鍋にぶち込まれた不気味な具材を見て、利吉は唸っていた。
「…なんですか、これ」
「スッポンです」
「スッポン!?」
まともなリアクションが返ってくると安心する。やっぱり姫のチョイスはおかしいんだと納得でき、それはそれとして気にせずスッポンを食べた。鍋というのは何を入れても大体問題ないから好きだ。
「マムシ酒もありますよ」
「結構です…」
箸の進まない利吉は、最後まで渋っていたけれど、結果的に宿泊に同意した。私が夕食用の鍋を準備している間も掃除を続けてくれて、殺す前に私の気持ちを汲んでくれようとしてるのかな…と思うと、彼の優しさに胸打たれそうになる。
これから殺す相手の最後の望みを聞く事が、利吉にとっての誠意だったり、慰めになるのかもな。利吉だって私の事は嫌いじゃなかったと思うし…たぶん…きっと…それなりに良い関係だったんじゃないだろうか。そんな相手を殺すなんて絶対に胸が痛いだろう。私だって痛い。できたら殺さずに返り討ちにしたいが、利吉相手に手を抜けるかはわからなかった。
武器と火種の位置は把握している。どうしてもやばかったらこの家諸共利吉に爆発四散してもらう覚悟で、私は生き延びようとしていた。死ぬのが一番役に立たない、と母に叩き込まれた私は、恩師の息子を木っ端微塵にしようとするイカレモンスターとなってでも、死ぬわけにはいかないと思っていた。
でも姫にも見捨てられた以上、何のために生きていけばいいんだろう。利吉を死なせたら忍術学園も頼れないし、汚れ仕事をして食い繋いでいくしかないのかな。それもこの世には必要な仕事だと思うけど、なんだか悲しいよな。
気乗りしないながらもやる時はやるしかないので、私は黙って布団を敷いた。埃っぽくて申し訳なかったが、利吉だって正直それどころではないはずだ。
「おやすみなさい」
明かりを消すと、利吉からも同じ言葉が返ってくる。残念ながら今夜は月が眩しい。私は夜目が利く方だから、暗い方が有利だというのに。
眠れるはずもない中、目を瞑って隣の気配に集中すると、すぐに利吉の様子が伝わってくる。何度も寝返りを打つので、どうにも気が散り、こいつマジでやる気あるのか?と叱責したい気分だった。
お前が私の部下だったらこの世のパワハラを一身に浴びていた事だろうよ。まず落ち着け。何故そんなに落ち着きがない?暗殺にしろその他の仕事にしろまず落ち着けよ。利吉がそれをわかっていないはずがないのに、どうしたこの状況は。それとも仕事じゃないのか?プライベートで私を殺すのか?
混乱を極める私だったが、ようやく動き出した利吉に、もはや情けは無用であった。この時を待っていたと言わんばかりに布団を飛び出て、立ち上がった利吉に、鍋蓋で殴りかかる。体を動かしていた方が緊張しないことに気がついた。逆に肩の荷がおりたようだった。
「…何の真似ですか、レイコさん」
蓋の掠った頭を押さえ、利吉は私から距離を取った。この期に及んで芝居を続ける彼に違和感があったが、もはやどうだっていい。とうとう尻尾を掴んだぞ、と私は口角を上げる。
「茶番はやめましょう、利吉さん」
蓋を捨てたと同時に手裏剣を構えた。
「もうわかってるんですよ」
両手で打ち込むと、利吉は床を転がりながら外へ逃げた。やはり簡単には仕留められないか。本気で打ち込まなかった自分にも、葛藤があると気付かされる。
利吉を殺したくない。簀巻きにして転がすだけで済ませたい。そういう気持ちが溢れてくる。利吉だってそうじゃないのか。
追いかければ、利吉は隠れもせず、何故か月の下で待っていた。やっぱり何かおかしいな?と思いつつ、どこまでが作戦なのかわからないので、気丈に振る舞うしかない。
「待ってください、とりあえず落ち着いて…」
「待ちませんよ…命が懸かってるんですから」
「命?」
完全にポカンとしてやがる。そんな顔できたのか利吉さん。宇宙猫みたいになってるぞ。
まるでこっちがおかしいみたいな相手の反応に、心外極まりない気分になり、キレ気味に指を差して、ついでにスッポンの甲羅を投げつけた。めちゃくちゃ嫌な顔で避けられた。
「いま私を殺そうとしましたよね」
「いや…外に出ようと思っただけです、眠れなかったので」
「…枕が変わったくらいで眠れないとは…嘆かわしい…」
「スッポンのせいです!」
甲羅を投げ返され、高速スライダーをイーグルショットで迎え打った。殺伐とした空気が何だか歪んでいき、スッポンの生き血で血行促進されているらしい利吉は、若干気が立った様子で溜息をついた。
「あんなもの食べてよく平然としていられますね…あなたやっぱり毒効かないんじゃないですか?」
「効くよ!」
知らんけど!まだ毒を口にした事はないけども!効くよ絶対!ゾルディック家じゃあるまいし!
怒鳴り合ったところで沈黙が流れ、無風の中に静けさが訪れる。虫の声もなく、月夜に互いの姿があるだけとなった。
「…レイコさん」
先に口を開いたのは、利吉だった。構えを解いた彼は、私より先に状況を飲み込んだらしく、冷静な口調で話し出した。何となく腹立つ。
「何か誤解があるようですね」
「そうです…私にだって毒は効きます」
「その話はもういいですって…」
お前が言い出したんだろうが。何だその言い草は。本当に殺すぞ。
戯れに手裏剣を打ちそうになったが、誤解、という言葉が私の胸に引っかかり、寸前で手を止めた。正直言うと、この暗殺は私も何かが変だと思っていたからだ。
ここまでの行動、全てにおいて利吉らしくなかった。一緒に仕事をしたことがある身として、彼のスマートさは理解しているつもりだった。さすが山田伝蔵先生の息子さんという感じだったのに、姫から山田利吉調査を命じられたあの日から、とにかく彼は様子がおかしい。妙にテンションが高く、やたら奢ってくれた。自分の方が高給取りだと言わんばかりに。
その謎がいま解けるというのか。それともあれが素だったのか?普段の都会ぶった態度が背伸びだったとでもいうのか。それはそうかも。
「姫様から何か頼まれたんでしょう?」
いきなり図星を突いてきた利吉は、本当に全部を把握したような様子だったので、やっぱりこの秘境者は侮れないと感心する。だからこそここ最近の態度が不可解なのである。
もしかすると本当に何か誤解があるのかもしれない。利吉と戦わずに済むならその方が楽なので、私は正直に話す事にした。あんなしょうもない事を話したところで不利になるとは別に思わなかったからだ。
「…山田利吉殿を調査しろと頼まれました。突然。何の前触れもなく」
「なるほど…」
姫から特命を受けたものの、極秘でとは言われていないため、何の躊躇もなく本人にバラした。利吉も心当たりがないわけではないようで、納得と呆れの両方の顔をし、完全に警戒を解いた。今なら爆発四散も可能というくらいの隙を見せたわけだ。しないけど。たぶん。
「実は私も姫様から仕事を受けているんです」
「はぁ」
「ところで…」
ところで?
まさか…この状態で話を変えるの?嘘でしょ。絶対にここから入れる保険はないぞ。
「レイコさんは…推し活って知ってますか」
完全に事情が変わった。本気で意味がわからなくなってきたぞ。
「…はぁ?」
この場所、この時、この状況で、絶対に出るわけがない言葉が飛び出した事を、私は素直に面倒臭いと思った。もう殺しちゃおっかな、の勢いだ。
「推し活って…オタクの生き甲斐のあれですか」
「それです」
それか〜。それであってしまったか〜。違うものであってほしかった。兵力拡大を推し進める活動の略とかであってほしかった。
急に緊張が失われ、真面目にいろいろ考えていた自分が馬鹿らしくなってくる。何やねん推し活って。何で今その言葉が出てくるんですか?この状況に関係あるんですか?あるから言ったんだろうな。嫌すぎる。
そのオタクの生き甲斐が何なのよ…と目を細め、聞きたいような聞きたくないような心境になりつつも、仕方なく利吉の話に耳を傾けた。
「現在…姫様は推し活に勤しんでおられます」
「それはまぁ何よりですけど…でもそれが一体何なんですか?なんで利吉さんがそんなこと知ってるんですか」
私ですら知らない姫の推し活を何故か把握していた利吉に、露骨に疎外感を覚えた。どうしてハブられた?私なら姫のために遠征に行って限定グッズを買う事もできるというのに。それとも推しを知られるのが恥ずかしいお年頃?だからといって利吉から姫の推し活を知らされるのはおかしいだろ。完全に他人じゃん。それともあれか?姫と利吉の推しが偶然にも一致した…つまり同担だったとでもいうのか?
混乱する中で、利吉も難しい顔をする。少し言いづらそうな表情には引っかかりを覚えるものの、ここまできたら洗いざらい話してもらうしかない。
強気に睨みつけたら、耐えかねたのか利吉は再び口を開いた。
「私は姫様に…あなたとの交流を逐一報告するように頼まれていたんです」
「何のために」
「だから、推し活ですよ」
微塵も理解が及ばない私の顔に、利吉もさすがに同情的な様子だった。そして、全ての答え合わせが済む事となる。
「つまり…私と、あなたを、推してるんです」
それを聞いた瞬間、これまでの事が走馬灯のように浮かんできた。
利吉の調査をしろと言われ、飯を食い、饅頭をもらい、買い物をし、スッポンとマムシを渡された風景が蘇り、そして去年の事がふと脳をよぎる。
母を亡くして数日、さすがにまだ落ち込んでいた私に、姫様は言った。
「レイコ、あまり気を落とすなよ。私が傍にいるのだし、あとはなんか…山田利吉殿とかもついているだろう」
何で急に山田利吉…?とあの時は思ったのだが、今すべての謎が解けた。
そうか、姫。推しカプだったんだ、利吉と私が。
私と利吉の距離を近付けて公式カプにしようとしていたんだ。
欲望に忠実すぎだろ。パワー型のオタクにも程がある。引くわ。
拍子抜けを通り越して、呆然とした。もはや無の境地であったが、それでも一つだけどうしても理解できない事がある。それはもちろん利吉についてであった。
「いや…利吉さん…それはやっぱり無理がありますよ」
半分は信じたくない気持ちでそう告げたが、正直あの姫なら全然有り得る事だったので、そこは信じよう。普通にやりそう。自身が主催したパーティーに声優呼んで同人誌のアテレコとかさせそう。そういうバブリーな精神を持ち合わせてはいそうなんだけども。でも。だけど。
「だって…利吉さんがこんなアホな仕事受けるわけないじゃないですか」
姫には悪いが、本当にアホだ。馬鹿のオタクだ。絶対に炎上するタイプのオタクだ。この時代にSNSがなかった事を感謝してほしいくらい香ばしいオタクだ。そんなアホのオタクの推し活に、利吉さんが協力するなんて事あるか?絶対ないだろ。だって自カプの攻めとして尽力しなきゃいけないんだよ?私相手に。アホやん。アホすぎる。
やっぱり暗殺の方がまだ現実味がある…と拳を握る。私を殺す仕事、私を相手に自カプの攻めとして振る舞う仕事、どちらが楽かなど言うまでもない。いくら断りにくい相手とはいえ、利吉は安い男ではない、断る時はしっかり断るはずだ。無理です。駄目です。あなたアホですか、と。
忘れかけていた暗殺の件が再び現実味を帯び、私に緊張を走らせた。しかし先程の私の言葉が、利吉にはわりとクリティカルヒットだったらしく、痛いところを突かれた顔で頭を抱えていた。いや頭抱えたいのはこっちですけどねって感じだった。
「…わかりませんか」
わかるわけがない。何がわからないかもわからないし、最初から何もかもわかっていない。これからわかる予感もない。
「私がこのアホみたいな仕事を受けたのは…」
言いながら、利吉は私に近付いてくる。思いがけない行動に身構え、どうするべきか本当に悩んだ。判断が遅いと母にも鱗滝にも殴られそうだが、こんなにどうしたらいいかわからないのは初めての事だった。
一体何を信じたらいいんだろう。感情の機微が全然わからない私には本当に難題だ。
利吉の話か、姫の性格か、自分の推理か。もはや全てが幻のように感じる。全部嘘だったらいいのに。姫の推し活も、利吉の仕事も、私の妄想も、母の死も、全部嘘だったらいいのにな。
でも今だったら、ちょっとくらいは利吉にも傍にいてほしいかもしれない。
揺れ動く心の中で、そういえば一つだけ真実があると気が付いた。
それは私には他人の感情の機微が全くわからないと言われてしまっている事である。つまり間違っているのは、私の推理の方なのではないか。
そう思った時、利吉が両手で私の手を握った。
重なった視線から、初めて機微というものを理解できた気がした。
「…わかるでしょう」
わかりませんね、と言ってみたくなったけど、やめておいた。代わりに利吉の肩口に額を寄せ、深く大きな溜息をつく。
「…よかった」
不意に出た本音と共に、私は利吉の手を握り返す。別に全部仕方ないと思ってたけど、姫も利吉も私の命を狙っているわけじゃないとわかったら、一気に力が抜けた。本当は姫と離れるのつらかったし、利吉を爆発四散させるのも嫌だった。まぁ殴りたくなるほど憎たらしい時はあるけど、それも含めていい思い出だったのかもしれないと思う。
「最近やたらと利吉さんが付き纏ってくるから…私を殺す気なのかと思ってましたよ」
「その思考回路でよく人の事アホとか言えましたね」
やっぱり殺しとこうかな?火種あるし。炸裂弾あるし。
手を振り払いながら、私は辛辣な利吉に提案をして、この日の仕事を終えるのだった。
「利吉さん、取り引きしましょう」