夜半の月



現世に来てから、空が遠い。

瀞霊廷を離れてから、もうそろそろで100年になろうとしていた。この数十年の現世の変化は凄まじく、よくわからない機械があちこちで発明されては普及している。
それに負けじと喜助も色々なものを発明していて、たまに実験台かわりに試作品を押し付けられることもしばしばだ。
虚化をなくす発明は、未だにされていない。

なんとなく寝付けなくて、ハッチがはった結界ギリギリのところをぶらぶらと散歩しながら手を見て物思いにふけっていれば、後ろから声がかけられた。

「手ばっか見てどうしたん、ゴキブリでも触ったんか」

「リサ、オマエはもうちょいデリカシーってやつをやな……」

「どうせ侑李のことやろうけど」

「ホンッッッマにオマエ、デリカシー……」

配慮という二文字をどこかに置いてきたらしい彼女は、相変わらずの仏頂面でそこに立っていた。片手に財布を持っているところからして買い物でもしに行くらしい。

「エロ本買うなら年確されんようにきいつけや」

「当たり前、なんのためにセーラー服着とらんと思ってんの」

「俺としてはなんのためにいつもは着とるんかが謎やわ、若作りか?」

黙って回し蹴りをされそうになったので、寸でのところで避けた。リサといいヒヨリといい、足癖が悪いやつらばかりやな。

「おセンチになるのは勝手やけど八つ当たりせんといて」

「蹴りかまそうとしてきた奴に言われたないわ。……ちゅうかリサは寂しくないんか」

「寂しいに決まっとる」

即答したリサは、「でも」と続けた。上を向いたその視線は、空を見ているようで更に遠くの誰かを探しているかのようだった。
空には、あの日と同じ月が出ている。

「侑李が巻き込まれんかったん事はええことや」

予期しない虚化、尸魂界からの逃亡、現世での潜伏。
どれもあの日の夜に起きたことで、あの場にいた誰もが自分で選択することができずに陰謀に巻き込まれた。
もしあの場にいたら、きっと侑李も虚化していて、一緒に匿われていて、──今も一緒にいた。

「オマエ、たまにええ女やな」

それでも強く言い切るリサが少しまぶしくて茶化せば、当然とでもいう風に軽くうなずいてから「たまには余計や」と眉をしかめた。

「それに悪いけど親友のオトコ寝取る趣味はないわ。そもそもオカッパは対象外」

「俺かて浮気するつもりはないわ」

「あたしに惚気んといて」

本気でイヤそうな顔をしながら結界の外に出ていこうとする彼女を見送っていると、数歩進んだところでまたぴたりと足を止めた。いつもは呼び止めようとしてもさっさと買いに行くのに珍しい。財布の中身が空っぽなことにでも気づいたのだろうか。

「真子」

「金なら貸さへんで」

「ちゃうわ。真子もたまには外に出ればええやん。アンタくらいやで、全然結界の外に出んの」

「俺は別に現世に興味ないねん」

「心配せんでも侑李は現世駐在任務なんて受けんよ。二番隊やし」

「……わからんやろ」

二番隊から異動してたら現世に来る任務なんて山ほどあるし、なんなら二番隊のままでも探しに来る可能性だってある。
もし結界の外に出て侑李に会ったら。もしその時に虚化して、それをあいつに拒絶されたら。

「(……アホらし)」

そもそも、待っているかもわからないのに何を考えているんだか。

「虚化の実験体になった挙句に突然行方不明になった奴のことなんか、待っとってもなんもええことないで、侑李」

気付けばリサは消えていて、俺の言葉に反応を返してくれる声は一つもなかった。








最後に会った侑李は、病室の寝台の上だった。
怪我を負って入院したと聞いて仕事を放って駆けつけた病室で、侑李が少しきょとんとした顔をしていたのを覚えている。
思っていたよりも元気そうな侑李と軽口をたたきながらも、腹に傷を負ったと聞けば問答無用で傷口をその場で確認して、大事に至らなさそうだと自分の目で確認して。
そこで俺がどれだけ安心したか、きっと彼女は知らない。

(今思えば藍染が関わっていそうな)怪我を確認し終えたこちらを伺いながらそろそろと蓬餅に手を伸ばす侑李は正直可愛かった。元々夜に彼女の部屋にあがりこむ口実のために買っていた和菓子だったので、止める理由もない。

「オマエん所ではどういう位置づけやったんや」

隊長格に話が来ている問題についての見解を聞けば、食べる手はとめないまま手持ちの情報を教えてくれた。総隊長から情報共有された時に予測はしていたが、やはり彼女の部隊が持ってきた情報らしい。
霊央院にいた頃から瞬歩の速さと情報把握能力に関しては他の追随を許していなかった彼女だったけれど、四楓院隊長が直々に二番隊に引き抜いてからはそれに磨きがかかった。侑李の能力が周囲に認められるようになって嬉しい一方で、自分だけが知っていたあの時と比べるとちょっと寂しくもある。

「さくらもち……」

「桜餅は退院してからや」

……なんて柄にもなく感傷に浸ったが、三つあったはずの蓬餅を食べきってもなお追加の甘味を要望してくる侑李の食欲に全てが消えた。侑李に二つ、自分用に一つのつもりで買ったものが全て食べられることはもはや慣れっこだけども、コイツ病人になっても食欲は落ちてないんか。

病人は早く寝ろと瞼を強制的におろしてやれば、案外素直に侑李は従った。

「真子、今日の仕事は?」

「書類だけやからどうとでもなるやろ」

自主練に付き合ってほしいと頼んできていた隊士達にはここに来る前に予定延期の連絡をいれてある。そのことを別にわざわざ言ってやる必要もない。

「そっか。じゃあすぐに寝付くから、それまでいてよ」

「それまででええんかァ?」

パタパタとねだるように動いた侑李の右手を握ってやりながら、口から出たのはからかいの言葉だ。
別にそこで「じゃあずっと握ってて」なんて言われることを予想していたわけではないが、何かしら甘えてくるか照れるかするかと思っていたのに、

「ずっと握ってたら真子の方が寂しくなっちゃうでしょ」

ほんのわずかに口角をあげて侑李が渡してきた言葉の温もりに、用意していた軽口は溶けて消えた。

「……心配かけて、ごめんなさい」

かと思えば殊勝な謝罪をしてくるから、調子が狂う。

「いかにも体調悪いですみたいなブッサイクな面さらすくらいなら寝てはよ治し、アホ」

平静を装いながらなんとか絞り出した気恥ずかしさが半分入った憎まれ口に何か返そうとして眠りに落ちた侑李の手を、起こさない程度ににぎりしめる。
温くて、柔らかくて、しばらく離したくないなと柄にもなく思った。




『ずっと握ってたら真子の方が寂しくなっちゃうでしょ』

オマエの言う通りやな。
最後に握ったあの温もりが恋しくて、寂しくてしゃあないわ。