外が騒がしい。何かトラブルみたいだな。
そろそろ寝ようと布団に入った時、遠くの方で声がした。大元は忍たま長屋だろうが、こっちの屋敷まで声が響くのは珍しい。塀の近くで何かあったのだろうか。
面倒事の予感はしつつも、騒ぎの中寝ていられるほど無神経でも好奇心が死んでもいなかったため、布団を這い出ながら自室の戸を開けた。この行動がフラグ立てになると気付いているような気付いていないような私である。
よくよく聞くと子供の声だった。一年生かな。は組じゃありませんように…と祈るだけ無駄なので、騒ぎの元へ駆けつけようと膝を立てた瞬間、廊下を横切る何かを見つけ、私は目を細める。
蜘蛛だ。カバキコマチグモだ。一時期生物委員にいたからわかる。噛まれるとめちゃくちゃ痛い事ももちろん知っている。つまり毒蜘蛛なので、こんなところに野放しにしていてはいけない。
というか、何故野放しになっているのか。すでに全貌が見えてきた私は蜘蛛を目で追い、あの騒ぎは恐らく生物委員会絡みの事件だろうと結論付けた。
どうせまた毒虫を逃したんだろう…全部見つけるまで眠れないやつだな。仕方ないから持っていってやるか、と蜘蛛を捕まえようとした時、廊下を走る音が聞こえ、私は目を見開いた。嫌な予感がしたと同時に当たったのがわかった。
「触るなレイコ!毒蜘蛛だ!」
土井先生だ。何故こっちの長屋に入ってきてるんだ。緊急事態だから山本シナ先生の許可を取ったのか。だからって夜に若い男の教師を入れるのは有りなんですか?年寄りの先生ならいいって事でもないですけどね、など、色々な事が頭をよぎったが、どれか口にする前に手を掴まれてしまい、またラブストーリーは突然に状態である。慣れてきた自分が怖かった。
「わかってます」
「あっ、そ、そう…」
マジレスすると気まずそうに手を離し、先生は虫籠に蜘蛛を黙って入れた。私は立ち上がって溜息をつき、無造作にも程がある先生の乱れ髪を見ながら尋ねた。
「また生物委員が逃しちゃったんですか」
「ああ…残り十三匹…」
「手伝いますよ」
「あとムカデとカエルもだ」
「手伝いますから」
だからこの長屋から出ていってくれ。風紀が乱れる。主に私の風紀が乱れる。寝巻きの男女が自室の前で二人きり、何も起きないはずがなく…になる前に帰ってくれよ。布団も敷いたままなんだ、こんなのフォレストサーバー神に見つかったら押し倒しイベントとか始まっちゃうだろ。激裏夢は平成に置き去りにしたいんだよ。
完全に自分のために手伝いを申し出た私だったが、疲れ切っている先生には天使に見えたらしい。目を輝かせて心からの感謝を述べられると、何とも居た堪れない気分になるのだった。
「助かるよ…」
そんなに有り難がられると私もつらい。先生を遠ざけたいと思っている罪悪感がすごい。別に土井先生のことは決して嫌いではないんだけど…普通に一生徒として接したいけど…フォレストサーバーがそれを許さないんだよな…。
何とか押し倒しイベントを回避して先生と別れ、私は毒虫探しの準備をした。灯りを用意している頃に小雨が降ってきてしまい、文字通り泥沼の戦いになる事を予感しながら、傘も小脇に抱えるのだった。
カエルを一匹見つけて生物委員の元へ持っていき、二つの長屋の境目あたりを探していると、急に土砂降りになった。傘を打つ雨の激しさは相当なもので、地面に落ちた水は全部足に跳ね返ってくる。最悪の夜だ。また風呂入り直しだな。この時間ではもはや水風呂だろう。全てにおいて気が滅入る。
そろそろ帰っていいかな…と手伝いを切り上げる事を誰かに伝えに向かっていた時、木の下に何かがいるのを見かけた。
あれは一年ろ組の初島孫次郎だ。生物委員会じゃないか。きっと雨宿りをしているんだろう。さっきまでは取るに足らない小雨だったから、傘を所持している奴の方が少なかった。
眠そうな顔の下級生に近寄ると、私に気付いた孫次郎が声を出す。
「先輩…」
何故か怯えた顔をしているが、決して私が威圧的だからではなく、彼が一年ろ組の生徒であるためそのように見えるだけだ。そう信じたい。
「毒虫はもう捕まったのか?」
「はい…おかげさまで…」
その言葉に安堵の表情を浮かべると、相変わらず暗いが孫次郎も笑顔になる。
よかった。手伝うと言っておいて途中で放棄するの気が引けてたから助かった。やっと眠れる事に歓喜し、その前に風呂に入らねばならぬ事を思い出して一気に天国から地獄である。
地獄ついでに、土砂降り地獄も味わっておくか。
「雨宿りするのはいいけど、木の下はやめた方がいいよ。雷が落ちる」
そこのお前、落雷による死亡場所第二位は木の下なんだぜ、の顔をして孫次郎をビビらせると、私は彼に傘を渡した。
「ほら」
「え?」
というか押し付けた。全然受け取ろうとしなかったから強引に持たせた。何故遠慮するんだ子供のくせに。ここで傘を貸さなかったら私の方が嫌な奴になるんだから、そこは素直に受け取れよ。先輩の顔を立てるってそういう事だぞ。
「それじゃ、おやすみ」
「あ、あ、先輩…」
孫次郎の困惑の声を無視し、私は冷たい雨の中を駆けた。格好つけるんじゃなかったと後悔するほど凄まじい雨だったが、どうせ風呂には入り直しだ。一年生をずぶ濡れにするわけにいかないし、今日はこういう日だったという事で諦めよう。毒虫探しを手伝うと言ったのは私なんだ、虫に噛まれなかっただけでも儲け物。そういう考え方をしないとやっていけないよな。
ポジティブに考えるのには理由があった。ネガティブな事を考えると、その予感が当たってしまうからだ。今は一秒でも早く帰りたかった。本当に本当に帰りたかった。
しかし、くの一長屋は…遠い…!
早くしないと土井先生に出会ってしまう…!
そう考えたら瞬間だった。考えてはいけなかったのに、つい土井先生の事を思い浮かべてしまったのだ。
塀が見えてきたその時、雨でさらに乱れた髪の土井先生も遠くに見えて、思わず足を止めた。先生はまるで役者のようによくお似合いな傘を持っている。
あー終わった。土砂降りの相合傘イベントや〜。
「レイコ!」
雨に打たれてショーシャンクと化している私に駆け寄ってきた先生は、驚いた表情で名前を呼んだ。さりげなく傘に入れてくれたけれど、もはや濡れすぎていて意味がない。
「傘をどうしたんだ?」
当然すぎる疑問を投げかけられたため、私は中村アンのように髪をかき上げながら答える。
「孫次郎が雨宿りしてたのであげちゃいました」
「あげたぁ?」
大袈裟に首を傾げる先生が、何をそんなにでかい声で驚いているのか、私にはわからなかった。しかし次の言葉で全てを理解し、己の失態に気付く。
「長屋まで送ってあげればよかったじゃないか」
その手があったか。
私は呆然と口を開け、考えもしなかった選択肢に感心した。
そうか、孫次郎と相合傘して帰ればよかったんだ。全然頭になかった。というかフォレストサーバー神によってその思考を排除されていた可能性があるけど、それにしたってアホすぎじゃないか?だから孫次郎もポカンとしてたんだ。このパイセンアホなんちゃう?の顔だったのかあれは。解せんが納得しかない。何だか笑えてきた。
「確かに…無駄に恩売っちゃった」
堪え切れずに吹き出すと、先生も笑った。不覚にも、なんかいいな…と思ってしまって絶望した。何いまの感情。消そう。もう消した。閉店。
「帰るぞ」
気の迷いを振り払っていると、先生からそう言われ、どうやら送ってくれるらしい事に気付く。二人で入るには小さい傘は、とにかく狭いし近い。先生こそ傘寄越してくれたらいいんじゃないか?って感じ。私のために濡れてくれ。いやもう濡れなくていいから、私を雨に打たせてくれないか。
「先生…」
何だかこの雨で全てを洗い流したい気持ちになった私は、運命に抗おう、と決意した。今まで流れに従ってここまでやってきたが、そもそも従う必要など最初からなかったのではないか、とようやく気付く。
折ろう、フラグを。だってフォレストサーバーはもうサ終したのだから。
「お気持ちは大変ありがたいのですが…一人で帰らせてください…」
真剣な顔で伝えると、先生も真顔になった。そんな顔しないで…の気持ちになってしまい、異様に動悸がする。この動悸がそのうちときめきに変わるのか?と考えたら、やっぱり無理だった。
あの占いの通りになったらどうしよう、普通に全然本当にマジで嫌だ。先生のこと好きでも嫌いでもないし、いや好き寄りの普通だけど、それは教師としてであって、成人男性として好きなわけじゃない。仏に誓って有り得ない。花京院の魂を賭けてもいい。
しかしこの先私がどれだけ先生を避けようとも、何も知らない先生はフォレストサーバー神に導かれるがまま、私とフラグを立てにくるだろう。こうして優しく傘に入れてくれるだろう、毒蜘蛛から守ってくれるだろう。それじゃ駄目なんだ。それでは回避できない、六年後の謎の結婚を!
「あと…お願いがあります」
「ど、どうした」
私の剣幕に引く先生は、先程の孫次郎なみに怯えていた。今回は私が威圧的なせいで間違いないだろう。これほど鬼気迫った表情で他人に向き合った事はなかった。とにかくあの占いが嘘だと信じたかったのだ。
「街で噂の占い師のところに行ってみてくれませんか」
「占い師?」
流行に乗り遅れているのか、先生はピンと来ていない様子だったけれど、もはやこれは私一人の問題ではないのだ。私の占いで先生と結婚すると出ているなら、先生の占いでも私と結婚すると出るはずなのだ。それにより二人で危機感を覚え、この未来を回避するために協力し合う事ができる。いやもはやそれしかない、このピンチを乗り切るためには、先生が占いの結果に不満を示して抗っていくしかないんだ。
「私のためだと思って!」
それだけ言い捨て、私は走り去った。本当に行ってくれるかわからないという不安はありながらも、占い師のところへ連れていく勇気までは持てなかった。私にだって、年相応の恥じらいくらいはあるのであった。