キノコは世界に数千種存在すると言われているが、食用として用いられるものはそう多くはない。しかも見た目が類似したものも多く、素人が見分けるのは困難だ。誤って毒キノコを食べようものなら、地獄の苦しみを味わう事になるだろう。
食欲の秋である。この時期、私はきり丸が採取したキノコの仕分け業務を行う事になった。というのも私は山菜好きであり、特にキノコには詳しいからだ。
マジンガーやマクロスの見分けがつかずロボット物をなんでもガンダムと言ってしまうオカンのように、一般人は皆キノコなど同じに見えるのかもしれない。しかしよく見るとそれぞれ特徴があり、自生場所や時期などと照らし合わせればわりと特定は可能だった。
採ったキノコは用途に合わせて売り捌くのだと言う。私はマニアックすぎて売れなさそうなものを貰う事を見返りに、きり丸に協力していた。
今日もキノコを採ってくるというので医務室できり丸を待っている。薬として使えるものは保健委員に売るらしいから、ここで仕分け作業をすると効率がよかった。ついでに善法寺伊作に留守番も頼まれているため、一人きりで静かなものだった。
「レイコ。すまない、遅くなって」
しばらくすると、土井先生がやってきた。きり丸の代わりにキノコを持ってきたようだった。本人は次のアルバイトに行ってしまったとかで、先生も胃が痛そうである。
籠いっぱいのキノコを受け取り、ぱっと見でもちゃんと選りすぐっている事がわかる。センスがあるな。仕分け甲斐があるというものよ。
「大丈夫です…けど…」
私も今来たところ感を出そうとして、早々に違和感に気付いた。端の方に見慣れぬキノコを見つけたからだ。
先生への返答もろくにできないまま思わずそれを取り、ひっくり返して隅々まで観察する。そして気付いた。まさか、と目を疑った。
「こ、これは…」
私が悲鳴を上げると、土井先生が駆け寄ってくる。
間違いない、実物を見るのは二回目だが、こいつはこの世に存在してはいけないキノコ…鬼舞辻無惨のように危険な代物で、ある城が生物兵器として開発したというマジックマッシュルーム…!
「これは幻覚キノコ…キガクルウダケです」
「気が狂いそうな名前だな…」
ドヤ顔で言い放った私に土井先生は苦笑していたが、これは本当に危ないものなのだった。
そもそもキガクルウダケは、自然発生していない。某城が品種改良を繰り返し、この世に生み出したモンスターキノコだ。私も裏ルートから仕入れた情報なので詳しい事は知らないが、知り合いのキノコマニア曰く、口にせずとも煙を吸うだけで幻覚作用が表れるという凄まじい毒キノコなのだった。
「使いすぎると廃人になってしまうほどの毒性があります。希少で効果も絶大ゆえ高値で取引されていますが…大変危険ですよ」
「…金額の事はきり丸に黙っておいた方がよさそうだな」
「何故こんなところに…」
私はキガクルウダケを見ながら、きり丸の行動範囲にこんなものが自生していた事に驚きを隠せない。
栽培場が近くにあるのか?それとも種菌が飛んできたのか…もしくは似ているだけの別物なのか。
改めて暫定キガクルウダケを凝視する。いや…たとえ一度しか見ていなくとも、この私がキノコを間違えるはずがない。しかし、簡単に手に入る代物でもない。
さすがに土井先生も怪しんだらしく、疑問の声を漏らした。
「本当にそのキノコなのか?」
「キガクルウダケの特徴として…燃やすと紫色の煙が出ます。やってみましょう」
確かめる方法を提案し、私は火をつけた。何とも奇妙な話だが、このキガクルウダケ、実に鮮やかな紫色の煙を出して燃え上がるのだ。一体どんな物質が燃えたらそんな色になるのか…聞きたいような聞きたくないような感じである。
着火したので風を送り、燃焼を煽る。しばらくすると煙が上がり、それは噂通り見事な紫色であった。
本物だ。これは間違いなく幻覚キノコ、キガクルウダケや!
「あ、煙を吸わないで」
「なら私に向かって扇ぐな!」
そういえば先生に煙を吸うだけで大変な事になると注意してなかったな、と思った私は咄嗟にそう叫んだが、全ては後の祭りであった。咳き込む土井先生を尻目に火を消し、戸を開け、コロナ禍なみの換気行動を取ったあとで、先生の方へ駆け寄る。
完全に言うの忘れてた。私の中では常識だったから頭にすらなかった。先生なんで煙の方にいるんだろうな、くらいの認識でしたわ。
「大丈夫ですか?すみません、お伝えしてなくて…」
苦笑まじりに謝るも、どうも様子がおかしい。咳き込んだあと頭を押さえた先生は、その場に座り込み、苦しげに唸り始めたのだ。さすがにまずいと思い、駆け寄って軽く肩を叩く。
しまった、あんな少量でも効果が出るのか。実に興味深い…などと決して思ってはいないけれど、症状はしっかり確認しなければならない。善法寺伊作か新野先生が戻った時に正確な処置をしてもらうべく、容体を伝える必要があるからだ。
土井先生、と声をかけるも、返答はない。顔を覆う先生はしばらくじっとしていたが、ようやく反応を示したかと思うと、何故か嗚咽を漏らした。
「お前たち全員が満点取る日が来るなんて…」
泣いてる。
幻覚を見て泣いている。
一年は組が全員満点を取るという絶対に有り得ない幻覚を見て泣いている…!
気の毒すぎて、私は言葉をかけられなかった。幻覚でしか見ることができない光景がいかに残酷かを思い知り、やはりこんなキノコは存在してはいけないと強く思った。必ずやこの邪智暴虐なキノコを除かねばと決意した。
こんなに効くのか、キガクルウダケ。まさかたったあれだけの煙でこうも見事な幻覚を見せるとは…恐ろしい。そして非道すぎるよ。幻覚から醒めた先生がどれだけ気落ちする事か…責任を持ってこの私が慰めて差し上げたいところだが、申し訳ないけどかける言葉なんて見つからないね。いつか現実になりますよ、なんて大嘘をつく気にもなれないし。
とりあえず手拭いを差し出して涙を拭い、早く新野先生が来てくれる事を願った。私ではどうすることもできないからだ。
成仏してクレメンス…と拝んでいたら、突然先生は顔を上げ、私の方を見た。いきなりの事に驚いて仰け反ったが、普段通りの表情だったため、一瞬正気に戻ったと錯覚した。
「レイコ」
「は、はい」
「キノコは高値で売れるものもあり、子供がするには割りのいい仕事だ。しかし食用を見分けるために専門の知識が必要不可欠…」
流暢に喋り出したぞ。呂律は回るんだな。別に興味深いなどとは決して思っていないが、勉強になる。
「お前が仕分けてくれるおかげで、最近きり丸はキノコ採りばかり…危険なアルバイトをしなくなった」
そう言うと、先生は私の両手を握った。
「ありがとう」
突然オーバーキルすぎる笑顔を向けられ、私の方が幻覚を見ているのかと思った。左右に何度も首を振り、シャブより強いかもしれない微笑みに惑わされまいと目力を込める。
危なかった。ワクチンを打っていなければ初恋病に罹患して死んでいた。そうでなくとも土井先生はいい先生である、好感度は元々高い。手を握ってこんな無防備な笑顔を向けられたら、私みたいな雑魚はときめきの導火線に着火する事を免れなかっただろう。つまりときめいたわけだ。着火だ着火。気持ちは迷子の子猫だよ。
「お役に立てて何よりです…私も半分は趣味ですのでどうかお気になさらず…」
微笑む先生に見惚れながら、ガチ照れを隠せぬ口調でそう返し、手を握り返した。至福のひとときだった。
なんて邪な事を考えていた罰が当たったのかもしれない。マジックマッシュルームを使った挙句酩酊状態の相手にデレついているなどと、お天道様がお許しになるはずもなかった。
そろそろ正気に戻ったかな?と相手を見つめるだけの私は、徐々に近づいてくる顔を避けもせずに観察していた。瞳孔も正常、感涙で滲んではいるが、別に顔つきもおかしいとは思わない。全く表情に出ないから正気に戻ったかわからないのは、土井先生だからなのか、それともこのキノコの特徴なのか。
いつの間にやら離された手が私の頬に添えられた時、急に唇が重なって、私はやっと異常事態に気が付いた。やけに近いな、と思った時には遅かった。
え?何?どういう状況?
いやそれよりも、この近さでも見るに耐え得る顔面の良さ、凄すぎる。
突然の接吻より、顔が良すぎる事に気付いてしまった事の方が衝撃だった。やっぱ土井先生かっこいいんだな。わかってたけど見慣れちゃってて忘れてたわ。髪も傷んでるし服も洗濯してるかわからないし顔面以外の部分が終わってるから本当に忘れてた。宝の持ち腐れすぎる。まぁ教師にはいらない宝かもしれないけど。
という事を考えたあとで、私も現実に戻った。どうしてこうなった?と思ったら、それはそれで動けなかった。
なんで?本当にどうした、誰かと間違えてないか?だとしたら申し訳なさすぎる。私が煙を吸わせたせいで土井先生の純情を汚したかと思うと血の気が引き、そして換気のために戸を開けていた事も思い出して、ようやく相手を押しのけた。
「先生!気を確かに!」
思わず回し蹴りを食らわせて戸を閉めた。少なからずショックだったのか足が勝手に動いた。罪の意識を感じる頭とは裏腹に、体は正直なのであった。
またしても無意識に口元を拭いながら、私は廊下に誰もいなかった事に心底安堵する。
危なかった、もし今のを誰かに見られていたら土井先生の教師人生が終わってたぞ。ここから入れる懲戒免職を逃れる保険はないんだよ。
目を閉じたまま座り込んでいる先生を見下ろし、どうやらまだ毒が抜けていない様子を見て、私は固く決意した。
この状態の土井先生を外に出すわけにはいかない。誰彼構わず泣きついて無差別接吻を繰り出すモンスターに成り下がっているとしたら、何が何でも被害を食い止めなければ。これ以上犠牲者が増えたら本当にクビになっちゃうよ。
キガクルウダケの毒が抜けるまでここに閉じ込める事を決め、私は思考を巡らせた。
しかし暴れられたらどうする、私では太刀打ちできないぞ。教科担当とはいえ土井先生も凄腕の忍者、たかが六年忍術学園で学んだだけの私などが敵う相手ではない。最悪の場合を考えて行動しなくては。
辺りを見回し、幸いにもここが医務室だった事を思い出して、私は閃いた。
そうだ、眠り薬を焚こう。意識を奪ってしまえば万事解決するじゃないか。
幻覚作用と睡眠作用の同時摂取が人体にどれだけの影響を及ぼすかは定かではないが、死んだとてクビになるよりマシだろう。そう考える私も頭が狂い始めていた。
すぐさま香炉を出し、薬棚を漁る。必ずどこかに薬があるはずだ。痛みで暴れる生徒を眠らせて処置していた時があったので、常備してあることはわかっていた。
引き出しを順番に開けて、焦る気持ちを抑えながら冷静に目を光らせる。すると、土井先生が後ろに立っている気配がし、私は背筋を凍らせた。
やばい。殺される。しかし殺されたとて先生がクビになるよりはマシ!
私も煙を吸ってしまったんだろうか、自分の頭がおかしくなっている事に気付いてしまったが、もはや構ってはいられない。一心不乱に棚を探り続け、ようやく眠り薬を見つけたところで、先生が私の肩に手を置いた。
「レイコ…」
死を覚悟したが、土井先生の気配から、殺気は感じられなかった。
「お前だったのか…私の代わりにいつもかまぼこを食べていてくれたのは…」
違う。
練り物ごんぎつねやめろ。名作を改悪するな。
私をあすなろ抱きして泣き始めた土井先生に呆れ果て、この隙に座り込み、薬を焚いた。本当はぐったりと目を瞑ったまま頷きたいところだったが、先生のかまぼこを食べてあげた覚えはないため、違います、と正直に否定した。
先生泣き上戸なのかな…どんだけ練り物嫌いなんだよ。都合のいい幻覚しか見ていない状況を考えるに、これはそういう薬物なのかもと思い至った。初めは兵器として開発されたはずだったが、いい夢を見られると知り金を払ってでも欲しがる者が増えているのかもしれない。そして安易な栽培が始まっているのかも。恐ろしい世の中だ。この戦乱の世では気持ちがわからなくもないところがさらに恐ろしい。
ごんを撃って泣いている隙に、煙を先生の方へ送った。極力避けてはいるものの、このままだと私も眠ってしまうだろう。しかし先生より先には眠れない。気を確かに持たねば。
あすなろ抱きを強制解除し、顔がいいとはいえキムタクほどではない…と改めて土井先生の顔面を評価して、何故か立ちあがろうとする先生の肩を押さえた。座ってろ。クビがかかってるんだぞ。
「ごめんなさい土井先生…私が軽率に煙を出したばっかりに…」
懺悔の気持ちを告げながら、頭を押さえて唸り始める先生に眉を下げた。副作用には頭痛もあると聞く。本当に申し訳ない。ただでさえ一年は組の事で毎日頭が痛いだろうに、物理的な激痛まで与えて本当に本当に申し訳ない。如何なる罰も甘んじて受けるからとにかく今はおとなしくしていてほしい。
寝かしつける方法など知る由もない私はただただ座り込み、土井先生の意識が落ちていくのを待った。段々私も眠くなってきた。もう早く寝てくれや…と次々煙を送り込むも、先生は相当しぶとく、逆に幻覚キノコのせいで眠り薬が効かないのか?と考え始めてしまって、こっちが泣きたくなってくる。
どうしよう、私が先に寝ちゃったら終わりだぞ。何されるかわからない…事は置いといて、他の誰かに危害を加えてしまう事態だけは避けなきゃいけない。いっそ人を呼んでくるか?いや、その間に土井先生が野に放たれてしまったらそれこそ終わりだ。やはり耐えるしかない。先生が寝るか、新野先生が戻ってきてくれるのを待つしかないんだ。もはや善法寺伊作には来てほしくないな、さらなる不運を招きそうだから。
こうなれば床に転がそう、と先生を入眠体勢へ持ち込もうとした。両肩に手を置き、力を入れた時、再び先生が顔を上げた。同じ轍は踏むまいと身をそらした私は、次あんな事をされたら体が勝手に飛び膝蹴りを繰り出しかねないため、十分な警戒を重ねた。
「レイコ…」
真っ直ぐ見つめてくる先生が、現実の私を見ているのか、幻覚の私を見ているのか、ぼんやりした頭ではわからなくなっていく。
「…やっと笑ってくれたな」
笑ってない。こっちは真顔だ。完全に幻覚だ。
だけどもそう言われると胸が締め付けられてしまい、あまり気に病むなという先生からのメッセージな気がして、私まで都合のいい夢を見てしまいそうだった。
直後に先生が倒れ込んできて、その異様な重さから脱力している事がわかった。死んだ…?と危惧した私は背中に腕を回し、呼吸の有無を確かめる。
生きてる。やっと寝たか、よかった。大型動物用の麻酔銃でも必要かと思った。
ホッとしたら眠気が限界を突破して、私の意識も薄れていく。最後に、この体勢のまま眠っているところを見られたら結局懲戒免職だと気が付いて、勢いよく先生を突き飛ばした。打ち所が悪そうな音が聞こえたけれど、もはや気にしている余裕はない。土井先生にクビになってほしくないという、私にできる精一杯の愛、またはそれを含む暴力であった。
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「起きろ、レイコ」
床に頭を打ちつけられるほどに揺さぶられている私は、当然頭痛で目を覚ました。こんな容赦のない起こし方をするのは誰なんだと飛び上がり、目の前に現れた人物を見て全てを思い出す。
「土井先生…」
そうだ、土井先生がマジックマッシュルームでキス魔になってごんを撃って木村拓哉に!
「先生!大丈夫ですか!」
「それはこっちの台詞だ。一体何があったんだ…?」
寝起きなのにクソデカい声で叫んだ私は、一瞬で駆け抜けたダイジェストを振り返り、現実世界に舞い戻ってくる。いや全て現実ではあるのだが、いくつか幻にしなければならない事もあり、覚醒して早々頭を悩ませた。
土井先生、先に起きたんだ。どれくらい眠ってたんだろう。誰も戻ってきていないところを見るに、そんなに時間は経ってないようだ。ただ土井先生が正気に戻っているため、一応眠らせた甲斐はあったと思われる。
何はともあれ無事でよかった。これで土井先生に後遺症でも残ろうものなら、教育テレビを見ている全人類に顔向けできないところだったわ。
何となくは把握している先生に、余計な事は避けて事情を説明した。練り物ごんぎつねも一応黙っておいた。
まだ頭が痛そうである。本当に申し訳ない。
「キガクルウダケは少量の煙でも強い作用があったようです…あと吐き気や頭痛の副作用も…」
「そのせいか…」
「本当にすみません…」
頭を下げるしかない私だったが、土井先生は何事においても全く引きずらない性質だったため、特に私を責めもせずすぐ話を切り替えていく。これぞ一年は組の担任って感じだった。メンタル強すぎてもはや怖いよな。
「とはいえこんな危険なものをどこで拾ったのか…きり丸に聞く必要があるな」
「私、明日にでも探しに行きます。栽培場が近くにあるとしたら危ないですし」
「一人で行くんじゃないぞ、私も付き添うから」
このキガクルウダケに今最も危機感を抱いているのは私であるため、捜索及び殲滅部隊に志願し、種菌からの根絶を決意した。これは私の忍者人生を懸けて追わなければならない事件だと確信したのだ。キノコ狂いにも矜持というものがあるのだった。
あの土井先生が煙を一瞬吸っただけで狂人となるほどである。女子供などは脳が破壊されてもおかしくはない。愛と正義の忍術学園の一生徒として、そんな危ないものを放置するわけにいかなかった。
ひとまずきり丸の帰りを待って、あとで学園長先生に相談する事になった。私も土井先生も本調子ではなかったから、とりあえず医務室で休息する事とし、この微妙な沈黙をどうするかが今の私の悩みとなった。
聞くのも怖いけど…一応聞いとくか?諸々を覚えているかどうか。別に興味深いとか思ってないけど、後学のために必要かもしれないしな。情報は多い方がいいもんな。私は己を誤魔化しながら腕を組んで目を閉じ、覚悟を決めて口を開く。
先生の様子から考えると、多分覚えてないと思う。さっき説明した時も、手間をかけたな、くらいの反応だったし、覚えてたらさすがに謝るだろ。さすがに。さすがにな。
「…土井先生」
「ん?」
「さっきの事ですが…何の幻覚を見てたか…覚えてますか?」
真剣な顔を向けた私であったが、先生はピンと来ていない様子で顎に手を当てて考えている。その姿に安堵し、やっぱり覚えてないみたい、と確信したその時であった。
「幻覚というか…夢を見ていたような…」
その言葉に、それは眠らせたあとの話だろうと言いかけたところで、事情が変わってくる。
「でも、お前の夢だったぞ。間違いない」
「え?」
「いい夢だった気がするなぁ」
ご機嫌になった土井先生に一瞬焦ったが、私はすぐに思い出した。
あれだ、練り物ごんぎつねだ。私が人知れず土井先生のかまぼこを食べてあげていたという悲しい幻覚の事だ。それしか考えられない。というかそれじゃなかったらまずい。さすがにないと思うけど。もしくは幻覚の記憶は本当になく、眠ったあとに私の夢を見ていたかだ。
いやそうだとしても恥ずかしいだろ。なんで私の夢を見てご機嫌になるんだ。え?大丈夫かこれ。違うよな?ごんぎつねって事にしていいか?
何だかドツボに嵌ってしまい、顔が熱くなった。ごんぎつねだったとして、そのあとのあすなろ抱きは何だったんだ…とか考えると、動揺を隠し切る事ができなかった。
「そ、そ、そうですか…」
「え?」
私の上擦った声と冷や汗を見て、先生は驚いている。そして今度は向こうが冷や汗を流し始め、心当たりでもあるかのように狼狽え始めた。
「…えっ?ちょっと待て、まさか…」
夢だけど!夢じゃなかった!という事だったのかもしれない。何か言いたげな先生に笑って誤魔化し、私は医務室から逃げた。答え合わせをする勇気はなかったからだ。
何か大変な事が発覚した気がしたけど…全部幻だったという事で終わらせよう。絶対にそれがいい。そうじゃなかったら、だって…懲戒免職じゃん。土井先生に辞めてほしくないし、正気を失ってた時の行動で責任を感じてほしくない。元はといえば私が悪いんだ。たとえ先生が私をどう思っていようとも、私が全部悪い。キノコを燃やした私が悪い。
でも生徒に思慕を寄せるのも悪すぎないか?と考えて、思いがけず知る事になってしまった感情に頭を抱える私は、満更でもない気持ちで廊下を走り抜けるのだった。