曖昧な記憶

 今のことはきっと今の私にしか分からない。だから当時のことも当時の私にしか分からない。
 日記を読み返してみた。つらかった、苦しかった。何度もそう書いてあった。やっとましになってきた。それでも逃げ出したくて仕方無かった。どこかしらにそう綴られている。未だにそうは思うけれど、やっと現実世界で息を出来るようになってきた私には、二年程前の私の感覚を理解はできても共感しきれないところがあった。
 いくら記憶に残せるように書いたところで、後から読んだってそのとき感じた詳細はそのときにしか分からないんだ。そう思い知らされた。過去の私が切り離された他人のように思えてしまう。それは紛れもなく私自身のはずなのに、どこか遠い世界に閉じられた記憶みたいに鍵がかけられている。
――「ヒトは忘れないと生きていけない。忘れることは悪いことじゃあない」
 そう言ったのはやっぱり鶴だった。
――「だからこそ、大切にしておきたいものは残しておいて、残しておきたくないものはなるべく捨てていくのが一番さ。……今のきみには少し難しいだろうが」
 彼の言葉を思い出しながら、別のことを思い出した。
 疲れているとき、人は独り言が多くなってしまうらしい。恥ずかしいことに、私はそのタイプだ。私はよく自分の消しておきたい過去や反省点なんかを思い出してしまって、「疲れたなあ」「消えたいなあ」とか「面倒くさい」とか、何かしら会話をしてしまうことがある。ときには、思い出した事象やそのとき投げ掛けられた言葉に対して言葉を返してしまう。あのときああ言えばよかった、こう言えばよかったとかいうことを、つい口に出してしまう。傍から見れば変な奴だ。
 そういったことが続いてしまって、
――「きみは自身の記憶と対話する癖があるよなあ」
と、鶴に言われたことがある。
――「反省するのと反芻して苦しむのは違う」
 自分でも分かっているのだけれど、記憶が語りかけてくるからどうしようもない。
 嫌な記憶ほどよく覚えていて、楽しかった記憶ほど忘れていくと言われている。全くその通りで、私もどうすることもできない。私が独りで居るとき、そして鶴がそれを断ち切ることができないときはうずくまって耐えるしかない。
 そうじゃない。もっと覚えておきたいことはここにあるのになあ。

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