06 胸がすくんで息がとまる

 自分の声が聞こえるなど、そんなこと、あってたまるか。俺は思った。
 極東に辿り着いてから、眠りが浅くなった。嫌な夢を見るようになった。自分が自分の枕元に立つなどということが有り得てたまるか。
 同じ亜麻色の髪、同じ顔、同じ背丈、服装、声。違うのは、目の色が金、俺は灰色であるということくらいだ。
「何の用だ」
 俺は目の前の青年に言葉を投げる。
「用が無いなら、俺を眠らせてくれ。……任務に支障が出る」
 青年は、微笑んでいた。綺麗に微笑むそいつが、俺はいけ好かなかった。
「明日は、お前は非番だろう?」
 くすくす、そいつは笑う。何故俺のシフトを知っているのだろうか。こんなにも苛立ちを覚えたのは初めてかもしれない。
「分かっているんだろう、俺はお前が気に入らない」
「正直だな」
 青年は穏やかに笑っている。頂点で束ねた糸のような髪が、揺れる。
「なまえと任務に出るつもりか?」
 見透かしたような金の眼が、此方を向く。俺は、黙っていた。自分がこんなにも余裕がなく、逆に相手が余裕綽々であることが、許せない。
「ブラッドのみんなは……なまえは、元気か?」
 青年が、手をかざす。此方に手を伸ばそうと思ったのだろう。しかしながら、透明な壁で隔たれている。彼はそれに、手をついた。
「どうしても、心配になる」
「貴様のせいで彼女があんなにも苦しんでいるのによくそのようなことが言えるな」
 俺は吐き捨てた。
「ははっ、なまえが聞けば、『いつもの理性的な君はどうしたの?』と、訊かれそうだ」
 青年はそう声に出して笑い、
「……そうか、彼女は今でも……」
と、悲しそうな顔をした。そのような顔をしたいのは、俺の方だ。なまえは、ずっとずっとお前に縛られているというのに。
「俺の分まで、なまえを幸せにしてやってくれ」
 毎回、夢に現れてはこの台詞を吐く青年が、俺は大嫌いだ。
「そう嫌な顔をするな。お前しか、話し相手が居ないんだ」
 そう言われて、昼間のなまえの声が記憶の引き出しから引っ張り出される。愛しいその声は、彼女の敵意を以て、突き刺さって放れない。
――『貴方に何が分かるの?!残された気持ちも、託された気持ちも……一緒に帰るって言ったのに、それを果たせなかった悔しさも!貴方には分からない!』
――『貴方には分からないでしょうね!ジュリウスが、螺旋の樹の中でずっと闘っていることも!』
「……分かっているさ、分かっているとも」
 俺がそう呟くと、無垢な少年のような顔をして、
「どうした?」
と、彼は俺に問い掛けるのだった。
 俺は口を閉じた。これ以上、本当は何も話したくない。
「なまえが、彼女が命を懸けて守ろうとする世界を、どうか嫌いにならないように、傍にいてやってくれ」
 俺はその言葉に驚いた。そして、
「俺は、貴様の……ジュリウス・ヴィスコンティの、代わりなんかじゃない!」
 俺は叫び、見えない壁を思い切り叩いた。彼は、眼を見開いて此方を見た。
「……そうだな。お前はお前、俺は俺だ」
 青年が、続ける。
「だが、お前にしか頼めないんだ」
「勝手すぎる……なまえに、共に闘いたいなどと言って、彼女は、なまえは……!」
「これは、俺にしか出来ないんだ。そして、なまえの傍に居てやれるのは、ブラッド……俺の家族と、ロミオに瓜二つの彼と、そしてお前だ」
 青年は――オリジナルの、ジュリウス・ヴィスコンティは、俺を宥めるように優しく言葉を紡いだ。自分が今までオリジナルの劣化品だ、偽物だと言われる理由を、思い知った、そんな気分だ。不快だ。



 チャイムが、煩く鳴らされる音で目が覚めた。
 不快だ。夢見が悪い。実に不快だ。夢ではオリジナルのジュリウス・ヴィスコンティに話しかけられ、目覚めてからのこの仕打ちは一体何なんだ。未だにコピーではなくオリジナルたちの中に溶け込むのは苦手である。特に香月ナナの性格の違いには手を焼かされる。廃棄された香月ナナのコピーはもっと大人しかったが、オリジナルの明るさは俺には眩しすぎた。
 チャイムがまだ鳴り響いている。誰だ。そんなに激しく鳴らさなくとも聞こえている。静かにしろ。思っても、口には出さなかった。
 俺は、扉を開ける。
「誰だ?」
 急に俺の胸に誰かが飛び込んできた。俺は慌てて受け止める。
 なまえだった。肩を震わせる彼女の口からは嗚咽が漏れる。
「……泣いている、のか?」
 その問いに対する答えは返ってこない。戦闘中は頼もしい彼女の身体は、年相応の少女のように、小さく、か弱かった。
 胸が痛い。こんなにも愛しい彼女が悲しんでいるというのに、気の利いた言葉一つさえやれない自分が、酷く、惨めだった。

title)Largo