ウォーターバッドボーイズ

ハイナ砂漠はカプ・ブルルのお膝元である。実に不思議な場所で、道順を間違えると入口に戻されたり、出られなくなったりするとんでもない灼熱の迷路だ。余程の事がない限り入る者はいなかったが、そんなハイナ砂漠に連日挑む人間がいた。
アローラチャンピオンのレイコさんである。

「松崎しげるになっちまう…」

オアシス付近で佇むレイコさんに、水の差し入れをするのはこれで五回目だ。最初は、元スカル団の下っ端が話しかけたりなんかしたらぶっ飛ばされるかも…なんて思ったけど、水を渡さないとグズマさんにぶっ飛ばされるので、行かないわけにはいかなかった。

「日焼け止めならカネボウのアリィーがおすすめっすよ」
「マジかよ買うわ…」

アドバイスを素直に聞き入れるレイコさんは、なんかよくわからないけどハイナ砂漠で記録しなきゃいけないポケモンがいるらしい。連日通いつめては、激怒しながら戻ってきたり、生気を失った様子で戻ってきたり、感情を殺した顔で戻ってきたり、とにかく近寄り難い雰囲気だった。まぁアローラ初のチャンピオンだしよ、俺たち元スカル団ともやり合った人だし、色々気まずいから話しかける気はなかったんだけど、この辺でたむろしてる身としては、気にしない方が無理であった。
そんなレイコさんと、ある日を境に会話を交わすようになった。おいしい水の差し入れをした時だ。

オアシスのそばで日傘を差しながら、図鑑なのかカメラなのかを無心でチェックするレイコさんは、まるで仏像のようだった。雨にも負けず風にも負けず砂漠の暑さにも負けず没頭する彼女があまりに動かないから、トレーラーから覗き見つつ、みんなで心配していた。
あいつ…生きてる?と誰かが言った時、意外にも行動に出たのは、これまでスルーを決め込んでいた、俺たちのグズマさんだった。
水持ってけ、とペットボトルを投げ寄越したグズマさんもまた、レイコさんに注目していた一人だと知ったのだった。

以来、日焼けに悩む彼女に水の差し入れをするのが、俺ら下っ端の最近の仕事である。お高く止まってるかと思いきや、レイコさんは普通の人だった。チャンピオンとしてのオーラは死に、まるで住所不定無職であるかのように、覇気のない人種とさえ感じた。天下のチャンピオンを無職呼ばわりするなんて失礼だよな…と考える俺は、限りなく正解に近付いている事など知る由もない。

「すいませんね、いつもいつも水もらっちゃって…お気遣い頂かなくても大丈夫なんで…」
「そんな水臭いっすよ!」

水だけにな!
恐縮するレイコさんに、気にしないでくれと重ねて言い、今こうして真っ当に生きていられるのは、あの時レイコさんにボコボコにブチのめされたからなので、みんなそれなりに感謝もしていた。今では誰がチャンピオンに水を渡すかで揉めているくらいである。最近でこそこうだが、元々はグズマさんが持っていけと指示したから行われた事であり、俺たちはそれに従っているに過ぎない。

「それに水持ってかないと俺らがグズマさんに怒られるんで!」

あくまで下請けだと主張すれば、レイコさんは一瞬フリーズしたあと、水を凝視した。いや毒なんか入ってないから。

「え?グズマさんが何故…余計に恐縮するわ」
「みんな心配してんすよ、チャンピオンのこと」
「水もらわないと死ぬと思われてんの?」

幼児か私は?と腑に落ちない顔をしながらも、素直に受け取り、複雑そうに笑った。

「ま…もうすぐこの辺の記録も終わるから、グズマさんにもお礼言って帰るよ」

ペットボトルを振り回し、さらっと寂しい事を言ってレイコさんは去った。
そうか…レイコさん次の記録場所に行くのか、としみじみ思い、この日課ももうじき終わりを迎える事を実感したら、わりと虚無感があった。ポケモン研究も手伝ってると聞いたので、アローラ各地を転々としているのだろう。忙しい人だ。何が彼女をそこまで駆り立てるんだ?頑張ったって報われない事の方が多いのに。
それでも何故か、ひたむきに走る姿を見ると、そういう人生が輝かしいものに思えてくる。やり直す機会を与えられた今だからこそ、余計にそう思う。


それから数日して、珍しい光景を見た。グズマさんとレイコさんが話していたのだ。
炎天下の中、レイコさんがグズマさんに箱のようなものを押し付け、そしてそれをグズマさんが突き返そうとしているという謎の構図だ。遠くて声は聞こえないけど、あのグズマさんの圧に動じないレイコさんはすげぇなと思わざるを得ない。これがチャンピオンの風格なのか。かなり上から怒鳴られてるのに一歩も引かず、いや物理的にはどんどん引いていたが、渡した箱を返されまいと後ろで腕を組んでいた。上官に楯突く兵士が如く。
次第にグズマさんも諦めたのか、溜息をついて箱を受け取っていた。レイコさんは満足そうに一礼し、もしかして別れの挨拶に来たのか、とこの瞬間察した。

もうじき移動するって言ってたもんな。わざわざ挨拶に来るなんて律儀だなぁ。まぁあんだけ水もらってたら無言じゃ帰りづらいだろうけど。おいしい水一本あたり二百円するし。しかし地熱発電所のウォーターサーバーからこっそり頂いているのでタダなのであった。
タダ水と知らないレイコさんは、それから二言くらい交わして、グズマさんと別れていた。レイコさんをぶっ壊せなくて苛ついていた頃からは考えられない光景だ。グズマさんがトレーラーの方に戻ってきたので頭を下げれば、さっきレイコさんから受け取っていた箱を投げられ、ギリギリのところでキャッチする。

「うわわわ!」

あぶねぇ!雑に投げ寄越されたけど落としたら落としたで確実に怒られるやつ!

「な、何すかこれ?」
「知るかよ」

素っ気ない態度のグズマさんはいつもの事なので、渡された箱を見ると、のしが付いていた。なんで?引き出物?と良く読み込んでいけば、水御礼と書いてあり、水引の下にはチャンピオンと記載がある。

…え?
タダ水、のし付いて返ってきたの?

「菓子折りじゃないスカ!」

裏表の表示を見て、驚きのあまり叫んだ。
菓子詰め合わせって書いてある!レイコさんからの御礼!?のしまで付けなくてもよくない!?タダ水だし!
チャンピオンである以上適当な振る舞いはできないという事なんだろうか。のし紙付きの箱を片手に、そりゃグズマさんも受け取りを拒否したくなるな…と納得した。タダ水の礼で菓子折りもらったらさすがに申し訳ない。こんな事ならアリィーの日焼け止めも差し入れすれば良かった。まぁ何とか松崎しげるにならずに済んだみたいだけど。

「え、ど、どうしますか?いいんすか?」
「いいも悪いも仕方ねぇだろ、お前らで分けろや」

気前のいいグズマさんにそう言われ、複雑ながらも言う通りにした。今度レイコさんに会ったらお礼言わなくちゃ…タダ水だった事は…黙っておこう。この罪を背負って生きていくしかない。でなきゃこののし紙も浮かばれない!

こんな事までしなきゃならないなんてチャンピオンの責務って重いんだな…初チャンピオンだしな、己の行いがアローラ全体の印象に繋がるかもしれないという重責、俺には想像もつかないよ。
実際は、グズマさん怖いし一応のし紙付けとくか…くらいの気持ちだった事を知る由もない俺は、遠くで振り返ったレイコさんに、また来てください、と声をかけた。
すると笑顔で両手を振ってくれ、やっぱチャンピオンの威厳ないな…と微笑ましい気持ちになる。仏像のように心頭滅却しているか、この世の憎しみ全てを砂漠に置いてきたような表情しか見た事なかったので、思わぬ一面に、つい顔が綻んだ。

「可愛いっすね…チャンピオン…」
「ああ…」

何気なく聞き流したあとで、思わず二度見した。肯定の二文字がグズマさんの口から出たとはとても信じられず、動揺を隠せない。
え…いま同意した?可愛いってのに頷いたよね?確かに可愛かったけど…グズマさんにそういう感情があったなんて…。聞いてはいけない事を聞いてしまった気分で恐れ慄いていたら、本当に聞いてはいけなかったらしい。失言に気付いたグズマさんは俺を睨むと、半端ない圧で怒鳴りつけた。

「あ!?何も言ってねぇよ!」
「は、はいっ!」

手遅れすぎる誤魔化し方をされ、確かにはっきり聞いたけども、ブン殴られたくない一心から返事をした。何も聞いてない、もう忘れた!全部忘れたよ!よく見たらレイコさんも別に全然、まぁ普通って感じだし!
ド突かれないかびくびくしていたが、グズマさんはさっさと戻っていったので、ホッと胸を撫で下ろす。
あー…びっくりした。発言には気をつけなくちゃ…でもあんなうっかりするなんて、グズマさんも少し変わったって事っすかね。まぁどんなグズマさんでもついていきますけど!
のし付きの菓子折りを持ち帰り、これがタダ水のお返し!?と全員で恐縮しながら、チャンピオンの置き土産を有り難がるのであった。