一人で行かない方がいいと言われたが、どうにもむしゃくしゃして、私はあの廃寺にやって来ていた。
晴れていると、傷んだ壁から光が差し込み、室内がよく見える。

隠し扉は二つ。中央の観音菩薩を挟んで、左右にそびえ立っている。この前閉じ込められた方が古いみたいだ。戸の色が違った。

もう…こんなものがあるから悪いんだと思うんだよね。からくり屋敷なのか、覗き部屋か、ハッテン場か知らないが、あれさえなければ、ここはただの廃寺である。一級フラグ建築施設として随分ご活躍いただいたが、もう引退してもらおうと、私は手に持った微塵を強く握った。

こんな部屋…あるのがいけない!私はもちづきさんになりながら、微塵を思い切り振りかざした。直後に凄まじい音を立て、扉はすぐに壊れた。やけに頑丈ではあったが、微塵の前ではその名の通り粉微塵になるしかない運命である。隠し部屋が露わになると、その狭さを改めて実感した。
最初からこうすればよかったんだ。そしたら先生と閉じ込められる事もなかったはず。あるのがいけない。あるのがいけないのだ。もちづきさんは正しかったんだ。

一仕事終えてドカ食いしたい気持ちになりながら、ポツンと佇む観音菩薩を見た。暗い時はよくわからなかったが、木彫りのわりとでかい観音様がいる。左手に水瓶を持っている。
何観音なんだろう。仏教には詳しくないからなぁ…土井先生ならすぐわかるんだろうな。
という事を考えて、私はしばし思考停止した。

何でいま土井先生が出てきたんだ。おかしくないか?まるで親兄弟のことを思い浮かべるみたいに、日常の一部として土井先生が出てきてしまった気がする。むしろ非日常的な毎日ばかり送っているというのに。非日常が毎日起きたらそれはもう日常なのか?土井先生と過ごすのは私にとって日常になってしまったんだろうか?こうやってサブリミナル効果みたいに土井先生が私の生活に差し込まれる事で、土井先生を求めるようになってしまうんだろうか。

そんなはずはないと気持ちを鎮め、無心で微塵をただ振り回す。
微塵といえば三年生の頃、土井先生がくの一教室の授業に来た時に扱いを褒めてくれた武器だ。殴打に使うよりは足に投げて転ばせる方が多いのだが、私はとにかくそれが上手かった。逃げる者追う者皆転ばせてきたと言っても過言ではない。あの時私に片足引っ掛けられてすっ転びかけたこと、先生覚えてるんだな…と思って、何だか感慨深かった。褒められた事を覚えている私も私だが、素直に嬉しかった記憶がある。
それが今ではこのザマよ。土井先生の事を思うだけで危機感を覚えるようになってしまった。いい先生だったな、という印象のまま卒業させてほしかったのに、様々な感情が押し寄せて、もはや先生をどう思ってるのかもよくわからない。
絶対結婚したくないのか、結婚するのはもう仕方がない事なのか、むしろ結婚してもいいのか、ここまで来るとどうやって結婚まで持ち込むのか興味が湧いているのか、何もかもよくわからなかった。

「レイコ!」

ぐるぐると考えを巡らせていると、後ろから私を呼ぶ声がした。誰なのかは顔を見なくてもわかる。私が出くわすのは土井先生以外に有り得ない。

「先生…どうしたんですか」

微塵の回転を止め、やってきた先生に尋ねる。何しにこんなところまで来たのか本当にわからなかった私は、わりとガチめに怒られて驚愕した。

「どうしたじゃない!なかなか帰らないから心配したぞ!」

まるで子供みたいな怒られ方をしてしまい、もう六年生なんですけど…と率直に思った。そんなに血相変える事かな?って感じだった。
しかし次の言葉で、何だか妙に胸を締め付けられてしまう。

「また閉じ込められたのかと…」

気付かなかったが、いつの間にか夕陽が出ている。かなりの時間菩薩の前で考え事をしていたらしい。
この前の一件があるから、土井先生は本当に心配してくれていたのだろう。わざわざ救助に来てくれたんだ。さすがに同じ轍は踏まないと思うけど、フォレストサーバー神のせいで常識では考えられない妙な事が起きているのは事実である。身を案じる気持ちはわかるつもりだ。逆の立場だったら私も同じ事をしたかもしれない。
しかしそれはそれ、これはこれである。土井先生に心配かけて申し訳ないとは思う。けれどもあの隠し扉は生かしておけない。私の心の安寧のためにも。

「…すみません、どうしてもあれを野放しにはできず…」

私は謝りながら、恐る恐る剥き出しの隠し部屋を指差した。扉はもはや原形をとどめていない。だから、そこに扉があった事さえすぐには気付けなかったのかもしれない。先生はしばらく指差した方を見つめたあと、ようやく理解できたのか、顎が外れるほど驚いていた。また怒られるかも、と感じるくらい何か言いたそうにしていたけれど、私のしおらしい姿を見てか、溜息をつくだけに終わった。

「まぁ…いいか…」

諦めた。怒る気も失せたか。もしくは先生も内心ではぶっ壊したかったのか。全部だろうな。
思わず笑ってしまいそうになるのを隠すため、先生に背を向けて再び観音菩薩を見る。その時ふと、菩薩が左手に持つ水瓶に、文字が書いてあるのが見えた。

森鯖菩薩と書いてあった。

奇妙な文字列に、私は吸い込まれていく。じっと水瓶を見つめ、謎の言葉を脳内で繰り返した。

森…鯖…?森鯖。森鯖…?なんだ森鯖って。名前か?この観音の。森鯖菩薩。意味はわからないが、私は引っ掛かりを覚えた。

森…森…鯖…森…。
森…フォレスト…フォレスト鯖…サーバー…?

まさか…フォレスト…サーバー菩薩…!?

「先生!」

あまりのことに、私は持っていた微塵を落とし、両手で先生の腕を掴んだ。これまでの事が走馬灯のように蘇り、恐怖で気が狂いそうだ。

あの占い師に言われた。全てはフォレストサーバー神のお導きだと。謎の邪神のお導きが、私と先生を結婚させるのだと。そう言われた。そう言われた!そう言われたあとにこの廃寺に誘われた!天変地異すら利用して!
その意味のわからない神の名が、この水瓶に刻まれている。本当に導かれたというのか?あなたは百人目のお客様だったのか?これまでの全てはフォレストサーバー神の掌の上?夢小説の神が私たちをこんな目に遭わせているっていうのか!?そんなオカルトな事を信じろっていうのか!?一体どこからどこまでがフォレストサーバー神の影響なんだ。それがわからないのが一番怖い!

「まずいですよ先生…私達、神のドツボにハマってますよ」

突然意味不明な事を言い出した私に、先生はもちろん困惑していた。しかし私も困惑している事は忘れないでいただきたい。

「この廃寺をきっかけに私と先生の距離がすごいスピードで縮まってるじゃないですか」
「そ、そうだっけ?」
「そうですよ!」

とぼける先生の腕を思わず振り回したあと、もしかしたら私の認識がおかしいのか?と思い直し、真顔になる。

「え?縮まってないんですか?」
「そう言われるとお前といるのが日常になってる気もするが…」
「危ないですよ、距離を置きましょう」

先生の中ではすでに私と過ごしている事が当たり前と化しているようだ。その自覚すらなかったとは恐るべしフォレストサーバー神。この世で最も邪悪な神と言っていい。強引すぎるフラグ立ての結果が功を奏していると実感して、私は物理的距離を取る事を宣言した。
先生と結婚するのはこの際もういい、しかし神の掌の上で転がされた末の結婚なんて御免だ。ちゃんと自分の意思で結婚したいと思った時に結婚したい。いや自分の意思で土井先生と結婚しちゃったら世も末だけど。気が狂ってるけど。自暴自棄としか思えないけど。

「このままだといつの間にか結婚してるかもしれないし」
「そんな事ある?」
「今後はあまり話しかけないようにします。別々に帰りましょう」

勝手に全てを決め、私は先生との決別を宣言した。さすがに会話がなければフラグも立たないだろうという判断だった。
卒業までの一年、ここが正念場だ。六年後とは言いつつも今の段階でこれだけのフラグ乱立である、つまりこの時期に人生のターニングポイントが存在するといっていいだろう。だからここを乗り切れば結婚はなくなる。たった一年耐えればいいだけだ。

そう言い聞かせ、微塵を拾い上げた私はそのまま立ち去ろうとした。したが、数歩進んだ途端、急に寂しさが込み上げてしまい、理不尽な現実に頭痛がしてくる。

何?この気持ち。怒り?それとも悲しみか?
大体なんで私が占いなんかのために先生と喋るの我慢しないといけないの?喋らないといけない時だってあるだろ。話したい時だってあるし。いや、あるのか?今までなかったけど、最近はあるかもしれない。たとえばこの廃寺がハッテン場だと友人に教えた事により、忍たま達の間でちょっとした肝試しスポットとなりつつある事とか、絶対言いたくなるだろ。ていうか言おうと思ってた。そういうのを全部封殺しないといけないと考えたら、ドン底の気分に陥りそうだった。

思わず引き返し、土井先生を見つめる。何だか不思議な気分だ。この顔を見て今まで何とも思っていなかった日々が嘘のようである。

「やっぱり今日だけ一緒に帰ってもいいですか…?」

恥を承知で尋ね、さゆりんごみたいな顔を必死に作った。さっきから勝手な事しか言っていないのを許してもらうべく、上目遣いであざとさの限りを尽くす。
すると先生は、見た事もないような表情をして私を見つめていた。どういう感情の顔だよ?と聞きたくなったが、これがランボー怒りの表情だった場合あまり刺激したくないので黙っておいた。土井先生すぐ殴るからな、余計な事を言って鉄拳制裁を食らうのは避けたい。
様子を窺っていると、直後にいつもの先生に戻った。溜息をついたかと思えば、呆れを通り越して笑えてきたのか微笑んでいる。私もつられて笑い、何だか急に恥ずかしくなってしまった。発言が二転三転しすぎな事を今さら痛々しく感じたのだ。

「…最初から駄目なんて言ってないだろう」

そう言われると、本当に私が一人でテンパってるように思え、穴があったら入りたくなる。先生みたいに絶対に占いを外すと強く思えればいいんだけど、なかなかそうはなれないから心が弱い。もっと鍛えなければ。占い結果も粉微塵にできるほど鍛えなければなるまい。
微塵の鎖を握りしめていると、土井先生が私の手を取った。そのまま帰路を歩き出し、しばらく頭が回らないまま進んでいたが、どう考えてもおかしくて、さすがに止まった。

「土井先生」

私が困惑の声を漏らしても、先生は違和感に気付いていない。

「この手はなんですか」
「え?」

繋がれた手を上げると、先生はハッとしたように目を見開き、ようやく己の奇行を知ったらしい。凄まじい勢いで離すと、謎の言い訳を述べた。

「ち、違う!誤解だ!」

何のだよ。その弁解もおかしいだろ。

「つい癖で…」
「一年は組の良い子たちじゃありませんよ私は…」

深刻な子守癖を苦笑し、先生にとっては一年も六年も一緒かと思うと、情けないやら切ないやら悲しいやらで複雑だった。それでもやっぱり一年は組と一緒にされるのはいくら何でも心外すぎるのでは…?と思い直した時、微妙で絶妙なフォローが先生から飛んできた。

「良い子ではあるけどな」

それはそう、と同意しつつも、面と向かって言われると照れた。様々な無礼を働きつつも、先生の中では私もまだ良い子なのだと思ったら、ちょっと嬉しいかもしれない。

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