夏休みになった。
あれから土井先生とはまともに話してない。挨拶すらままならないレベルに支障が出ている。まぁ当然だろう。すでに引き返す道を失ったのだから。

私は先日から、就職予定の城で研修に明け暮れている。自由登校になったらもう働き始めるみたいなやつだ。友人達も各々将来に向けて活動しているので、いよいよ卒業が近いと実感していた。
就職先は、忍術学園からそこそこ遠い。実家の近くを選んだらそうなった。なので、途中で一泊する必要があった。帰りも同じく、山本シナ先生が職場まで迎えにきてくれるはずだったのだが。

「…なんで土井先生になっちゃったんですか?」
「色々あったんだ、色々…」

荷物を持って正門へ行くと、土井先生がいた。すでに胃を押さえていた。本当に色々あったとしか思えない表情を浮かべながら、城の忍者と連絡事項をやり取りし、その間もずっと胃を押さえていた。お気の毒に…と他人事みたいに思う。

合わせる顔がなくて先生とは全然会ってなかったけど、結局こうなるんだな。私はフォレストサーバー神の効力に苦笑し、もはやこういうものなのだろうと享受の境地にまで達している。神の掌の上で転がされる理不尽さに怒りを感じていた時期もあったが、元々私達は神の掌の上にいたのかもしれないと思う。生まれた時からずっと。そう考える事で折り合いをつけた。

そんな事より問題が一つある。それは、宿で一泊するという点だ。
行きがけに帰りの予約をした際は、一部屋しか取らなかった。だって山本シナ先生が来ると思ってたし。行きも二人で仲良く布団並べて寝たし。成績の良さに胡座をかかないように、って怒られたし。すいません。
迎えに来たのが土井先生じゃなかったらやばかったな…と考えている自分も妙だったが、その場合はよそに宿を取ったのだろう。でも今回はあえて黙っておこう。狭い安宿に二人きり…何も起きないはずがなく…に身を任せるか。私は好奇心旺盛だから、この先どうなるのか見てみたくなってしまったのだ。我が事だというのに。

という私の思考を見透かしている先生は、一部屋しか取られていない予約状況に、驚きよりもうんざりって感じの顔をしている。

「お前…知ってただろう」
「そりゃあ…予約したのは私ですから…」

宿に着くまで黙っていた事を、先生はもちろん咎めた。ぴったりとくっついた二枚の布団を引き離し、しばらく悩んでいたけれど、他に部屋を取る事は諦めたようだった。満室と言われた事もそうだが、先生も先生なりに思うところがあるのかもしれない。話をしないといけないけど、何を話すべきかわからない。そんな顔だ。

「穴にも落ちたし密室にも閉じ込められたし…今さらかなと思いまして…」
「それとこれとは…」
「それとも何か起きるんですか?」
「馬鹿言うんじゃない…!」

怒る声にも覇気がなかった。無理もないだろう、すでに何か起こした人間が偉そうな事など言えるはずもないからだ。魔が差すって怖いな、と他人事みたいに思った。

それにしても今日の先生は、何だか様子がおかしい。考えすぎかもしれないけれど、口数も少ないし、目も合わせようとしないし、常に何かを、主に私を警戒しているようだった。まぁあんな事があれば当然だろうが、それにしても態度が妙だ。まるで早く朝が来てほしいとでも言わんばかりに、さっさと布団に入ってしまった。

話があるのかと思ったけど…そんな感じじゃなさそうだな。満月で十分明るい上に灯りも消してないところを見るに…こちらの動きを監視したいのだろうか。私が何かすると思ってるのか?確かに魔が差したし、今日も一部屋しか予約してない事を黙ってたし、信用してもらえないのは当然だろう。
でもそれは私も同じですけど?みたいな。自分が何したか忘れたんですか?みたいな。そういう気持ちあるよ。でも最初に仕掛けちゃったのはこっちだから、やっぱり私から謝った方がいいのかも。でも何を謝るべき?忘れろと言われた事を蒸し返すのもなぁ…でもこのまま卒業まで気まずいのもつらいものがあるし…。
ていうか、卒業までこの調子で、しかもこんな遠くに就職して、私達どうやって結婚するんだ?もしかして逆にフラグを折ったんじゃないか?

まだ抗えるのかもしれないという高揚感と、占い外れちゃうのかな…という落胆の気持ちが同時に押し寄せ、どうしたいのかよくわからなくなっている私は、とりあえず寂しさだけはしっかり感じたので、それを口に出してみた。意外とすぐに相槌もあった。

「こんなに遠いと…卒業したらそう簡単に会えませんね」
「そうだな…」

安堵を感じられる先生の声色を聞くと、目が冴えてきた。遠距離を喜ぶな。寂しがる振りくらいしなさいよ。それにどんなに遠くてもフォレストサーバー神の力はきっと及んでくるぞ。
どうにも眠れなくて起き上がれば、何故か先生も起きた。やっぱりおかしい。

「な…なんですか」
「いや…そっちこそ…」

不可解な空気の中で睨み合い、話し合うなら今しかないと私は核心に触れた。やっぱり謝ろう、と決め、目力を強める。

「先生…」

じっと見つめながら呼ぶと、先生は明らかに動揺していた。何も言うなと瞳が訴えている。

「穴に落ちた日のことですが…」
「…もう寝なさい」

即座に強制終了となり、シャットダウンした先生は布団を被ってしまった。何も聞く気はないという態度を露骨に見せられ、少なからずショックを受けるも、仕方ないので私も布団へ舞い戻った。
あの時、先生以外に魔が差したりしませんと言えなかったから伝えようとしたけど、この雰囲気ではできそうもない。まぁ帰り道のどこかで言うか…とすぐに諦めた私だったが、不意に小窓から差し込む月の光を見て、突然閃いた。

そうだ。
今日、満月だ。

「土井先生」

先程丸い月を視界の端に捉えた事を思い出し、私は点と点が一本の線で繋がる感覚を得て、大きく息を吸った。もしかして、と思ったのだ。
私と先生が占い師に言われたことはそれぞれ別の内容だったのかもしれないが、その中でも共通項があるとしたらどうだろう。穴に落ちて身に染みた先生が、警戒するとしたらこれしかない。

「もしかして今日…やっぱり何かあるんですか?」

占い師に言われた何かがあるとしたら、それは絶対満月の夜だ。今日起きる何かを避けたいんだ。運命が変わるほどの何かを。結婚せざるを得ないほどの大惨事を。
尋ねた私を完全無視して寝た振りをする先生の態度から、逆に確信する。絶対そうだ。間違いない。

「ちょっと!」

人が話しかけてるでしょうが!と声を荒げ、布団を出ると、土井先生は驚きの表情で飛び上がった。近付く私を追い払う仕草までする始末だ。

「うわ!来るな!」
「何ですか人を化け物みたいに!」

どうせ私は魔が差し接吻モンスターだよ、でもそれはお前もだからな?という強気な態度で先生の横に正座した。こうなればもう占いの結果など聞くまでもなく想像がついた。やけに警戒心を抱く土井先生が危惧していること、取り返しのつかない大変なこと、このシチュエーションでは一つしか考えられない。

「…わかりましたよ、さすがにこの状況では誤魔化し切れませんよね」

名探偵気分の私は先生を見つめ、アキネーターなみのドヤ顔で推理を言い放つ。

「私を無理やり手篭めにするって言われたんですね?」
「違う違う!全っ然違う!」

否定ついでに頭を叩かれた。こいつもう教育テレビ出禁だろ。

「お前に押し切られて私が責任を取らされると言われただけだ!」

全然違くもないし。ほぼ一緒だし。むしろ何も変わらないし。

「責任を取る…」

後半部分に引っかかりを覚え、私は冷静に思考を巡らせた。全ておかしいけど、その中でも明らかにおかしな点があったからだ。
いや…なんが時系列が変だよな。もし今夜私が押し切ろうが先生が手篭めにしようが、責任を取るとしたら絶対に直近だろう。帰ったらすぐ懲戒免職不可避じゃないか?そっちの方の責任ならわかるが、占い結果から考えると、どうもそうじゃない。率直に疑問を口にし、先生も頷いた。

「でも私たちが結婚するのは六年後ですよ」
「そうなんだ…私もそこが引っかかっていてな…」

腕を組んで考え込む先生も、いまいち辻褄の合わない占いに困惑を見せる。
今夜の責任を取って結婚するとして、遅すぎないか?六年後なんて。今は無理だから六年後に責任取るってこと?気の長い話だな。でもまぁ百発百中の占いによれば、先生は何らかの形で責任を取らされ、私達は六年後に結婚してしまうらしいので、どれだけ遠くに離れようが、この六年に責任ターニングポイントが度々発生するという事なのかもしれない。それを拾うのが今日なのか、別の日なのかわからないけど、総合的に考えると、これからも先生とは付き合いが続くって事なんじゃないか?

「…なんだ、じゃあ先生と六年は縁が切れないのか」
「なんだよその顔…嬉しくないのか?」
「それは…まぁ…有り難い事かもしれませんけど…」

誘導尋問されてそう答えると、先生もまんざらでもない顔をする。その表情を見ていたら、また心臓がマツケンサンバになってしまい、今夜こそ眠りさえ忘れて踊り明かすしかないようだ。
急にこの状況の生々しさがリアリティを帯び、私は、もう占いとかそういうのは関係なしに、先生と繋がりを持っていたいのだと自覚した。苦無で頭かち割りたくなるような衝動も、微塵で扉ぶち壊したくなる衝動も、全部この感情から来ているのだとやっとわかった。たぶん、月が綺麗ですねって事なんだ。

「どちらにせよ…六年後に全部わかるってことですね」

正解は六年後、に期待し、もう解けない推理をするのはやめた。土井先生の手を握って、先生は良い子の手は振り払えませんよね?の顔をする。

「なんだこの手は…押し切るつもりじゃないだろうな…」
「だって…ここで押し切らないと縁が切れちゃうかもしれないじゃないですか」

そう言うと、先生は黙ったし、手も振り払わなかった。何もない時間が数秒流れ、体温だけが熱くなっていく。私はもう覚悟ガンギマリ状態だったけれど、先生はそんなはずないと思ってたから、何の反応もない事が不思議だった。そして思わず尋ねた。

「…押し切られそうなんですか?」

拒絶しない先生に尋ねたら、どうにも嘘はつけないのか、心苦しげな表情で目を閉じる。

「…うん」

笑ってしまった。意思弱。押し切られるなよ、教育テレビだぞ。
私が少し吹き出したためか、土井先生は正気を取り戻し、背筋を伸ばして抵抗を始める。

「でも、縁が切れるとは限らないだろう」

手を離さないまま言われても説得力はなかったが、確かにそうだ。どこでフラグが折れるかなんてわからないし、本当は未来の事なんて誰も知らない。所詮は占いだ。本気で当たるなんて今でも微妙に思ってないけど、でも当たったらいいなって思う。神の掌の上でもいい、もういくらでもジョギングしてやるよ。
今日押し切られた罪の意識で先生が責任を感じるというのなら、感じていただこう、存分に。その罪悪感を六年引きずって、肩の荷を下ろすために結婚してもらおう。私にも未来が見えた。やっぱ今日しかない。今日押し切るしかない。

「気分が乗らないならずぶ濡れになってきましょうか?」
「言うんじゃなかった…」

口走った事を後悔している様子の先生は、あの失言で私を撃ち落とした事に気付いているのだろうか。というか先に撃ち落としたのは私だったのか?先生にも火縄銃で心臓ぶち抜かれるような衝撃があったんだろうか。ないなら教えて差しあげたい。死と恋が酷似している事を。

「切っても切れないと思うけど…」

押し切られまいと抵抗を続ける先生が、縁を切りたいとは一言も言ってない事に気付いて、もう絶対押し切ると決めた。もはや何も言わずに見つめると、とうとう先生が私の髪に触れる。マツケンサンバが勝利確定BGMに切り替わった瞬間だった。

「…穴に落ちた日のことですけどね」

握った手を一度離して、指を絡めた。逃げられないように力を込めた。

「魔が差したんじゃないですよ」

ようやく伝えられた安堵感に、私は深く息を吐いた。先生はしばらく黙ったあとで灯りを消すと、私を布団に引き入れる。暗くて狭いところには慣れてしまったので、逆に居心地がいい。
こんなところ覗かれたらマジで嫌だなぁと思って、あの時の自分を深く深く反省すると共に、隠し扉を破壊した事で禊とさせてもらった。あの時は絶対こうなりたくないと思ってたのに、いつの間にか真逆になっている事も、本当に不思議だ。

夏のせいだけではない暑さが私達を覆い、最後に先生がちゃんと撃たれてるかどうか確認したくて、私は口を開いた。

「先生こそ…また魔が差したなんて言わないでくださいよ」
「言う」

往生際が悪いな。結婚してもずっとこんな感じなのか?喧嘩しても謝らないタイプか?私もそうだからやっぱり占いなんて当てにならないと思うな。今は盛り上がってるけど数年後にはどうかわからないし。嫌いになってるかもしれないし、もっと好きかもしれないし、月が爆発して満月が消えてるかもしれない。
まぁそれも六年後にわかる事か。私は先の事を考えるのをやめ、現在の現実に向き合う。きっと痛いだろうな…と覚悟する私の頭を、何度も殴ったこの頭を、優しく撫でる先生を見つめて、そっと目を閉じた。

未来なんて誰も知らない。いや、フォレストサーバー神だけが、もしかしたら全部を知っているのかもしれない。


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