慣れないバイトの疲れからか、不幸にも私は黒塗りの高級車に追突…ではなく、訓練中に崖から転落して、枝垂れ桜に突っ込んだ。口の中に入った花びらを吐き出し、思わず悪態をつきながら、絡まる枝に身を投げる。
「あークソ…」
木を掴んで着地するつもりが、袖が引っかかって宙吊りになっている。私らしからぬ失態に脱出する気も起きなくて、絶対コン茶屋のストレスだと拳を握りしめた。
マジで疲れ。とにかく疲れ。アルバイトと学業こなしてる奴本当にすごいな。たぶん化け物なんだろうな。私はアブノーマルに脳を支配された化け物を相手にしている一般従業員だから、普通に疲れて毎日が億劫だよ。
「おーい、大丈夫か?」
私を崖まで追い込んだ土井先生が駆け寄ってくる気配がし、面倒だが立て直すしかない。槍の訓練中だったのだが、肝心の槍はどこへ行ったんだろう。手放すのも見失うのも無様だ。プロになったら毎日が本番なので、訓練だからといって気を抜いてはいけないのに、どうにも調子が出なかった。このままだとコン茶屋就職コースになってしまう。
「大丈夫です…」
逆さのまま答えた私を、土井先生は助けてくれるのかと思った。しかし何故か何もせず、そして何も言わずそのままじっと見つめてきて、予想と違う展開に背筋が凍る。
な…何だ?まさかまたあれか?私をコン茶屋嬢と疑ってるのか?バレずに済んだと思っていたけど、やはり先生の目は誤魔化せないという事なのだろうか。
罵倒茶屋で意図せず土井先生とエンカウントしてしまった私であったが、学校では特に何事もなく普通に過ごしていた。翌日は正直怖かった。私がバイトしている事を土井先生が忍術学園にチクっていたらと思うと気が気でなかったけれど、特に咎められる事もなく、平和な日々を送っている。
結局どっちなんだろう。バレてないのか。バレてて黙ってくれてるのか。どっちもありそうだから私は悩んでいるのだった。
しばらくして、土井先生は正気に戻ったような顔をすると、私の元へ駆け寄ってくる。
「降りられそうか?」
「降りますよ…」
このまま無気力にぶら下がっていたいところだったが、仕方なく枝を折って着地した。体中に纏わり付いた桜の花びらを払い、それすらも次第に疲れてやめてしまった。
本当に働き疲れて調子が出ねぇ。毎日人を罵倒していて精神がおかしくならないわけがないんだよな。病はこうやって始まっていくんだろうな。
死角に転がっていた槍を拾い上げる私に、不調を見抜いてか、先生は心配げに声をかけてくれた。コン茶屋の件がなければ、普通に優しい先生だと思える。
「具合でも悪いのか?」
「ちょっと…寝不足で」
「ちゃんと休んだ方がいいぞ」
「そうなんですけど…バイトのあとに鍛錬するとどうしても夜遅くなってしまうんですよね」
罵倒にかまけて学業が疎かになってはいけない…その精神から、私は自主トレも欠かさず行なっているので、結構ハードスケジュールだった。それもこれもギャンブル依存症のカス親父が賭博で金を溶かすから…と脳内で父を滅多刺しにし、生まれの不幸を呪う。これでもしコン茶屋嬢業が忍術学園にバレて辞めさせられようものなら、もはや父親の臓器を売るしかあるまい。
物騒な事を考えている私は、しばらく失言をしたことに気付かなかった。先生に指摘され、思わず槍を握りしめる。
「バイト?」
しまった。口が滑った。そしてうっかり先生を刺すところだった、口封じに。
殺気を振り払いながら平静を装い、しれっとした顔で頷く。
「皿洗いの」
「ふーん」
気のないリアクションをしながら、先生はまた私を凝視してきた。もはや疑いを抱かれている事は明白だが、別に嘘は言ってない。皿も洗うし。掃除もするし。それに罵倒が加わるだけだ。
堂々としていたかったが、あまりにもしつこく見られると指摘しないのもおかしい気がし、渋々尋ねた。実際どういうつもりなのか確認したいのは山々なのである。私と気付いているのか、いないのか、筋肉ルーレットにでも聞いてみたい気分だ。
「な、なんですか?」
「最近…お前に似た人を見かけたんだが…」
「別によくある顔ですよ」
「そんな事はないと思うけど…」
量産型女子顔である事を主張してみるも、納得しない土井先生に、疲れてるのに絡んでくるなよという感情がピークに達してしまって、畳み掛けるように声を上げてしまった。
「じゃあどんな顔なんですか」
「え?」
私はアルバイトの時のように威圧感な態度を取り、槍で地面を鳴らしながら先生を見つめた。
「見るに耐えない特徴でもあるとか?」
「それは…別にない、というか全然ない」
「では一度見たら忘れないほど美しいとか?」
「それもない」
殺したろかこいつ?
はっきり言いすぎな先生を柄の方で小突き、ちょうど授業終わりの鐘が鳴ったため、そのまま現場を立ち去った。嘘でも頷けよと言いながら刺したい気持ちを堪えた私は、実に立派なものだった。
その日の放課後も、土井先生はコンセプト茶屋にやってきた。
実際何が目的かは知らないけど、人探しをしている事は間違いなさそうである。こんなところで誰を探すんだって感じだが、探されるとしたらやはり私しかいないだろう。むしろ私じゃない方が怖ぇよ。だって罵倒性癖の奴探してるって事になるだろ。ホラーだよ。
「あら先生、こんにちは」
素知らぬ顔をする私は、客引きの看板を下ろして先生に声をかけた。下手に隠れる方が怪しいし、何より今の私は罵倒コン茶屋嬢…忍術学園の生徒である事は忘れ、アルバイターになりきり、土井先生を騙して情報を聞き出す…これほどスリリングで実戦的な訓練は他にないだろう。
「不良生徒をお探しに?」
「そんなところです」
困り顔の先生は、すっかり私と知り合い気分なのか少しホッとしたように口を開いたので、何だか助けてあげたい気持ちにさせられた。その不良生徒…俺やで、と言えば先生はこのカオス空間から解放されるのだ。早くお家に帰してあげたい…そんな思いが湧いてくるけれど、一時の情に流されてはいけない。忍者には非情さも必要である。私は心を鬼にして、全力でしらばっくれるのみだった。
「大変ですね…そんな異常性癖者のいるクラスを受け持って…」
「私のクラスじゃありません!頼まれたんです、夕食当てクイズに負けて…」
胃も弱ければ勘も弱い先生の言葉に、私は勝機を見出した。今のはいい情報だったと己の手腕に自画自賛せざるを得ない。
別に誰も一年は組の生徒がここに来てるなんて思っちゃいない、当たり前だ。やはり先生は誰かに頼まれたんだ。他のクラスの先生に頼まれたんだ。それが山本シナ先生だとしたら、土井先生が探しているのは間違いなく私だろう。しかし他の先生ならば、別の生徒を探している可能性が高い。
一気に目標が絞れそうな状況に歓喜と緊張を抱いて、次の言葉を何にするか私は考える。外堀から徐々に…と思っていると、突然先生は、何故か私に手を伸ばしてきた。咄嗟に振り払いそうだったが、そんな忍者すぎる事はできないので、気付かない振りをして自由にさせるしかなかった。
伸びてきた手は私の髪に触れると、少し耳をかすめて思わず体が跳ねる。昼間刺し殺しそうになった人とは別人のような仕草に、こいつの方こそ土井先生に似た誰かなんじゃないかと錯覚してしまいそうだ。
「花びらが…」
「え?」
そう言った先生の手から零れ落ちたものを見て、さすがに血の気が引いた。
桜の花びらだ。枝垂れ桜に落ちた時に付いたやつか。
そう思って冷や汗が出たけれど、すぐに違うと確信する。
それはない。あのあとトリプルアクセルを二十回飛んで全ての花びらを落としたから絶対にない。どこか別の場所でくっついたやつだ。そうなんだろうけど、でも土井先生の疑いを強める材料としては十分すぎると思い、かなり焦った。誤魔化さなくてはと思うも、変に説明口調になれば余計怪しいため、苦肉の策として口数を極限まで減らした。
「春ですね」
風流ぶってみたところ、先生は何かを思い出したみたいに目を伏せて微笑み、さらに背筋が凍る話を繰り出す。
「今日、うちの生徒も桜に突っ込んでいたんですが」
「どんな状況ですか…」
知ってる事を白々しく指摘しながら、内心ではドキドキだった。マジで動悸がしてきた。こんな事ならもっとバレないようなキャラ作りをすればよかったかな。爆撃竜馬みたいにエロがりを奏でたりするべきだったんだろうか。無理だろ絶対。
いよいよ年貢の納め時なのかもしれないと半分は覚悟を決めたものの、紡がれた言葉は謎に満ちており、普段は口が回る私も、さすがに無言になるしかなかった。
「綺麗だったんですよね」
ぽかんと間抜け面を晒し、必死に意味を考えた。自分で言うのもなんだけど、私は決してアホではない。一を聞いて十を理解するのが忍者であるからして、並以上の判断力はあるはずなんだが、この時ばかりはマジで意味がわからなかった。
何が?と言いかけた直前で思い至り、そのまま口にする。
「…桜が?」
「いえ…」
私の言葉を一旦否定したが、先生はすぐに口篭ってしまい、やっと可能性を見出して目を細めた。
え?どういうこと?桜じゃなければ桜に絡まった私が綺麗だったってこと?
土井先生あの時、疲れ果てて動きたくない私を助けもせずに、春だなぁ…桜に絡まったレイコは綺麗だなぁ…って思ってたってことですか?
狂人やん。お前の性癖もおかしいだろ。
「…生徒のこと変な目で見ないでくださいよ」
「そ、そういう意味じゃありません!」
じゃあどういう意味になるんだ。風景画的な良さってことか?横山大観の桜下美人図みたいな話か。そんなわけねぇだろ。
危うく素で罵倒するところだった。キモいこと言うなと思いつつ、若干のご機嫌さを隠せないまま、先生の弁解を聞きながら店に入った。やっぱ一度見たら忘れられないほど美しいわけね、とほくそ笑み、今日のところは追及を勘弁してやる調子のいい私であった。