彼岸の淵

娘のレイコが、一歩でも外に出ると九割五分知り合いに会うから引きこもっていたい、などとわけのわからない事を言うのだが、こういう事かと身をもって体験していた。
これからエンジュ大学で講義がある私は、眠気覚ましにコーヒーを飲もうと喫茶店に入り、そこで見覚えのある金髪を見つけた。誰だっけな…と斜めの後ろの席から考えていた時、連れのタキシード男が、マツバ、と呼んでいたので、ジムリーダーのマツバさんだと思い出す。

そうだそうだ、マツバさんだ。どうりでどっかで見たイケメンだと思ったよ。
相変わらず爽やかな好青年といった佇まいだったけれど、彼の向かいに座る紫タキシードの男が、それを見事に相殺し、不思議な光景を作り出している。
誰だあれ。あいつは知らんぞ。友達なのか?紫のタキシードに蝶ネクタイにマントという派手さが渋滞しているファッションは、どう見てもマツバさんと真逆で混乱する。
あんな格好という事は一般人ではない気がするが…でも一度見たら絶対忘れないと思うので、有名人ではない気もする。どういう関係なんだろう…と様子を窺っていたところ、ファンと思われる女性客がマツバさんにサインをもらいに行っていたので、やっぱ人気あるんだなぁとしみじみ思った。
ゴーストタイプの使い手では唯一の男ジムリーダーだからな、マツバさん。需要が一点集中状態ですよ。レイコもイケメンだって褒めてたし。まぁあいつは誰でもイケメンっつってる気もするが。ストライクゾーンどうなってる?

「相変わらずだな、マツバ。そろそろいい人はいないのか?」

マツバさんのモテ男っぷりを間近で見ていたタキシード男がそう言ったので、私もつい聞き耳を立ててしまう。彼も彼でイケメンではあるけど、衣装のせいで完全に霞んでいた。それでもその服を着る勇気を讃えたいよ。
ゴーストタイプは浮遊持ちだが、マツバさん自身に浮いた話は全く聞かない。少しでもスキャンダルがあればミーハーな妻は絶対に騒ぎ出すので、マジに清廉潔白なのではないだろうか。
コーヒーをゆっくり飲みながら耳をすませ、イケメンの返答を待っていると、潔白な男から意外な言葉が放たれた。

「気になってる子ならいるな」
「そうか!」
「ミナキくんも知ってる子だよ」
「そうなのか!」

タキシードマンの名前も発覚したところで、私も彼と同じようにオーバーリアクションを取ってしまいそうになる。
へー。好きな奴いるんだ。そして普通に言っちゃうんだ。隠す気配もないところを見ると、二人は相当仲良しなのかもしれない。ポプテピピックみたいな感じか…と勝手に思っていたら、ピピミナキくんは首を傾げる。

「しかし…私とマツバに共通の知り合いなんていたかな…レイコくらいしか思い浮かばないが…」

瞬間、突然無関係でいられなくなり、私はコーヒーを吹きかけた。咄嗟に口元を押さえ、咳き込むのを全力でこらえる。とんでもないところでフラグ立てしてきた実子に、真性の夢主力を見た。

レイコ!どう考えてもうちのレイコだな!なんて神出鬼没なんだ!
まさかのところで娘の名前を聞き、お前の交友関係どうなってんだと心の中で問い詰める。
マツバさんはともかくあのタキシードの方もか?どこで出会うんだよあんな美川憲一みたいな格好の奴と。かたや派手ファッション、かたや地味ニートという接点など一つもなさそうな二人の出会いに、父は怯えた。
全く適当に生きてるから変な奴に出会うんだよ…三つ子の忍者みたいな奴もたまにレイコの部屋覗いてるしさ…やばすぎるって。生き方改めて。自身が旅に出しているせいで不審者と邂逅しているとは夢にも思わない父であった。

「レイコといえばこの間ゲームセンターで会ったよ。まさかクレーンゲームでも完敗するとは…恐れ入ったぜ…」

しかもなんか普通に遊んでるし。我が子ながら謎多き娘には、戸惑いが止まらなかった。
まぁレイコももう大人だから、自己判断で何とかやっていってると思いますけども…。朝っぱらからとんでもない衝撃を受けた父は、思わず深く溜息をついた。面倒なことになる前にそろそろ出るか、と思っていると、それまで和やかに話していた二人の空気に、わずかに変化があった。ちょうど、レイコの名が出たあたりから。
レイコとの思い出話を語るミナキくんとは裏腹に、マツバさんはただ微笑みを浮かべるだけで、うんともすんとも応えない。一度は上げた腰を下ろし、私は再び出歯亀になる。
饒舌だったミナキくんも相手の反応がない事に気付いたのか、しばらく沈黙したあとで、何かに気付いたように声を上げた。

「…まさかレイコなのか!?」

私はまたしてもコーヒーを吹き出しそうになり、出たいつものやつ!と様式美のような展開に、目頭を押さえずにはいられない。
出たよ、夢主特有の何故かモテる現象!マツバさんも被害に遭っていたのかと同情し、コーヒーを持つ手が震えて止まない。乱立するフラグは一体どれだけ存在しているのか不安になり、一人でも多くの目を覚まさせてあげたいと父は願う。
おいおい…正気か?マジどうかしてるぜ…だってレイコだぞ。自分の娘のことをあんまり悪く言いたくはないが本当にやばいよ。そりゃ顔も性格も特別悪いわけじゃないし、基本能力も高いから親として鼻が高いところはあるけども。
でもないな。ない。一緒に住んでみたらわかるけど家庭への貢献度とかゼロだから。ただの穀潰し。誰のおかげで研究ができてると思ってんだ?と容赦ないパワハラを繰り返しては、気に入らない事があると暴力に訴える…生粋のデンジャラスウーマンだよ。よく似た親子であることには気付かない父であった。

ミナキくんからの問いに、マツバさんは表情を変える事なく、意味深な言葉を呟いた。

「仮にそうだとしたら…応援してくれるかい?」

試すような物言いに、思わず私は息を飲んだ。まさかミナキくんとやらもレイコの犠牲に…?とわなないて、落ち着いてコーヒーも飲めやしない。
とんでもないところに居合わせちまったよ…。もはやコーヒーの味もしない状況で、問われたミナキくんはしばらく固まっていた。まるで時が止まったかのような硬直感に、私もついつい手を止める。
長い間だった。シンジがカヲルを握り潰す時くらいの長さは、いまにも第九が聴こえてきそうで、謎の緊迫感がある。
やがて彼が口を開いた時、時間は流れ出した。沈黙などなかったかのように。

「もちろん、二人が幸せならば」

いい奴やんけ。何?普通のいい人。
奇抜なファッションとは裏腹に、シンプルな回答で人の良さを見せつけたミナキくんは、裏表のない表情でマツバさんを見ていた。まぁやたら間があったのと、いろんな意味に受け取れる答えだった事は少し気になるが、爽やかな姿には好感が持て、ますますこの人がレイコを好きじゃありませんように…と願うばかりだ。毒されるなあんなニートに。マツバさんも目を覚まして。私は応援しないから。あなたのために言ってるんだ。

「ごめん、からかっただけだよ」

するとマツバさんはそう言って笑い、これまでのやり取りを茶化したので、私は猛烈に安堵した。曇っていなかった千里眼には、圧倒的感謝しかない。
あーびっくりした。よかったー女の趣味がまともで。一時はあわや修羅場と思って焦ったけど、そりゃ伝統あるエンジュのジムリーダーがレイコなんかに目が眩むわけないよな。何を馬鹿な心配をしていたんだと自嘲し、どうやら話は済んだらしい二人が、仲良くレジへと向かっていくのをただ見送る。立ち姿を見ても、何故友達なのか全くわからないから不思議だ。どこで知り合うんだよあの二人。オフ会以外有り得ないだろ。

奇妙なものを見た私も、そろそろ講義が始まるので出なくてはならない。カップの中身を飲み干そうとしていたら、突然テーブルの真ん中からゲンガーが顔を出したため、ついにコーヒーを吹き出す事となった。

「うわっ!」

何!?ゲンガーがすり抜けてきたんですけど!?
驚きながらもテーブルを拭くという器用な技を披露しながら、私はゲンガーを凝視した。敵意はなさそうだとすぐにわかったため、多少は冷静であった。

な、なに…どっから出てきてんの?野生?トレーナーが近くにいるのか?ゴーストタイプの中でも人気の高いポケモンであるゲンガーだが、育成中は度々ポルターガイストに悩まされるというストレスマッハなポケモンでもあるので、育てているのはわりと物好きが多い印象である。そんな物好きに心当たりがあった私は、ハッとしてレジに並ぶマツバさんを見た。
言わずもがな、彼はゴースト使いである。そして切り札はゲンガーだ。あのレイコでさえ、道連れだけは厄介だな…とぼやくくらいには普通に強い。
何か関係があるのかとマツバさんとゲンガーを交互に見ていたら、不意にゲンガーが手を伸ばしてきたので、私は咄嗟に身を引き、呪わないで!と心の中で叫ぶ。

ごめんなさい!レイコが気に障ることをしまくったかもしれないけど私は関係ないから許して!善良な研究員なんです!非力、ひ弱、非モテ、の三拍子揃った悲しい人間なの…!どう生きても無害だから殺さないでよ!まぁレイコという化け物を生み出した罪があるって言われたら素直に首を差し出すけども。育て方を間違えて本当に申し訳ございませんでした。
来るべき衝撃に備えていた私だったが、いつまで経ってもゲンガーから攻撃が来る事はなく、恐る恐る目を開いてみる。
するとゲンガーは私の伝票を奪うと、それを持ってマツバさんの元まで走っていったので、その謎展開に思考が追いつかず、呆然と立ち尽くしてしまった。

…え?
なんで伝票を道連れにされた?

やはりあれはマツバさんのゲンガーだったらしい。彼に伝票を渡したゲンガーは影の中へと消え、この時やっとマツバさんと目が合った。彼はわずかに微笑むと会釈をし、自分の会計と一緒に私のコーヒー代を支払う。突然の事には、私も会釈を返す事しかできなかった。

どうしよう、コーヒー奢られたんだが。
彼らが出て行ったあとでようやく冷静になった私は、慌てて後を追おうとしたけれど、もはや講義まで時間がない。この場はひとまず置いといて、あとでジムまで行こう。そして理由を聞かなくては。何故奢ってくれたのかと。
しかし、考えるまでもなく想像はついた。私は冷や汗をかいて、見透かされていたかもしれない思考の数々を思い返し、青ざめる。
面識がないはずのマツバさんが、どうして見ず知らずの私のコーヒー代を奢ってくれたのか、それは私をレイコの父親だと知っていたからに他ならない。では何故知っていたのか…いや、もう考えるのは止そう。いずれにしても彼は手遅れ側の人間なのだ。ニートと知っていても尚、愛娘に魂を奪われた、彼岸の淵に立つ哀れな人間に…。

おさまらない同情心を抱え、私は厳かなエンジュの道を歩く。二人のおかげで味がしなかったコーヒーを思い、まぁコーヒー代分くらいはレイコにマツバさんを推してみるか…と律儀なことを考える父であった。
それにしても安い賄賂だったな。360円て。