憂太くんとの初の二人きりの任務は、お隣の県の廃病院だった。
「帳を下ろします。ご武運を」
補助監督によって作り出されたかりそめの夜の世界。その中心に位置する病院は、何年も前にその機能を失ったらしい。表向きの理由は医師不足だけれど、医療過誤だかなんだかが起きたからともまことしやかに噂されている。
今では近所の中高生が肝試しスポットとして使っているだけのそこに呪術師が派遣されることになったのは、肝試しに行ったきり帰らなくなった高校生がいるからだ。それもこの土地でそれなりに偉い立場にある人の一人息子。一緒に行った子達は廃病院の外で見つかったけれど、外傷が全くないのにも関わらずに意識不明で未だに目覚めないから詳しい話も聞けない。
そういうわけで、今回の任務内容は『高校生の発見(生きていたら保護)、および呪いが原因であればそれの討伐』です。
任務前に確認した情報を頭の中で思い浮かべながら、憂太くんと二人で院内を回る。院内全体に呪いが散らばっているのか、ちょっとしたお化け屋敷みたいな感じになっていた。
「そういえば反転術式のことだけど、硝子ちゃんが教えるだけならいつでも教えてやるからおいで、ただし習得できるかは保証しないよ、だって」
硝子ちゃんからの伝言を思い出したのは、どこからか飛んできたメスを憂太くんが「うわぁ!」と言いながら刀で弾き飛ばした時だった。顔の前で刀を構えたまま、彼がこっちを向く。
「千冬さん、わざわざ聞いてくれたんだ」
「うん、反転術式使ってる時にちょくちょく視線感じたから、気になるのかな〜って」
「ありがとう。でもあの、習得できるか保証しないっていうのは……?」
「単純に向き不向きの問題。悟くんも他の人の傷は治せないしね。でも憂太くんセンスあるし、自己治癒としての反転術式はできるようになりそう」
体術しかり、呪力の使い方しかり、とにかく憂太くんは吸収力が半端なく高い。もともとセンスがあったとしか言いようがないほどに。
かといって、そのセンスを開花させるために努力を重ねてきているところももちろん知っているんだけど。だからこそ硝子ちゃんとの橋渡しを買って出たわけだし。
「っ千冬さん!」
突然立ち止まった憂太くんが指したのはとある病室。わずかな月明りが差し込む暗闇の中で、倒れている人影が見えた。
「もしかして、あの人……」
「かもしれない。でも誰にしたって人間であるなら救助対象だよ。まずは生死の確認しなきゃ」
呪いが病室の中にいないことを確認してから人影にかけよって首元に手をあてれば、わずかではあるけど脈が感じられる。よかった、まだ生きているみたいだ。
ぱたぱたと見知らぬ男性の状態を確認している私の後ろからおずおずとのぞき込んできた憂太くんは、事前に提供されていた写真を手に持っている。
「……どう?」
「生きてる。目立った外傷はないけど意識がないから、多分この空気にあてられてるのかなぁ。補助監督さんからもらった写真と顔一緒?」
「うん、この人が保護対象の人で間違いと思う」
「おっけおっけ。……うん、やっぱりどこにも傷はないし、とりつかれている感じもしないから、帳の外に出れば自然回復するはず」
「本当?よかったぁ……」
「……うーん、全体の状況としてはあんまりよくないかなぁ」
「え?」
呪術に関係することへのセンスがある憂太くんがたった一つだけ、ザルなもの。
呪力感知。
「ちょっとやばいよ、これ」
大きめの呪力を持った何かがこっちに来るのが分かった。しかもすごいスピードで。
多分私と憂太くんの呪力をたどってきているから、このまま帳の外まで出ようとしたところで、追い付かれるのが関の山だ。
「憂太くんさ、先にこの人連れて帳の外に出てくれる?」
振り返って言った言葉に、憂太くんが戸惑いながらも眉をひそめた。
「……それは千冬さんを置いて安全な場所に避難してろってこと?」
「違うちがう。単純な役割分担だよ。私は守りながら呪霊を相手にできるタイプじゃないし、というか筋力ないからその人おぶって走れないし」
憂太くんが呪術高専に入学したての頃だったらわからないけど、今では彼の方が確実に筋力がある。それにそもそもの話、おぶったりしたまま銃を撃てないし。
なら、憂太くんが保護対象を守って一時撤退して、私が弾幕をはってそのアシストをするのがベストだ。
「今回の任務にはこの人の保護も含まれてるから。早めに帳の外に放り出して補助監督さんに預けてきて、憂太くんは戻ってきて」
「っでも!」
「憂太くん、呪いがもうすぐそこまで来てる」
これ以上、議論をする暇はない。同じことを悟った憂太くんがもう一度だけ眉間に皺をきつく寄せた。
黙った彼をおいて病室から出れば、廊下の先に真っ黒な影が一つのびていた。足音もなく現れたそれは、目が一つしかない異形。私の姿を見て、目の上の部分がゆっくりと弧を描くようにして開く。
「生きている人間がもう二人釣れるとはな」
「知能があるタイプとか最悪なんですけど」
ドアの前で陣取って、銃を構えて。
目の前の呪霊から目をそらさないまま、憂太くんの名前を呼んだ。
「行って、憂太くん」
「……っすぐ戻ってくる!」
絞り出すような声でそれだけ言って、憂太くんは保護対象をかついで私の背後へとかけていった。憂太くんはきっと言葉通り、最速で補助監督に高校生を預けて戻ってくるだろう。
なら、私もきちんとやるべきことをやらなきゃ。
「悪いけど、ここから動かないでね」
当然のように憂太くんたちを追おうとする呪霊の足元に、炎を撃ちこむ。立ち止まったそれに氷と普通の弾丸を間髪入れずに放った。
炎で焦がした部分を凍らせて、最後に打ち砕く。私がいつも使う手段。
黒こげになってボロボロと崩れていく身体を見て、ぎょろりとその目が私の方を向いた。
「炎と氷……貴様、不知火と凍宮の混血か!」
「……そんなに有名人だった記憶はないんだけどな」
単なる自然発生の呪いが悟くんならともかく、私のことを知っているのは明らかに異常だ。呪詛師とつながってる可能性がありそうだから、その情報も引き出さなくてはいけなくなった。
やることが増えたことにため息をつきながら、再生していくその呪霊の身体に再び銃を向けた。
ずうっと前の話だ。お兄ちゃんが生きていた時の話。
『どうしたの、千冬』
『……今日もうまくできなかったの。悟くんにもみてもらったのに』
ぎゅう、と服の裾をつかんで引っ付き虫になっている私をはがすことなく、お兄ちゃんはなんてことないように頭をぽんぽんとなでてくれた。
『もしかしたら、術式ついでないのかもしれない……』
『ん〜、まあまだそうと決まったわけじゃないけどね。でも、もしそうなら、千冬を守ってあげてね、って父さんと母さんが千冬にあげる分の力もお兄ちゃんに渡してきたのかもしれないな』
術式の練習で失敗する度に繰り返される弱音と慰め。いつものやり取りの後に私の言葉が続いたのは、後にも先にもその一度だけだった。
『……それなら』
『うん?』
『もしパパとママがわたしの分の術式をのこしてたら、わたしはパパの家につれてかれてた?』
お兄ちゃんの纏う空気が固くなったのを、私はその時確かに感じていた。
『……誰が言ってたの、それ』
『悟くん。おまえが術式もってないから、不知火家はつれてくかまよってて、だから雪那と今いっしょにいれるんだろって』
『あいつ……』
今思えば、あれは悟くんなりの慰めだったのだろう。私が家のことや呪術界全体を覆う古めかしい考えを知っていることを前提にした、あの時の彼なりの慰め。
ただ、私はお兄ちゃんによってそういうものから守られていた。柔らかい愛情で、目隠しをされていて、それを悟くんが知らなかったから起きた。そんな、ちょっとしたすれ違い。
当時のお兄ちゃんもすぐに気づいたのだろう。一つだけため息をついて、もう一度私の頭を撫でた。
『まあ、不知火の家の話は今の千冬が気にすることじゃないよ。もう少し大きくなったら話してあげるから、気にせず練習は続けなさい』
『……術式持ってても、持ってなくても、お兄ちゃんといていい?ずっと守ってくれる?』
『うん、どんな千冬でもずっと守ってあげる。だからその代わり、しっかり生きるんだよ』
結局私が炎と氷を使えるようになったのは、お兄ちゃんが死んだ後だったし、両親の家の話をしてくれたのはお兄ちゃんじゃなくて硝子ちゃんと悟くんだった。
お兄ちゃんが死ぬ前に、不知火家がなくなる前に、私の術式が発動していたらどうなっていたのか。
それは誰も教えてくれなかった。