「っ千冬さん!」
僕が彼女の名前を呼んだ時、彼女は最後に見た時よりもあちこちが傷だらけだった。傷の多さや深さと服のボロボロ具合が明らかに釣り合っていないのは、きっと反転術式で治したからで、彼女が今までここで稼いでくれた時間を思って胸が痛くなる。
駆け寄った僕の身体をさっと上から下まで見て、千冬さんは安心したかのように小さく息を吐いた。
「あんまり大きい怪我してないようでよかった。さっきの人は?」
「ちゃんと補助監督さんに保護してもらってきた」
「オッケー。私の方も……うん、そろそろ片が付きそう」
そう言った彼女が自身の右肩の傷口を反対の手で治していく、その白い光が消える前に濁った声が廊下いっぱいに響き渡った。
「貴様ら二人の死でか?」
はっと前を向けば、少し離れた位置で呪霊が余裕綽々の表情で立っていた。身体のあちこちが千冬さんの術式でボロボロと崩れ落ちているのに、自分の優位を信じて疑っていない。崩れ落ちていく端から身体を再生させているからかと思ったけど、続いて聞こえてきた言葉がそれだけじゃないと教えてくれた。
「銃がなければ貴様の術式も発動すまい」
口らしき部分を楽しそうに歪ませた呪霊の足元には、銃口をねじきられて壊されている千冬さんの呪具。
反転術式では呪具を直すことはできないし、そもそもあそこまで拾いに行った時点で呪霊に攻撃を叩き込まれて終わりだろう。
「終わりだ、ただの人の仔よ!」
「っ!」
まずい、千冬さんが予備の銃を持っているという話は聞いたことがない。銃を踏みつけてこちらに向かってくる呪霊から、僕が彼女を守らなければ。
そう思って刀に手をかけた僕の方をチラリと見た千冬さんは、不意にいたずらそうな笑みを浮かべて右手の親指と人差し指で丸を作った。
こんな状況で予想なんてしなかった彼女の笑顔とオッケーマークに固まる僕を他所に、一歩前に出た彼女が治したばかりの右腕をまっすぐ呪霊に向けてのばす。
親指の上で人差し指をゆっくり丸めていくそれは、まるで銃の引き金に指をかけるかのような動きで。
「銃がなきゃだめだって誰も言ってなくない?」
瞬きをした次の瞬間に、銀色が小さくきらめいて現れた。
『飛び道具系を命中させるコツ?うーん、見えない線を空間に引くイメージ……かな?』
千冬さんのそんな言葉を、ふと思い出した。
親指の上に音もなく装填された氷の弾丸を千冬さんが弾く。空間の上にキラキラとした白銀の線を描きながら、それは杭のように呪霊の真ん中を撃ちぬいた。
「銃なくても撃てるんだね」
「あれ、憂太くんに言ってなかったっけ?毎回弾道引くのが面倒だから使ってるんだ〜。呪具使った方が威力も増すし」
いっぱい反転術式使ったから動けない!ちょっと休憩!と言って座り込んだ千冬さん(最初は寝転がろうとしていたけどさすがに止めた)は、帳があがったことを確認してから補助監督さんに迎えに来るように連絡を入れた。
電話を終えたのを見計らって気になったことを聞けば、あっさりと答えてくれる千冬さん。スマホをしまって、代わりに壊れた銃を名残惜しそうになでる。
「結構重宝してたんだけどなぁ。最近の銃で呪具になってるの少ないから、また探さなきゃ」
「確かに学校にあるのも結構昔のやつだもんね」
「そうそう、さすがに火縄銃とか使いたくないし。京都の高専の方にならほしいタイプの銃があるんだけど、う〜ん……やっぱ悟くんにおねだりして新しいの見繕ってもらお」
「…………」
なんだか微妙な顔をしてうんうんと頷いた千冬さんを見て脳裏に浮かんだのは、思い出す必要もないくらいについさっきの出来事。呪霊に銃弾が当たってから祓われるまでの間のことだった。
『聞いていた話とちがう……ぞ……兄とちがって、妹の方は呪具がないと術式が使えないと……』
『……それも含めてなんだけどさ、誰から私のこと聞いたの』
消えかけていく呪いを見下ろす千冬さんの表情はやけにこわばっていた。
『呪霊のあんたに私と兄のことを話したのは誰』
『おまえら兄妹を恨んだまま死んでいった者……といえばわかるか?』
『……そう。不知火の方に呪詛師がいたんだ』
最悪、なんて呟いた割には彼女の言葉にはどこか安心したような響きすらあった。
まるで、他に最悪の答えがあったかのように。
「憂太くん?どうかした?」
ひらひらと目の前で手を振られて我に返る。ぱちんと意識がはじけた拍子に、一度は胸の奥にしまっていた質問が口から飛び出た。
「あの、さっき呪霊と話してた不知火って何?」
言ってから、踏み込みすぎていたらどうしようって我に返る。口を抑えて盗み見た千冬さんの表情は、銃について質問した時と同じものだった。
「それも言ってなかったっけ?不知火は私の父方の家系だよ。私以外全滅してるけど」
「ぜんめつ」
日常で使うことのない言葉が飛び出してきて、思わずそっくりそのまま繰り返してしまった。ぜんめつって全て滅していると書くやつで合っているだろうか。
「だから今回の呪霊とつながってた人も多分もういないと思う。悟くんとか上に報告は一応するけどね」
そう補足を入れた千冬さんは僕が何とも言えない顔をしているのを見て、「あ〜……」と一度視線を泳がせてから、困ったように笑った。
「薄情かもしれないけど、ずっと凍宮家で育ってきてたから、不知火の家とは全然関わりがないんだよね。だからこう、もう誰もいないってことに対しても実感もなにもなくて」
だから、と子供が玩具を持つように壊れた銃を抱え持つ彼女は続ける。
「むしろ知り合いが情報流してたわけじゃなくてよかったって思ってるくらい」
笑った千冬さんは本当に安心しているようだったから、
「……そっか!」
口から出かかったもう一つの質問は、今度は千冬さんに届けることなく心の中に押し込んだ。
「へぇ、呪霊を祓った後のことは聞いてなかったけどそんな感じだったんだ」
昼下がりの空き教室で僕と向かい合って座っている五条先生が、タピオカミルクティーを勢いよく吸い込んだ。先生の手に持っているそれは、確か渋谷に日本一号店ができたばかりのお店のもののはずだ。千冬さんが以前「飲みに行きたい!」と真希さんにおねだりをしていた時に見せていたロゴと同じものがプリントされている。
個人面談のお知らせ、と来た時はどんなことを話すのか身構えていたけど(僕の場合は秘匿死刑の件とかもあるし)、始まってみればなんてことのない、世間話の延長戦だった。
授業と任務の兼ね合いは大丈夫かとか、最近同期とどこに遊びに行ったかとか、大分話題が飛んで五条先生が着ている服のブランドについてとか。
そして、ついこの前の任務で千冬さんから聞いた話とか。
「で?迎えに来た補助監督じゃなくて憂太が千冬を抱っこして帰ったって訳か」
「えっ、先生見てたんですか?」
「いや?適当に言った。千冬の事抱っこしたんだ〜」
や〜ん、なんて言って面白がっている先生に見事鎌をかけられた僕は、なんだか全身の力が抜けて机に突っ伏した。千冬さんの事について聞こうと思っていたのに、その話をする前に先制パンチを食らった気分だ。先生にそんな意図はないだろうけど。
「千冬の事抱っこした感想は?あいつ真希ほど鍛えているわけじゃないから柔らかかったでしょ」
「勘弁してください……」
迎えに来た補助監督さんに「まだ動けないから抱っこしてください!」と元気よく手を伸ばした千冬さん。僕はそれを横で見ているだけ……のはずだったんだけど、気が付いたら僕の両手は千冬さんをしっかりと抱えていた。
『えっと、乙骨さん……?』
『あっ、えっ、ぼ、僕まだ体力ありますし、彼女のことを運びます!どこまで行けばいいですか?』
『は、はぁ……そしたらこちらに車を停めていますので、ついてきてください』
補助監督さんは終始戸惑っていたけど、千冬さんの方は誰が抱っこしても構わなかったのか、ぱちくりと瞬きを一つだけしてなされるがままだったので、そのまま僕が車まで運んで行った。(車への道案内をするだけになった補助監督さんには申し訳ないと思っている。)
その道中で柔らかさとか温もりとかを何も感じなかったと言えばウソになるけど、さすがにここで大っぴらにそれを言えるほどの度胸は僕にはない。というかそれがまわりまわって千冬さんの耳に入ったらと思うと怖い。
千冬さんには嫌われたくない。
僕の心中を知ってか知らずか、先生はもう一口タピオカをすすった。
「ちなみに道中で折本里香が暴れだしたりとかなかったかい?」
「?別に何もなかったですけど……里香ちゃんは最近ずっと大人しいですし」
少しずつ呪いを刀に移していっている最中だから、コントロールができるようになっているかどうかを確認したいのかな?
首を傾げて説明を待っていたけれど、先生は「また面白いことになってるねぇ」と笑うだけでこの話題を切り上げた。
「何か他に聞きたいことは?」
気付けば面談は残り5分ほどになっている。時間的に最後の質問になりそうだ。
僕の秘匿死刑は今どういう状態になっているのかも気になるけど、進捗があったら先生から言ってくれるだろうし。
色々考えてかんがえて、最後に頭の奥に残ったのは同級生の女の子の姿だった。
「えっと、五条先生は千冬さんの家の事は知ってたんですか?」
「まあある程度はね。千冬のお兄さんが僕と同期だったからさ。千冬兄の方から色々聞いてたよ」
そういえばお兄さんと先生が同期だったって以前言っていたな。
「ていうか本当に聞きたいことはそれじゃないんじゃないの〜?」
「そりゃあ、聞きたいことは他にもありますけど……」
千冬さんは、今までどんな人生を送ってきていたんだろう。
呪霊とつながりがあるような『知り合い』がいるのかな。
気になることはいっぱいだけど、他の人からそういう事情を聞くのはやっぱり違う気がする。
僕はやっぱり千冬さんに嫌われたくないのだ。
それに。
「上手く言えないんですけど、お兄さんの事とか自分の家の事を話す千冬さんは、なんか不安定な気がして」
まるでずっと背伸びをしているみたいな、そんな不安定さ。
それを崩してしまうかもしれないと考えると、あの時の僕は怖くて踏み込めなかった。
「そこをもうちょっと具体化させないと、聞いたとしてもはぐらかされたままだね。千冬はああ見えて話したくないことを流すのはうまいよ」
僕のあやふやな説明をばっさりと切った先生は、「千冬のそういう面に気付けたのは進歩だけどね」とフォローなのか追い打ちなのかよくわからない慰めをかけてくれた。
ていうか、やっぱり話したくないことなんだ。
自分なんかが彼女の話したくないことを聞き出していいのかと再び悩み始めた僕は、しかし次の先生の言葉に衝撃を受けることになる。
「まあそんな憂太の繊細な気持ちをまるっと無視して僕から話してもいいけど……あ、そういやあいつに今お見合いの話来てるの知ってる?」
「えっ」
なにそれ、知らない。