我々の生きるこの世界は今、大性癖時代に突入していた。
クソボケ親父に賭博で金を溶かされ、下半期の学費を失った私は、最近アルバイトを始めた。割りのいい仕事を探していたところ、コンセプト茶屋に受かったのだ。
コンセプト茶屋ってのは特定のコンセプトに基づいた世界観の喫茶店で、私が受かったのは従業員が特定の性格に特化した人間になりきるものである。まぁ変装や演技の勉強にもなるかな、という気持ちもあり、授業終わりに真面目に働いていた。
しかし、コンセプトがコンセプトなだけに、私は知り合いや友人や家族に、ここで働いている事を絶対に知られたくなかった。だが、黙っていれば知られる事もないとタカをくくっていた部分もあった。理由は特殊コンセプトだからだ。特殊すぎて、知り合いが通りがかる事なんてないと思っていた。
だというのに。
「いらっしゃいませー…」
店の前で呼び込みをしていたら、見覚えのある人物が足を止めた。土井先生だった。普通に目が合ってしまい、とんでもない事態に冷や汗を流す。
丈の短い着物で美脚を露わにしながら、私は一人硬直するしかない。
え?土井先生じゃん。なんでこんなアングラな通りに?何用?仕事か?
まぁまぁな人通りの中、完全に店の前で足を止めた土井先生は、看板と私を交互に見ながら、不思議そうな顔をしていた。どういう感情の顔なのか全くわからず、しばらく何もない時間が続く。
な…なんだこの不可解な見つめ合いは。もしかして私に気付いてないのか?この厚化粧のおかげで誤魔化せているんだろうか。だとしたら勝機はある。裸足で逃げ出さずに済むぞ。
一縷の望みに賭け、バレていないなら自然に振る舞うべきと大女優の心で素知らぬ顔をする。
「お一人様ですか?」
「え?はい」
え?って何やねん。え?なのはこっちなんだよ。
何だか様子のおかしい土井先生は、私を見て首を傾げているので、違和感を覚えている様子は見て取れた。こいつどこかで見た事あるな…的表情に見えなくもない。
狼狽えると逆にバレる可能性がある。ここは堂々とコン茶屋嬢になりきるのが最善だろう。姿形だけでなく中身も繕ってこそ真の忍者…私はやるよ。何よりこんなところで働いてること、土井先生にバレたくないからな。
「お客さん…初めてですか?コンセプト茶屋」
「そうですね…」
「まぁどうぞ」
特に詮索せず、看板を見て首を傾げている先生を席に通した。土井先生がこんなところに来るのは意外でしかなかったが…まぁ先生にも言えない性癖の一つや二つあるだろう。連日の残業でお疲れの身、教師の自分を捨ててハメを外したい、そんなところじゃないかな。
あまり人目につかない奥の方の席へ通すという気遣いを発揮しながら、私と先生は向かい合わせに座った。やけに落ち着かない様子の先生は、店内を見回し、その異様な光景に困惑しているように感じた。
お前…コンセプト茶屋は初めてか?肩の力抜けよ、の顔をし、私は初心者にも優しい態度で微笑んだ。
「ご指名なければ私が話し相手になりますけど」
「え?ああ、はい」
何しに来たんだこいつ。歯切れ悪すぎだろ。
どうにもなんか様子が変だな…と感じながらも、とりあえず飲み物を注文させ、相手の動向を観察した。
土井先生がこんな店に来るの変だと思ったけど、やっぱり変。この店に来る客たちとは明らかに質が違っている。
考え込んでいると向こうも私をじっと見てきて、見えないところに冷や汗を流した。
「私の顔に何かついてますか」
「いえ…知り合いに似てるなぁと思って」
本人だよ。くの一教室六年のレイコです。さっきも会ったよ。焰硝蔵の鍵返しに行っただろ。
本当に気付いてないのか?土井先生ともあろう者が?私は半信半疑でいながらも知らん顔で芝居を続け、先生が何の目的でここに来ているのか探ろうと思った。だって絶対おかしいからだ。
プライベートでここに来る人間は、こんなに困惑の表情を浮かべたりしない。確実に何か理由があると見て間違いないだろう。
そんな私の推理を裏付ける発言が先生から飛び出て、疑惑は確信に変わった。
「ここって…何なんでしょう」
率直すぎる質問に、わからないなら入るんじゃねーよと言いかけて、丁寧に教えて差し上げる。
「コンセプト茶屋ですよ」
メニュー表の上に書いてある店名を指差し、私は付け加えた。
「罵倒コンセプト茶屋」
そう、ここは罵倒コンセプト茶屋。嬢に口汚く罵られたい異常性癖者が集う、正気とは思えない飲食店である。
私の返答に、いまいち理解が及んでいない土井先生を見て、マジでこいつ本当に何しに来たんだよと思う他ない。ここはお前のようなピュアな男の来る場所ではないんだ、アブノーマルを身につけてから出直してきな。
別に私だって、最初から罵倒茶屋の面接を受けたわけではなかった。同系列の店をいくつも経営している商人に、ここへ配属されたのである。
他にもお嬢様茶屋とか執事茶屋とか、合言葉を言ったらイカつい店主に、来な…と言われて地下の扉が開き違法賭博場へ連れて行かれる茶屋とかあったが、適性があると言われて連れて来られたのがここだったというだけの話である。どういう意味だよ。勝手に人を女王様にするなよ。
やはり土井先生がここに来たのには裏があると目を光らせ、私は美脚を惜しげもなく組み替えながら、さらに補足した。
「罵倒されたい人間が通う茶屋です」
「罵倒されたい人間が通う茶屋…!?」
一字一句違わず復唱されたわ。どうやら罵倒されたくて来たわけではないらしいな。あんなに看板にデカデカと罵倒コンセプト茶屋って書いてあったのに今頃そのリアクションはどういう事なんだよ。読めよ。ピュアすぎて頭に入らなかったのか?これを機に人間にはいろんな性癖がある事を覚えておくんだな。
となれば、聞くべき事は一つであった。
「…何しにいらっしゃったんです?」
先生が普通性癖童貞なおかげで目的を聞きやすくなった私は、自然にそう尋ねる事ができた。するとすぐに肝が冷える言葉が返ってきて、美脚の裏が汗で滑りそうになる。
「うちの生徒が通い詰めていると聞いたもので…」
私じゃね?
それ、私じゃないですか?
もしかしなくても、私なんじゃないですか?
危惧していた事が先生の口から飛び出た事により、私の心臓も飛び出そうである。誰にも知られたくないと思いながら働いてきたが、すでにタレコミがあった可能性に眩暈がしてきた。
まずいな。忍術学園の生徒がいかがわしい店で働いていると誰かに通報されたのかもしれない。それで確認しに来たのかもしれない。私を摘発しに来たのかもしれない。あまりの恥に頭を抱え、そのために土井先生にこんなクソみたいな店に御足労いただいたのかと思うと申し訳がなかった。
いやでも待ってくださいよ、と脳内で先生に弁解する。
まずここは別にいかがわしい店じゃない。客を罵倒しながら料理を出す普通の飲食店だ。十五歳未満は立入禁止だが、私は六年生なので何も問題はない。忍術学園もアルバイトは禁止していないのだし、咎められる理由なんてないのでは?と声を大にして言いたいね。
それでも品位を下げると言われたらぐうの音も出ないため、辞めさせられる可能性は十分にあった。私も友達がこんな店で働いてたら言うと思う。早く辞めろボケナスって。
「怪しい店だと思ったんですか?」
「失礼ながら…」
「罵倒以外は普通ですよ」
咄嗟に店を庇ったけれど、全然怪しい店である。普通の店なわけがない。性癖の終わった奴しか来ないんだ。まともと言うのは無理があった。
でも酒も出さないしお触りも禁止だし本当に一方的に罵倒するだけなんです…と言い訳すればするほど、逆にそっちの方がキモいだろという気持ちも芽生えてきて、割の良さで後先考えず働き始めた自分を情けなく思った。
そんな事よりもだ。もう一つ気になることがあり、私は頭を捻る。
もし私を探しに来たんだとしたら、なんで土井先生がやって来てるんだ?山本シナ先生ならまだしも…土井先生とか私に何の関係もないじゃん。独身の若い男の方が入りやすいという判断か?それとも貧乏くじを引かされた?実は先生も罵倒にご興味が?
わからないけど、もし私の正体がバレていないのならば、ここはコン茶屋嬢として自然な振る舞いをしなければならない。
拾った情報から雑談を繰り広げ、恥を知れこの豚が、と書かれた湯呑みを先生の前に出した。恥を知るのは私の方なのは言うまでもない。
「学校の先生なんですか?」
「はい」
「大変でしょう、子供の相手は」
「それはもう胃の痛い毎日で…」
白々しく尋ねる私は心の中で、わかるよ、と思った。
先生たちの苦労、わかる。だって見てるからね。大変でしょう、どころの話じゃないよ。よくやってるなと思うよ。私だったら絶対辞めてるか生徒への罵倒と体罰でクビだろうな。早々に仕事の悪影響が出ている事に気付いた瞬間であった。
しかし同情する心とは裏腹に、先生は一年は組の事を思い浮かべているような笑顔を向けたので、こっちもつられて笑ってしまう。
「でも、楽しいですよ」
いい人。土井先生がくの一教室の担任だったら絶対オモチャにされるかガチ恋粘着獣にノイローゼにさせられてただろうなと思わせる眩しさ。天職に出会えてよかったねという感想しかない。そして私の天職はここじゃありませんようにと願うしかない。
本当なんで土井先生がこんなところ来ちゃったんだろう、可哀想に。優しくて汚れなき心を持った先生に罵倒茶屋を調べて来いなんて言った外道は誰なんだよ。心が耐えられても胃が耐えられないだろ。
心苦しさに胸を痛めていたら、再び先生がじっと見つめてきて、今度こそバレたかと肝を冷やした。
なんだ?何かボロを出しちゃったかな?いやそんなはずはない、余計な事は言ってないぞ、罵倒すらしてないし。逆に罵倒していない事が怪しかったんだろうか。しかし罵倒を望んでいない土井先生を罵る事などできるわけがないだろう。もちろん望んできたら喜んで虐め抜いてみせるんだが。
「あの…お名前は?」
焦っているところにさらに焦る事を言われ、疑われている、と確信した。しかしピュアな先生は知らないのかもしれない。嬢には源氏名があるという事を。
「四番です」
「よ、四番?」
セカンドじゃないぜ。それが私の源氏名のようなものである。
ここで働く者は、番号で呼ばれている。こんなカスみたいな店で働いている事をプライベートで知られないようにするためだ。客もスタッフも誰も本名を知らないし、就労外での接触も禁じられている。全ては配慮である。ちなみに誰かが辞めたら次に入った奴が欠番に当てはめられるシステムだ。幻影旅団と一緒。
「名前はないんです。お客様が好きな名前で呼んでください」
ちなみによく呼ばれるのは忘れられない元カノの名前、好きなアニメキャラの名前、王貞治、ヒソカなどである。四番に引っ張られすぎだろ。
先生も疑似恋愛に身を投じられるタイプだろうか。あまり想像がつかず、どう呼んでくるのか興味が湧いた。
土井先生にも忘れられない女の一人や二人や十人や百人いるのかなぁ。そんな夢100みたいな事ないか。
しばらく考えたあとで、先生は口を開いた。恐ろしく肝の冷えるチョイスに、揺さぶられているのか素なのか本当にわからず、私は翻弄される事となった。
「じゃあ…レイコさん」
ガチ本名。やっぱバレてんじゃね?
「…飼ってる鶏の名前ですか?」
とぼけてみたが、先生は動じずに続けた。
「あなたに似てる知り合いの名前ですよ」
「あ、そう…」
やっぱ私に似てるとは思ってるんだな。バレてて泳がされてるのか、本当に似てるからその名前にしただけなのか…わからない。わからない以上は探るしかない。
普通は似てるからって生徒の名前なんかつけないんですけどねぇ…と言いたい気持ちを堪えていたら、ようやくメニュー表を見る余裕ができたのか、先生は机の上を指して私に尋ねた。
「ところで…これは何ですか?」
罵倒オプション表の中の、犬、の項目だ。
出来損ないの部下、無職の兄、プライドをズタズタにされたエリート貴族、などが並ぶ中、異彩を放つそれに、先生は疑問を抱いたらしい。
私は頬杖をつきながら、何も知らない先生に世の中が広い事を教えてあげた。
「犬になるんですよ、先生が」
「私が…犬…?」
プリキュア…?みたいに言うな。
勘のいいガキなら気付いただろうが、先生は特殊性癖への理解が圧倒的に欠如しているようだ。私は溜息をつき、説明してもわかってくれなさそうな先生を見つめると、湯呑みを持つ手を握る。
「どうして手を使ってるんですか?」
「えっ」
湯呑みから離した手を痛いくらいに握りしめ、困惑の表情を浮かべる先生の顎を撫でながら、もう二度とここへは来れない体にしてやる気概で罵声を浴びせた。
「犬は手を使って餌を食うのか?」
突然の圧に驚く先生を置いてけぼりに、傷んだ髪を掴んで、そのまま湯呑みのそばまで押さえつける。机がガタガタと震えるほど、私は強い力を込めた。
「このまま飲めよ、ほら」
これが私の仕事だよ!と泣きながらキレたい気持ちで、この特殊性癖時代の幕開けを先生にわからせた。
世の中にはなぁ…犬になりたい変態がいるんだよ。蓮舫みたいな女上司に詰められたい奴もいれば、妹から嫌悪剥き出しにされたい奴もいれば、レミリアたんに断罪されたい奴もいる…それがこの罵倒コンセプト茶屋なんだよ。お前もこっち側にしてやろうか?生徒に弱みを握られて脅迫される淫行教師にしてやろうか?
仕事のストレスを罪のない先生にぶつけた私は、訴えられる前に手を離し、腕組みして着席する。
「という感じです」
「だ、誰が喜ぶんですかこれは…!」
「先生以外の人ですよ」
むしろここでは貴様が異端だという事を忘れるなよ。
完全に危ない店認定したらしい先生が私をドン引きの目で見たところで、次はこちらのターンである。
「それで?先生はどんな方をお探しなんですか?」
私は何気なく尋ねながら、ここはお主のような者が来る場所ではないオーラを放った。いくら人を探しているとはいえ、土井先生はこんなところに来てはいけない。もっと適正のある先生がいるはずだ。誰と言われると困るけど、意外と職場では偉ぶってるような奴がこういうのにハマったりするんだよ。土井先生だと胃が痛くなるだけだ。早く帰ってくれ。
先生が私を探しているかどうかを確認したかったのだが、すぐに答えをくれるわけもなく、また店内を見回す。
「ええと…まぁ…」
罵声飛び交うカオス空間をいくら見たって、見つかるはずがない。何故なら私は目の前にいるのだから。
「こんなところに入り浸る不良がいたら…教えてあげますよ」
親切を囁く私を、先生は再び長い時間をかけて見つめる。きっと半信半疑なんだろうとこの時思った。もしくはとっくにバレていて、このままここで働かせていいか悩んでいるかだ。
私としては前者の方が有り難いから、どうか気付きませんようにと祈るしかない。半期の学費を用意してするまでだ、そんなに長いバイト生活にはならない。その間だけ誤魔化せればいい。
誰を探しているのか教えてくれ、土井先生。私なのか、私じゃないのか。この提案に乗ってこい。通い詰めている生徒の特徴を教えるんだ。
しかし、非情にも先生は乗らなかった。謎に笑顔になると、私の親切を一刀両断するのであった。
「いえいえ、自分で探しますから」
結局語るに落ちる事もなく、土井先生はそのまま雑談をして帰っていった。罵倒もなしに、冷や冷やしながらどうでもいい話をしただけの時間は、いつもより疲労が溜まった気がしたものである。
気になりすぎる。マジで何が目的なんだ。いや私なんだとは思うが、また来るかもしれないと思うとこっちの胃が痛んでしまう。
でも、私に対して敬語の土井先生、ちょっとよかったな。先生っていうか…普通の男の人って感じでグッと来た。こっちが疑似恋愛気分になりそう。
先生相手にキショい事を考えるなよと思ったところで、恥を知れこの豚が、と書かれた湯呑みが目に入り、返す言葉もなく罵倒された気分になるのだった。