコピーである俺とロミオ・レオーニのコピーだけだった。俺以外のブラッド隊員もまた、コピーが産み出された。クローンだ。産み出された理由を探ろうとしてもデータが消されていたり、プロジェクト参加者は殺されていた。俺とロミオ以外は、使い物にならないということで、廃棄されたのは間違いがなかった。皮肉なことに、奇跡的に、オリジナルが死んだ俺たちだけが、生き残った。
 オリジナルが死に、オリジナルの代わりとして生を受けた俺たちが外に出られるのは、それこそ奇跡だった。
 なまえにもう一度出会えるのは、実に喜ばしいことだった。



 オリジナルとの接触を禁じられていた俺は、ただひたすら詰め込むような訓練や座学を受けさせられていた。俺はうんざりしていた。オリジナルより過酷なそれを強制されていたからだ。来る日も来る日も、訓練の繰り返しだった。
 そんなときだった。初めてのオリジナル個体――なまえに、出会ったのは。
 あるとき、俺はこっそり施設を抜け出して、図書館跡に向かった。アラガミが来ても、スタングレネードなどのトラップの扱いには慣れている。オリジナルが失敗すれば、俺が彼奴(あいつ)の神機を扱うことになる。そのための訓練はこなしていたから、大丈夫だと思った。今思えば、無謀なことだが。
 どうしても外に出たかったのだ。それまでに一度だけ外出が許されたときに行ったことがある場所だった。書籍が存在することを俺は知っていた。紙媒体の本の方が俺は好きだった。どうしても、一冊、手に入れたいものがあったのだ。
 真夜中だった。施設の疑似装置でしか昼夜を知らない俺でも、こんな場所に人間が出入りするなど、ましてや、アラガミが蔓延しているこの世にそんな人間は居ないということくらいは知っていた。
稀に例外が居る。俺は、そのとき初めて知ったのだった。
 俺が大量の本の中から一冊を探していると、声がした。
「……だれか、いるの?」
 舌っ足らずな声だった。声と共に現れたのは、小さな少女だった。それでも見た目は俺と同い年か、若しくは年下かそのくらいだった。
「めずらしい、っていうのかな。こんな場所にくるとあぶないよ」
 にっこりと笑って、彼女が言ったのを、俺は鮮明に覚えている。
「お前こそ、あぶないと思う。アラガミが来たらどうするんだ。帰ったほうがいい」
 俺は彼女にそう言った。すると、首を横に振った。
「でも、ここじゃないと、本、読めないんだもん。きみも読みに来たんでしょ?」
 彼女は言う。
「わたし、なまえっていうの。きみは?」
 なまえに名前を問われて、俺は、口をつぐんだ。俺には名前などない。検体番号しか持ち合わせていなかった。
「きみのなまえは?」
 なまえに再度問われて、咄嗟にオリジナルの名前が思い浮かんだ。そして、
「……ジュリウス、だ」
 そう、嘘を吐いた。彼女は、嬉しそうだった。



 暫くして、彼女は施設にやってきた。何故かは聞かなかった。おそらく彼女のクローンを作製するためだろうと俺は勝手に想像した。
 俺は、彼女の話し相手になってほしいと職員に頼まれた。数日の間、オリジナルのジュリウス・ヴィスコンティは遠征に向かうらしい。オリジナルはこの施設に居ないので、俺は、初めて自由に行動することが許された。オリジナルが神機使いになったばかりの頃だった。
 彼女は年相応の、それこそ図書館跡に残っていた小説に出てくるような子供だった。俺より更に酷い扱いを受けているコピーたちは機械的な動きしかしないため、表情豊かな彼女は新鮮だった。彼女と接しているうちに、俺は、まだ笑うことが出来る、ということに気が付いた。感情までは棄てさせられていないらしい。こればかりは、能力値の高いオリジナルに感謝した。
 彼女は古い遊びをよく知っていた。あやとり、折り紙など、彼女によると東洋に伝わる遊びを、なまえは俺に教えた。そして、訓練や座学以外の他のことは全て文字化された知識でしか知らないことを、俺は思い知らされた。
 あの頃の思い出で、これだけは忘れられないことがある。
「そういえば、ジュリウスって、ファミリーネームとかあるの?」
 彼女は俺の名前について問うた。無いことは無い。ただ、それは正確には俺の名前ではなく、瓜二つの、オリジナルの名前だった。
 答えられなかった。彼女はクローンではない。オリジナルのジュリウス・ヴィスコンティと同じ、人間である。彼女が神機使いになるであろうから、この施設に連れてこられたのであろうことは、理解していた。
 もしも、俺とオリジナルと彼女が出会ったら。そう考えずにはいられなかった。答えておけばよかったと後悔しているが、もう過ぎたことだ。
 なまえは沈黙を否定と捉えたのか、
「私とおなじだね」
と、答えた。



 オリジナルが遠征から帰るということで、俺は施設の地下にまた幽閉され、なまえは家に帰された。
 「またね」と、そう言って別れたはずが、施設の自由が許された場所に行っても、図書館跡に向かっても、彼女は何処にも居なかった。彼女とは、二度と会うことは無いだろう。そう思った。



 オリジナルが施設から出て、俺は施設を自由に行動することが正式に許された。オリジナルのジュリウス・ヴィスコンティは、フェンリル極致化技術開発局へ配属となった。また、俺は、オリジナルが使用している神機と全く同じ、しかしながら別個体の神機に適合した。神機使いとなったのである。
 ほぼ同時期に、彼女のクローンが生まれた。
 しかしながら、それは酷いものだった。学習能力の欠如、肉体の劣化損傷が激しすぎた。そのせいで、クローンは一年も持たず廃棄された。
 俺は、まるでなまえが死んだように見えてしまって、泣き叫んだ。職員に、研究者に掴みかかった。俺は取り抑えられ、懲罰房に放り込まれた。
 懲罰房の中で、なまえのことを想った。彼女にもう一度会いたい。会って、話がしたい。ただそれだけが、俺の願いだった。
 なまえは、俺の知らないものを幾つも持っていた。足りないものも、持っていた。コピーでクローンの俺はもちろん、オリジナルのジュリウス・ヴィスコンティでさえ持っていないものを、きっと彼女は有している。
 オリジナルの行動履歴を映像で洗脳するかの如く見せられていた。オリジナルと同等になれ、お前はコピーだ、真似をしろと言われているような気がした。
だけれども、俺は本物になりたいわけではない。俺は、どんな形でもなまえに会いたい。ただ、それだけだった。




 オリジナルが、死んだ。
 オリジナルが生まれて二十年経ったある日、俺の耳にそのような情報が流れ込んできた。
 オリジナルのジュリウス・ヴィスコンティは自分と引き換えに黒蛛病という不治の病を押さえ込むため、螺旋の樹の創造主となり、この世を去った。
 また、彼の部下であったロミオ・レオーニが殉職したということも耳にした。
俺は知っていた。俺たち以外で、殉職した神機使いのクローンが極東へ発ったということを。P53偏喰因子適合者クローン作製プロジェクト「ノスタルジア」の目的はそれだった。
 P66偏喰因子適合者のクローン作製プロジェクト「レミニセント」は、オリジナルが亡くなった今、開始されることとなるのだ。
 ロミオ・レオーニのクローンは言った。
「やっと、ここから出られるな!」
 ロミオは本当に嬉しそうだった。施設のクローンの中でも彼は最も人間らしい、表情豊かなクローンだった。
「でも、最前線の極東に配属されるなんて、俺たちもオリジナルも、ツイてないよなあ」
 笑いながら、彼は語る。俺は彼に言う。
「それでもいいさ。施設に制限され、オリジナルに接触しない程度に禁忌種や感応種と闘わせられるより、自由に行動できるなら、それでも」
 そう言いながら、俺が求めていたのは、自由などではなく、なまえただ一人だった。

title)レイラの初恋