知らぬが仏

相席でもいいですかと聞かれたので、空腹が限界だった私は、相手さえ良ければと返し、席に着く。しかし向かいに座っていたおっさんはカタギにしては強面すぎたので、食欲はわずかに減退する事となった。え、絶対ヤクザじゃない?ジャパニーズマフィア?メンインブラックなみの黒スーツなんだが。
仮定ヤクザは私を見ると、意外にも愛想よく、どうぞ、と言ったため、少しばかりホッとする。まぁヤクザもカタギには手を出さないらしいし…同業だからって相席くらいで手を出されたらたまったもんじゃないけど。

今日は久しぶりの学会だった。娘のレイコにセキチクまで迎えを要請したのだが、何度かけても電話に出ないので、仕方なくシャレオツなサテンでヒーコーを飲んでいる状況である。向かいのヤクザを肴に。食事はスリルショックサスペンスだな。

このまま電車で帰るかサファリで遊んで帰るか考えていると、ようやくレイコから折り返しの着信があった。やっとかよと舌打ちを堪えられずに応答し、待ち合わせに遅刻してきた彼氏を責めるような口調で答える。

「もー!レイコ遅ーい!」

瞬間、正面のヤクザが反応したような気がした。しかし絡まれたくないのでスルーし、何回も電話したんだからね!と娘を全力で非難する。けれどもレイコからの返事は、寝てるに決まってんだろの一点張りで、私は喫茶店の時計を確認した。午後三時。やはりニートは害悪でしかない、改めて思う父であった。
とにかく迎えに来て、と何とかアッシーにする事に成功したが、代償に五百円を失うはめになる。まぁ電車代を考えたら安いけど、抜け目ないというか何というか…全く親の顔が見てみたいですよ。私だったか。

「レイコ…」
「はい?」

電話を切ると、突然ヤクザが呟いた。最悪、いや最愛の娘の名前が強面のおっさんの口から出ると、戦闘力5のゴミとしてはびびる他ない。
え、なに。レイコがどうしたの。まさか知り合い?このヤクザ風の男と?前から思ってたけどお前の人脈どうなってんだ?たまに怪しい制服の構成員みたいなのと戦ってる映像が送られてきたりしてたけど、父さんお前を信じて全部無視してきたんですよ。戦わなきゃならない時がある、それがトレーナーってもんだからな。でもヤクザはまずいな。父さんこの業界で仕事できなくなる。
そういえばこのおっさんどっかで見たかも…と警戒していれば、相手はニヒルに笑う。

「お嬢さんですか」
「え、ええ…まぁ…自立できない馬鹿娘で…」
「いい名前だ」

褒められた。ただの名前フェチのおっさんだったか。

「私を悩ませている女と同じ名前ですよ」

全然いい名前じゃない。感性大丈夫?
大変ですね…と渇いた笑いを浮かべ、同じ名前に親近感が湧いただけかとひとまずはホッとした。
よかった…さすがのレイコもヤクザと関わってはいなかったか…いや本当にヤクザか知らんけど…ボランティアに勤しむ善良な市民だったら謝罪します。

レイコという名の愛人に高額なブランド品とかねだられて困ってんのかな…と性懲りもなくヤクザ認定していれば、食事を終えたらしいおっさんは席を立ち、特にそれ以上物申す事なく去っていった。緊迫した時間であった。
もはや空腹も消えたわ…独特の雰囲気だったな…お喋りのおばちゃんに絡まれる事は時々あれど、まさかヤクザ風の男に謎トークを吹っかけられるとは…もう相席は止そうと誓い、コーヒーに手を伸ばした時、ふと伝票が消えている事に気付く。

あれ、さっきまであったのに。なんで?落ちた?
机の下を見るも、何もないし椅子の間に挟まってもいない。どこ行った。
ハッとして顔を上げる。落ちてないとすれば可能性は一つ…ではないけど、確率的に一番高いのは、あのヤクザ。

まさか…奢られた?なんで?
やっぱり名前フェチだったのか!?と混乱し、まぁレイコの小遣い分浮いたからいいかと能天気に考える父は、今でも娘がマフィアのボスと顔見知りである事を、知らないままである。