「お前…何いい財布使ってんだよ、バリバリ財布で十分だろクソ豚がよ」
「ブ、ブヒィ…!」
会計中の客をサービスで罵っている時、入り口に土井先生が立っているのが見えて、私は全身から血の気が引くのを感じた。これが本来の私だと言わんばかりに全力で罵倒する姿を見られた気まずさで、今すぐ逃げ出したくなるも、仕事をサボるわけにもいかずその場で立ち尽くした。真面目な性分であった。
「…先生、いらっしゃいませ」
すぐに切り替えて笑顔を作った私だったが、土井先生はもちろん引いていた。私の心は泣いていた。
もう嫌。違うの、本当はこんな子じゃないんです、仕事ができるだけなんです!信じてください!バリバリ財布だって好きですから!十五歳のキッズだもん!
などと言えるはずもないので、血の涙を流しながら平静を装った。今日ばかりは私を指名してくれないのではないかと危惧したが、バリバリ財布ではない先生は私に同席を頼んだので、かつてないほど安堵するのであった。
「…大変そうですね、仕事」
「やめてください…」
素直な感想なのか同情なのか、そう言った土井先生にそれ以上何も言わせず、私は乱暴に足を組んだ。
私が好きでこの仕事をしてるわけではないと気付かれたのかもしれない。いや好きでやってると思われる方が心外だからいいんだけど、でも仕事なんて何でも大変なんだ、別に労られるような事ではない。私的には土井先生の方が大変だといつも思っている。一年は組の相手か豚の相手か、どちらか選べと言われたら、私は後者を選択してしまうかもとわりと本気で思う。
「仕方ないですよ、お金が必要なんだから」
「そうですね…」
「大変なのはみんな一緒だし」
そう言うと、先生は何だか優しげな視線を向けてきたので、どうにも居た堪れず目を逸らした。うっかり素で喋ってしまって照れた。これならまだ趣味で罵倒やってると思われた方がマシだったかもしれない。
とりあえず話を変えよう。このままいくと親父のギャンブル依存を愚痴ってしまいそうだし、臓器を売ろうとしている物騒な娘と気付かれる前に、攻めた話題を持ちかける。
「そういえば…レイコさんって誰の名前なんです?」
そもそも、仲良くお喋りなんてしてる場合ではない。私はここで働き続けて学費を稼ぐためにも、先生の目的を探らなければならないのだ。わりと普通に忘れてた。先生も別に核心に触れてこないから放置してたわ。
しかしそれでは駄目なのだと正気の自分が顔を出す。
当たり前のように通ってるけど、先生と毎日毎日ここで顔を合わせるのはリスクが高すぎる。もはやいつボロが出るかわからないんだ私は。表遊戯の時に喋った話題だったか闇遊戯の時に喋った話題だったかもうわからなくなりつつあるんだよ。もし仮に先生が私でない誰かを探しているのなら、さっさとそいつを見つけて帰ってもらわなきゃならない。そうでなきゃ一生誤魔化し続ける覚悟だが、リスクを避けられる可能性があるならそっちに賭けたいのも事実だ。
そのためには攻める事も重要。私の問いに先生はさして反応も示さず、ごく普通のテンションで答えた。
「あなたに似てる人ですって」
「だから、それがどういう人なのかって話ですよ」
とぼけているのか天然なのかわからない相手を再び問い詰めれば、先生は少し考える素振りをしたあと、爽やかに微笑む。
「そうですね…真面目な良い子です」
そうでしょうとも。そうでしょうけどちょっと照れるな。
しかし言ったあとでまた私を凝視し、爽やかさを完全に取り払った眼差しを向け、首を傾げた。
「真面目だと思ってたんですが…」
どうやらまだ疑っているようだ。真面目なんだよ。真面目だから続いてんだよこんなカスのバイトもな。
気付かない事が不思議に思えてきた。まぁ結構しっかり化粧してるし、髪型も変えてるから童貞にはわからないのかもしれないな。私は先生を見つめ返しながら、真面目でお堅いと思ってくれているなら好都合と感じ、全力で別人になりきる決心を固める。
「そんなに似てますか?」
わざと顔を近づけると、もちろん先生は避けたため、すかさず腕を掴んで強引に絡んだ。パッドを五枚仕込んでいる胸を押し付けたけれど、昭和の体罰思考が抜け切らない先生にセクハラ訴訟の概念などないだろう。司法を恐れる事なく、困惑する先生を見ていたら何だか興が乗ってしまって、闇遊戯の人格が俺のターンだと騒ぎ立てた。
「その真面目な良い子は…きっとこんな事しないんでしょうね?」
「あ、当たり前です!やめてください…」
そう言いながらも顔を逸らすのみで、別に腕を振り払ったりはしてこなかった。しろよ。セクハラを注意しろよ。まんざらでもないって事か?生徒かもしれない女に体を寄せられてその反応って事は、どっちの私でもやぶさかではないって事なのか?
そう考えるとなんだかテンションが上がってくる。言っておくが普段の私なら絶対にこんな事はしない。土井先生の言う通り真面目な生徒だ、セクハラ絶許の正義に満ちた忍者の卵だというのに、ここで先生と話していると、違う人間になってしまいそうで怖くなる。
「先生」
掴んでいる腕に力を込め、すぐそばで見つめ合う。罵倒茶屋で鍛えられた私の圧力から逃れられない先生は、息を飲んで緊張に身を硬めていた。
「私の事を…良く似た真面目な良い子の名前で呼ぶような人はね…ここにはいないんですよ」
まだここを楽しくお喋りする場だと思っていそうな先生に、現実を突きつける。
「みんな普通は…別れたけどまだ未練がある元カノの名前とか、密かに思ってる相手の名前とか、ハマーン様とか…それぞれが罵倒してほしい人の名前で呼ぶんです」
「…何が言いたいんですか?」
「何が言いたいんだと思いますか?」
ここはオッサンが二次会の帰りに寄って嫁の愚痴を言う場末のスナックのような場所ではない、豚共が己の欲望を満たすために疑似恋愛をしに来るカオス空間なのだ。お前みたいなピュアティが来る場所じゃないんだよ。早く諦めて立ち去りなさい。どうせ私が働いていると確信したところで、土井先生は見逃してくれるんだから。
私の問いに一瞬たじろいだ先生だったが、すぐに視線をそらすと、本当に困った顔をして言った。
「私は別に…生徒をそんな風に思ってはいませんから…」
自ら生徒と暴露してしまった墓穴掘り教師をずっと至近距離で見ていたが、その異様な歯切れの悪さに驚いてしまい、私はつい腕を離す。
「生徒に似ていたんですか…私は…」
「…最近あんまり似てないような気がしています」
私のセクハラが効いたのか、先生はそう言って目を細めた。表遊戯の私なら決してこんな真似はしないと思ってくれてるのかもしれないけど、よく考えたら土井先生は、生徒かもしれない相手と毎日喋って教師以外の顔を見せている事になるので、それって何だか不健全じゃないか?と改めて思った。
私が本当に忍術学園の生徒だったらどうするんだ。いや実際そうだけど、それを知ったとき先生はどうするの?やっぱりか、って思ったとして、何もやましい気持ちはないわけ?普通の顔して堂々と生きていけるわけ?そっちの方が嫌なんだけど。ちょっとは何か感じてくれていないと、切ないし悲しい。
もしかして私、土井先生のこと結構好きなのかも。先生も早く、表遊戯と闇遊戯の境目が曖昧になってしまえばいいのに。間違えて表遊戯の私に、レイコさんって呼びかけてくれたらいいのにな。そしたら先生、己がどれだけ際どい事をやっているのかやっとわかってくれるだろ。
「先生…」
私は土井先生の手を握って、危うく踏み外しかけた道を軌道修正した。
「淫行教師用の罵倒オプションもありますよ」
「いりませんって!」
「あはは」
本当にあるので草を生やしてしまうと、先生が目を丸くした。
「あ」
急に顔を近づけられ、笑ってる場合ではなくなる。
「その顔は似てるかも」
指摘された瞬間、私はファイアフラワーのように顔から火が出るほど熱くなった。今ので表遊戯と闇遊戯の私がイコールになってしまったんじゃないかと思ったら、恥のあまり叫び出しそうだ。
普通に笑ってしまった。仕事も忘れて大草原だった。楽しくなっちゃってるのは私の方なんじゃないか?
真面目で良い子の私がこんなセクハラをするなんて思われたら耐えられないと頭を抱え、我に返って赤面する。
いやこれは仕事なんです!いや仕事でもしないし!土井先生を欺こうと思って決行した捨て身のセクハラであって、じゃあつまり仕事じゃないのか?仕事じゃないならプライベートってこと?真面目で良い子の私がプライベートで先生にセクハラを働いたってこと?そんな馬鹿な話があるか。これは仕事!仕事なの!
大きく首を振り、雑念を払って先生を見上げた。疑ってるんだろうか。素で笑ったせいで完全にバレたかも、マジで焦るわ。でももはやどっちでも関係なさそうな気もする。バレてようがバレてなかろうが、先生何も変わらなさそうだし。
何だか気に入らなくて、無自覚に私を翻弄してくる先生を見つめる。先生だって本当は私のこと結構気に入ってるくせに。仕事だろうが何だろうがこんなところで楽しく喋ってる時点で清廉潔白ぶるのは無理だっつーの。
「子供を導く立場の人間が人の道を外れてどうするんですか…」
「勝手にオプションつけないでください!」
迫真の演技を超えてリアルな気持ちを吐露した次の日から、土井先生は来なくなった。心にちくわのように長い穴が空いた気分だった。