好き好き大好き

たまたま忍術学園に行ったら、先生方が宴会中だった。学園長の突然の思いつきの大運動会からの突然の思いつきの打ち上げらしい。そういえば明日から秋休みの時期だ。仕事をもらいにきたけど、この様子では期待できそうになく、帰ろうとしたところ、土井先生に引っ張られて一緒に飲む事になってしまった。

正直、酒はあるだけ飲めるタイプである。酔わないわけじゃないが、むしろ全然酔うが、止められない限りは飲み続ける事ができた。しかも先生方と一緒だから安心してしまって、久々に浴びるほど酒を飲んだ。先生達も、教え子と酒を飲むという教師なら誰もが憧れるシチュエーションを体験した事により、とにかく飲ませてきた。泥酔一直線であった。

帰りは、土井先生が家まで送ってくれた事は覚えている。あとの記憶はなく、眠りに落ちた私は夢を見た。卒業してすぐの頃の夢だ。

フリーの忍者として華々しくデビューした私は、いきなり大怪我をして、忍術学園に蜻蛉返りするはめになっていた。他に頼るところのない私を、忍術学園は快く受け入れてくれて、治療とリハビリでしばらくお世話になっていたのである。
土井先生とはその時に仲良くなった。先生は私が六年の時にやってきたから、在学中は正直全然関わりはなかった。新卒か?くらいの印象だった。
リハビリがてら、かかった医療費を返すべく忍術学園で雑務をし、その頃まだ新米の部類だった土井先生の手伝いをよくしていた。六年間学んできた私の方が学園の勝手を知っていたので、聞かれた事に答えていくうちに関係性が築けてきた。年が近い分、私には聞きやすかったのだろう。私も土井先生とは話しやすく、不慣れな新卒から、ガサツ優男くらいには印象が変わっていた。

怪我も治って金も返して学園を去る時に、やけに寂しがってくれたことを覚えている。泣いて送り出してくれたのは土井先生だけだ。他の先生達は、雑用押し付ける相手がいなくて困ったなぁって感じだった。薄情者がよ。
その後も時々顔を出し、トラブルの多い忍術学園から仕事をもらったりして、土井先生とも変わらず仲良くやれてると思ってたんだけど。

どこで歯車が狂ったのか記憶がない。

「頭いてぇ…」

自宅の天井から視線を逸らそうとして、凄まじい頭痛に見舞われた私は、昨日飲みすぎた事を思い出した。目を開けて二秒後のことだった。

信じられないほど飲んだな。百回くらいトイレ行った気がする。先生方との楽しい飲み会でハメを外した記憶が蘇り、起きて早々恥ずかしさに見舞われた。なんか野村先生の眼鏡を逆さにしたり山田先生の髭を逆さにしたりしたような…無礼講にも程がある事をしたと思うが…みんな忘れてる事を願うしかないな。

今は何時なんだろう。どちらにしろ動けそうにない。もう一回寝ようと布団を引っ張った時、何故かびくともせず、思わず隣を見た。重たい何かが布団の上にあるような感覚に驚いた私は、実際そこに重たい何かがあった事にさらに驚いて、危うく飛び上がるところであった。

誰かいる。
いや誰かっていうか土井先生がいる。この髪質は土井先生でしかない。土井先生が、レオパレスなみに壁の薄い私の家にいる。私の隣で小さくなって寝ている。

急に血の気が引いて、私は自分の身に起こっている事を冷静に受け入れ始めた。いや受け入れられなかったけど、事実は受け止めなくてはならなかった。

待て。確かに目が覚めた時に全裸だとは思ったけど、別に気にしてなかった。一人だし酔ってたら全裸で寝ることもあるだろう。
しかし人がいるなら話は別である。完全に事情が変わった。大人の男女が全裸で布団の中にいたらどう考えても事後である。いやもはや事故だし事件だろう。何より困った事に、私には一切記憶がないのだ。どうしてこうなったのか、全くわからないのだった。

何も覚えてない。何も覚えてないけど、頭以外にも痛いところがある。全身筋肉痛だし、日常生活を送るだけでは絶対に痛んだりしない場所も痛い、身体中に内出血の跡もある、どんな体位を試みたらこんなところに手形がつくんだという痕跡もある。とにかく全ての証拠が揃っている。私が大変なものを失ったという証拠が。

マジか?本当に?
初めてだったんですけど。
普通にショックなんですけど。

不自然な呼吸を繰り返しながら、私は布団の中で、土井先生が起き上がる気配を感じていた。内心はドキドキだったが、相手の反応を見極めなくてはと思い、目から上を出して先生を見つめた。
するとすでに相手は私を見ており、二日酔いで青ざめた表情に悪寒がした。心臓が爆発しそうだった。

「おはよう…」

呑気に挨拶しとる。そういう感じか?そういう感じなのか?もしかして先生はちゃんと覚えているのか?
パニックのあまり挨拶も返せず、再び布団を被って目を閉じた。
落ち着け、いや落ち着けない。どうしよう。こういう時ってどうしたらいいんだ?本当に有り得ないんですけど。こんな昔の月9みたいな事ある?ないよ、絶対ない。仏に誓って処女だったのに、こんな一夜の過ちなんて起こすわけなくない?なんで?本当に無理。レオパレスだから絶対隣にも聞こえてるじゃん。ご近所付き合いも終わった。もう嫌だ。自暴自棄になりそう。暴飲暴食しそう。

様々な衝動が押し寄せてきて泣きそうだったが、忍者たるものこんな事で動揺してどうする、と心の中の大川平次渦正に叱責され、ひとまず涙は引っ込めた。号泣する前にまずは状況を整理しよう。何も覚えてない私にできる事は、土井先生から事情を聞く以外にないので、布団から出る事を第一目標とした。

「あの…服取ってもらえますか…」

蚊の鳴くような声で呟き、布団の中では見つけられなかった服を先生に要求した。完全に喉が終わっている。酒のせいだと信じたい。近所には何も聞こえてないと信じたい。

「どこ?」
「探してください…」

近くには落ちていなかったらしく、私の要望に土井先生は溜息をついた。全裸で出られるわけがないんだから仕方ないだろ。それとも何、私が全裸で布団から出たとてもはや何も気にならないくらい見たって事なのか?貪り尽くしたあとなのか?だからこんなに全身が痛いという事なのか?
実際体を起こすのも困難な私は、再び顔だけ出して、すでに着替えている先生に深刻さを訴える。

「足腰が立たなくて…」
「な、情けない…」

私の雑魚すぎる発言に容赦なくそう返してきたが、言いながら照れていたので私も撃沈した。お前がこうしたんだろ。責任取れよ。もう本当に無理なんですけど。

先生を一旦追い出して着替えた私は、本当に足腰どころか腕もまともに上げられずに参ってしまった。とりあえず隠すところだけ隠して先生に事情を聞くと、驚くべき事に、向こうも私とほぼ同じ状況である事が発覚した。

「実は私もよく覚えてないんだが…」

お前もかい。記憶ないのによく呑気におはようなんて言えたもんだな。もしかして先生的には朝チュンなんてわりと珍しくない事なのか?失望しました、ファン辞めます。
冗談はさておき、記憶がないならこの事件は迷宮入りとなってしまうので、それは困ると私は必死に痛い頭を巡らせた。何か…何か思い出せないのか?絶対に先生が悪いと思う、絶対私に罪はないよ、だって処女だもん。処女だったんだもん。土井先生に恋愛感情は抱いていなかったはずだし、もちろん男遊びもした事ない。このまま行き遅れ続けて一人で死ぬんだろうな、と諦めていたお堅い忍者のこの私が、一夜の過ちに同意するとは思えなかった。

土井先生が加害者である証拠を掴まないと…と焦る私をよそに、先生は断片的に記憶を拾い始めていて、藁にもすがる思いで私は情報を欲した。たとえそれが自分に不利な話だったとしてもだ。

「ただ、君が物騒な事を言っていて…」
「なんですか?」
「好き好き大好きとか…愛してるって言わなきゃ殺すとか…」
「誰が言うか!」

そんな戸川純みたいなこと言うわけないだろ!突然変異的にバラ色の恋が勃発してたまるかよ!
ふざけた事をぬかした土井先生を殴りそうになったが、腕の痛みでそれは叶わず、命拾いしたなという感じである。
何言ってんだこいつ、記憶違いにも程があるわ。まだ酔ってるんじゃないのか?絶対言わないそんなこと。だってそれだと私が誘った事になるじゃん。まさかそう言いたいのか?自分は無実だと訴えているのか?
頭を押さえながら記憶を辿る先生は、正直嘘を言っているようには見えなかった。しかしこの男は忍者である。私も忍者だからわかる。忍者は普通に素知らぬ顔で嘘がつける生き物である。演技かもしれない。本当は全部覚えてるけど、私に無体を働いた罪から逃れようと適当ぬかしてるんじゃないのか?
でもそれならもっとマシな嘘をつきそうな気もするけど…。わざわざ戸川純をチョイスすることへの違和感は拭えなかったが、それでも私は自分の無実を信じているので、先生を揺さぶるしかなかった。

「…じゃあ先生は合意だったって仰りたいんですね?」
「君は私が無理矢理襲ったと言いたいのか…?」

じゃなきゃこうはならんだろ。だって処女だったんだよこっちは。いくつになっても初めては好きな人とがいいだろうが。それをこのガサツ優男に純潔を奪われ…シンプルにショックだ。向こうも覚えてないならまだ救われるけど、でもやらかした事実は変わらないからな。たとえ合意だったとしても元教え子に手を出す教師などPTAは許しちゃくれないからな。消せない罪だからな。

お互いの主張は食い違い、話は平行線である。酒は飲んでも飲まれるなとはよく言ったもので、私は己の軽率さを反省するしかなかった。
先生方がいるから安心などと油断したのが間違いだったんだ。その中にこんなケダモノが混ざっていたなんて知る由もなかった。仲良くなれたと思っていたのに…と残念な気持ちに包まれた時、突然記憶がフラッシュバックする。

「そうだ。家の前で少し立ち話しませんでした?」

夜風に当たりながら歩いていた光景が蘇り、私は声を上げた。家まで送ってくれた先生と何か会話をした記憶があるぞ。内容は思い出せそうにないけど、家の前に立つ先生の姿がぼんやり頭に浮かんでくる。
すると先生もその辺の記憶はあるのか、すぐに頷いて補足した。

「ああ…君が酒をくすねてきたと言ったから…」

そういやなんか飲みながら歩いてた気がするな。部屋を見回すと、空の徳利が転がっていた。
そうだ、学園長が大事そうに隠してたから盗んできたんだ、酔った勢いで。それを土井先生と回し飲みして帰宅した。完全に思い出した。
隠してたってことは高い酒なのではないか、そのわりには別に美味しくないな、などと感想を述べ…家に辿り着いて…それからどうしたんだろう。私の記憶は玄関先で佇むあたりで途切れているが、状況を見ればその先を察するのは困難ではない。

「それで…家に上がったんですか?」
「君が引っ張ったんじゃないか!」

もう覚えてないな。先生の言い分が正しいかどうかも全然わからん。
あくまで私が誘ったと主張する先生を疑いの眼差しで見つめ、やはり何もかも信じられず唸るばかりだ。そんな私に先生も目力を強めると、己に非がない事をさらにアピールする。

「…ちゃんと確認はしたはずだぞ」
「酔ってる相手に確認したって意味ないですよ!」
「私だって酔ってたんだから!」

威張る事じゃないだろ。二人して駄目な大人だった事がわかっただけだ。最悪すぎる。本当になんでこうなっちゃったんだよ。

転がりっぱなしの空の徳利には、極秘と書いてあった。拾い上げて匂いを嗅いでみるも、酒以外に妙な香りはない。そばに来た土井先生もまじまじと見つめていたが、ヒントは得られず離れていった。これが原因でハメを外したのかもわからないし、これがなくても一線越えてたかもしれない。何もわからない事だけがわかる、それだけだ。

「この酒に変なものでも入ってたんじゃないか?」
「先生調べておいて下さいよ」
「私が学園長に怒られるじゃないか…」

嫌そうな顔をされたけど、もはや残された手立てはこれしかない。この徳利の中に入っていたものがわかれば、私達が過ちを犯した理由も判明するかもしれないのだ。たとえ酒をくすねた罪を責められようとも、そこはきっちり追及してもらわないと困る。頼みの綱を先生に託し、乙女の純情を奪ったんだからそれくらいしてくれたっていいだろうと視線を送った。私の罪を代わりに被って怒られてきてくれ。仮に変なものだった場合、男同士の方が話しやすいと思うし。卒業生の私には言えない事もあるでしょうしね。

徳利を受け取った土井先生は、眉を顰めたまましばらく黙っていた。沈黙の中で見つめ合い、やがて先に根負けした先生が、深い溜息と共に決着をつけるべく言葉を吐いた。

「悪いと思ってないわけじゃないが…お互い様だろう、こういう場合は」

喧嘩両成敗の雰囲気を出され、正直私も年貢の納め時を感じてしまった。私が誘ったのではないにしろ、土井先生だって悪人ではない。記憶はないけど、きっと自然にそうなってしまったんだという事で、決着をつけるしかないのはわかっていた。わかっていたけど。そう言われるとそうなんだけど。飲みすぎた自分が悪い自覚もあるけど。けど。でも。でも。

「頭ではわかってますけど…」

でもどうしても泣けてくる。だって納得いかないんだもん。
何度でも言うが処女である。もはや恥も何もなく言うが生娘である。捨てたいとかいう次元は過ぎたの、ここまできたら好きな人と添い遂げたいっていう気持ちのみなわけ。それを土井先生で終わらせるとかあるのか?酒ってそんなに何もかもブチ壊せるものなのか?それともすごいミラクルが起きて、土井先生に抱かれたいって思っちゃったのかなぁ?そんな事ある?何が起きたら先生が私を抱き、私が先生に抱かれるという超常現象が発生するんだ?

「別に土井先生のこと、嫌いでもないんですけど…」
「わ、わかった、わかったから泣くな…!」

無理だ、泣ける。土井先生には申し訳ないけどこの涙は止められないよ。初めてだったのに記憶ないなんて。いやこの場合あっても困るけど。

「でもやっぱり納得できません…絶対誘ったりしないし…好き好き大好きなんて言わないし…」
「言ってたと思うけどなぁ…」

少なくとも土井先生のことではないだろ。五条悟とかの事だろ。

「ていうか、なんで先生はその気になっちゃったんですか?」

そもそもの疑問を口にすれば、先生は困ったように目を逸らした。
抱かれる者があるならば、当然抱く者があるというわけだ。何故、土井先生ともあろう者が私のような万年喪女と寝るんだよ。ただの一度のロマンスもなかった人間に突然の春を寄越してくるなよ。
私よりは記憶の残っている先生を凝視し、涙を拭いながら返答を待った。別に明確な答えがほしかったわけではないが、純粋に疑問だったのだ。忙しさのあまり女っ気ゼロの土井先生は、自分がそんな気になってしまった事に対して何も思うところはないのかと。この状況にもっと動揺すべきなんじゃないのかと。そう思うけれど、私の知らない間に新卒から中堅になっていった土井先生には、動じるような事でもなかったのかもしれない。それはそれでショックだが。

「そんなの…酔ってたからだろう」

泥酔、で片付けた先生をさらに睨んで、開き直りの言葉を受ける。

「私だってよく覚えてない」

本当か?私ほど飲んでた記憶もないけどな。まぁ耐性なんて人それぞれだから一概には言えないけれど、どうにもすっきりしなくて頭を抱えた。

いや駄目だ、考えれば考えるほど頭痛がひどくなる。今は一刻も早く水飲んで二度寝したい。とりあえずお開きにしようと思った時、先生も同じ考えに至ったようで、声を上げて玄関に走る。

「こうしてる場合じゃない…早く帰らないと!」

送り狼がバレると果てしなく面倒なのもよくわかる。もうバレてるかもしれないが最善は尽くしてほしい。次忍術学園に行った時、他の先生方に揶揄われでもしたらその場で号泣するかもしれないから何とか誤魔化しておいてくれ。
最後に私を振り返った先生は、まるで宿題でも出すように指を差すと、一応責任は感じているらしく、次の機会を設ける気がある事を告げて去って行った。

「今度話そう、君もよく思い出せ」

無理すぎる。これ以上絞り出せる気がしないよ。
慌てて出て行った先生を見送ったあと、一人になった途端に気が抜けて、その場で私は座り込んだ。もう駄目だと床に転がり、そのまま這って布団へ向かう。

どうしよう。いやもうどうしようもないけどどうしたらいいんだ。
寝てるだけなのに足が震えてくる。腰痛もひどい。一晩でどうやったらこんな事に?それとも私が雑魚だっただけか?初めてだからわかんないよ…何が正解なのか教えてくれ五飛。土井先生は俺に何も言ってはくれない。
うつ伏せで倒れ込みながら、私はこんな有様なのに先生はよく走って帰れるなぁ…と感心する。身も心も修行が足りてないと思わざるを得ない。こんな事でショックを受けているような脆弱な精神と肉体では駄目だな。やっぱり駄目だ。全然駄目だ。

起きたら滝行しよう。全てを洗い流そう。一度頭を冷やす必要がある。
まずは体力を回復させるべく入眠し、目が覚めたら全て夢だったとかにならないかな…と淡い期待を抱いたが、起きても頭痛は変わらず、改めて見ると体に残った痕跡の凄まじさに私はまた寝込みそうだった。

なんだこのキスマークの嵐は。帯状疱疹かと思ったわ。
悲惨すぎる内出血の跡が、体中に広がっている。鏡を見るのも恐ろしい。
え?これ本当に土井先生がつけたの?ワンチャン蕁麻疹もありえるか?それくらい全身に広がってんだけど。目を覆いたくなる場所にまで散乱するそれから、情交の事実はあると断定するしかなく、しかもあらゆる体液が張り付いて体も布団も汚しているため、もはや現実逃避は不可能だった。

やっぱ確定的か。責任取ってくれるんだろうな?私のようなこじらせ女の処女を奪っておいてまともに暮らせると思うなよ。布団のクリーニング代はせびらせてもらうからな。
滝に打たれて頭を冷やし、身を清めながら、なんでワンナイトカーニバルになっちゃったのかなぁ…と再三考えながら帰路についた。
私が誘うはずもないとして…土井先生だって節度ある大人だし…普通そんな事にはならないと思うんだけどな。酔ってたからとは言ってたけど、でも土井先生に限って…という思いも拭えない。それとも男なんて皆ケダモノって事なんだろうか。好き好き大好きなんて言われたら一瞬で獣に成り下がる生き物でしかないのか。

考えても答えが出ない時間が続いたが、突然それを打破する存在が現れた。隣の家の奥さんである。

「あんた怖いこと言ってたよ、愛してるって言わなきゃ殺すとか」

唖然とする私は、他人の証言を受けてしばし呆然とするしかなかった。滝行から帰って家に辿り着いた時、ちょうど隣の奥さんも出てきて、あんまり夜中に騒いじゃ駄目だよと釘を刺されたのだ。騒ぐというのは行為中の声が丸聞こえだったという事か?と血の気を引かせる私であったが、どうも玄関先で土井先生と駄弁っていた事を指しているらしく、私が先生に愛の言葉を繰り返していたと教えられ、絶望感に包まれた。戦犯は私だったのだと思わされた瞬間だった。

「クールだと思ってたけど、あんたも熱い女だね」

マジか。マジで言ってたんだ。好き好き大好き愛してるって言わなきゃ殺すって言ったんだ。本当に言ったんだ。私が戸川純だったんや。
ドン底に突き落とされた気分になり、家に篭って蹲る私は、羞恥でどうにかなりそうな頭を掻き毟った。頭痛も構わず床にヘドバンし、いっそ殺してくれと呟いた。

もう終わりだ。じゃあ私が誘ったってこと?あれだけ土井先生を責め立てたってのに、結局犯人は私だったのか?穴があったら入りたい。二度と出られないようにそのまま埋めてほしいよ。
申し訳なさに押し潰されながら、でもなんでそんなこと言うんだよ…と自分で自分がわからなくなる。土井先生のこと、別に好き好き大好きじゃないのに。誰かと間違えたのかなぁ?でも間違える相手すらいないのよ。愛にも恋にも無縁なの、好きなタイプ五条悟なの、つまり先生繋がりか?先生だったら何でもいいのか?
泥酔時の奇行に死にたくなっている私だったが、それでもやらなくてはならない事がある。それは謝罪だ。全部土井先生が悪いんでしょ、という態度を取った事を謝らないと。

体調が良くなったら忍術学園に行って土井先生に土下座しよう…。フリーの忍者はつらい、忍術学園のコネで仕事をもらっている身としては、ここと縁を切るのは文字通り死活問題だった。これからも忍術学園及び土井先生とは円満にやっていかなくてはならないため、恥をしのんで謝るしかなかった。そうでなくても胸が痛むので謝罪をせずにはいられなかっただろう。
気が重いながら数日療養し、全身の内出血が薄まったところで、私は学園に足を運んだ。正直この跡を見たら絶対に私だけが悪いとは思えなかったが、土井先生は私に煽られただけなのだと思う事で強引に飲み込んだ。レイコは少しだけ大人になった。


「土井先生…先日は申し訳ございませんでした」

しおらしく謝る私を見て、土井先生はひっくり返りそうなほど驚いていた。話し合いの時間を設けてくれと切り出した時は臨戦態勢だったが、頭を下げた私を見て溜飲が下りたのか、先生も穏やかに声をかける。

「いやこちらこそ…って、どうしたんだ急に」
「いえ…近隣住民に確認したところ…私が怖い事を言ってたのは間違いないようで…」

深い溜息をつき、謝ったところで落ち込みは変わらないため、暗い表情のまま顔を上げた。土井先生は優しいから許してくれる事もわかっていた。あとは自分の気持ちにケリをつけるだけなのだが、それがどうにもできずに唸る毎日である。

「すみませんでした…」
「私は別に…君こそ大丈夫か…?」

大丈夫ではない。今も思い出すと泣けるから早く忘れる方向にシフトしたい。
先生が変わらぬ態度でいてくれる事が救いだな…と大雑把な性格を有り難がっていると、先生も先生で言いつけは守ってくれたらしく、学園長に怒られた事も含めて、任務について報告があった。

「あの酒なんだが」
「あ、はい」
「聞いたところによると薬膳酒のようで…」

極秘と書いてあった徳利の事だ。私が盗んで二人で飲み干した怪しい酒。薬膳酒と聞いてすでに嫌な予感を感じている私は、先生が言いづらそうにしているのも相まって、きっと不本意な効能があったのだろうと察する。察するが、聞かないわけにもいかない。

「で?」
「慈養強壮効果があるとか…」

それでバキバキになっちゃったって事ね。学園長も元気だな。いや元気じゃないから飲む必要があるのか…そんな事はどうでもいい。学園長があの年まで元気な理由が判明したのもどうだっていいんだ。忍者はガッツかもしれないが長生きには精力だった事もどうだっていいんだ。
大体の事情を把握し、お互い火照った結果、家に上がったらそうなってしまうのもまぁまぁ自然な流れだろうと受け入れた。先生バキバキだとキス魔になるんだな…と余計な事を考えて自滅しかけたが、すぐ首を振って溜息をつく。

「そうとは知らず私が持ち出したと…全て私が悪いという事ですね」
「そ、そんなこと言ってないだろ…!私だって悪いと思ってる…」

自暴自棄になる私を土井先生は慌てて宥めてきたため、余程ダメージを受けているように見えたのかもしれない。そりゃショックはショックだけど…でも土井先生だからまだよかったというか…数日経って反省の方が勝っている感じだ。これで相手がもっと悪い奴だったらお前を殺して俺も死ぬ状態だったかもしれない。たとえ先生がワンナイトで爪痕を残しまくるタイプだったとしても、消えてしまえば忘れる事もできるはずだ。
内腿につけられた跡がまだ残ってるんだよなぁ…とまた余計な事を考えて死にそうになる私は、今すぐ記憶を消す光を当ててほしい限りなんだけど、先生は真逆のことを強いてきて、傷口を抉られている気分である。

「…本当に覚えてないのか?」
「はい…」
「何も?ほんの少しも?」
「うーん…」

というかもはや思い出したくないんだわな。早く忘れたいの。だって私が悪いのはもうわかったじゃん。思い出したところで私が誘ったという証拠が出てくるだけだろ。これ以上追及したくない。自分に都合の悪い事からは目を背けたい私であった。

「いや、何も出てこないです」
「そうか…」
「先生は?」
「私もはっきりとは…」

先生は安堵なのか残念なのか判断しかねる表情で溜息をつき、手詰まりを確認できたところで、この話は終わらせようと決意した。というかそうさせてほしかった。
酔っていたとはいえ、好き好き大好きと言っていたという事は、あの晩は土井先生の事を本当に好きだったんだと思いたい。何かあったんだろ、そう思わせるイベントなどが。何も覚えていないが、好きでもない男に処女を捧げる事はないと思うので、土井先生に襲われたんじゃないとしたら全部自分の意思なのだ。その時の私が決めた事なら仕方ない。おびただしいマーキングは予想外だったとしても、あとは自業自得なんだから受け入れるしかないんだ。

「あの夜一瞬だけ…先生のこと好き好き大好きだったんですね…きっと…」

諦めたようにそう言うと、先生も困った顔で目を逸らした。

「だったらもういいんです…」

吹っ切りますと拳を握り、ふとさっき何気にスルーした言葉が急に気になって、私は先生を見た。

「…はっきりとはって、ぼんやりなら覚えてるってこと?」

記憶ゼロの私とは違い、元々先生は断片的に覚えている事がいくつかあった。もしかしてまだ私に言ってない事があるのか?と思い尋ねてみると、非常に決まりの悪い顔で明後日の方を向いた。

「まぁ…少し思い出した事はあるけど…」

すげー言いたくなさそうな顔。逆転裁判だったらサイコロック出てる場面だな。つまり言えないような事なんだ。言える事なら言ってるはずだもんな。
濁してるってことは行為中の記憶なのかもしれない。恥ずかしすぎる。死にたすぎる。本当に土井先生でまだ良かった、なんか一層そういう気持ちになれた。きっと土井先生だったら忘れる努力をしてくれる気がする。私の痴態も口走った事も愛してるって言わなきゃ殺すって言う重い女だって事も思い出さないように最善を尽くしてくれるはずだ、そう信じてる。信じたい。
それはそれとして先生が死んでない事を改めて認識した私は、まさかとんでもない事を先生に言わせたんじゃないかと思い至って、呼吸困難に陥りながら最後の確認をした。もはや自分の存在全てが生き恥であった。

「愛してるって言ってないですよね…?」
「…言ってるかもな、殺されたくないもん」

今殺してやりたいよ、自分自身をね。

「すみませんでした…」
「だからもう謝るなよ…私も悪かった」

心にもない事を言わせた罪に押し潰される私を、土井先生は優しく介抱し、この事件は幕を閉じた。
かに思われたが、ミステリーにはどんでん返しが付きものである。俺たちの戦いは、まだ始まったばかりだったのだ。


「あんたとうとう結婚するんかね」

家に帰ると、二軒先の婆さんにまでそう言われ、私は辟易しながら首を振った。蒸し返したくない私にとって、周りの人間は全て敵のようなものであった。
愛してるって言わなきゃ殺すってどこまで響いてたんだ?もう引っ越そうかな。あんなの聞かれて平然とご近所付き合いできないよ。こいつ激重クソ女だったんだなって思われたじゃん絶対。クールで通してきたのに全部ぶち壊しで恥ずかしすぎるよ。この分だとすでに近所中に広まってるよ。

「いい男だったね」
「そうでしょうとも…」

もはや否定する気も起きない私は、溜息まじりに頷いて、聞こえてただけでなく目撃までされてるやんけと絶望した。自暴自棄スイッチが入るのに時間はかからなかった。
そうだよ、土井先生はいい男だよ。かっこいい先生が来たな、って当時思ったもんな。背も高くて声も良くてちょっと頼りなさげだったけど、あれから五年経った今でも全然ハンサムだしな。土井先生で処女喪失できたならラッキーな方かもって話だよな。ポジティブ思考を奮い立たせ、開き直る私は、それが何か?という顔で婆さんの話に付き合った。

「あんなに熱を上げられたらコロッといっちまうわな」

いかないだろ、殺すって言ってんのに。好き好き大好きで落ちる男がいたら異常性癖だろ。土井先生をそんな異常者にしないでくれ。異常なのはキスマークの数だけだよ。十分おかしい奴だったな。

「私も若い頃は言われたもんだよ、ずっと好きだったんだぜ…って」
「はあ」
「相変わらず綺麗だなって」

斉藤和義だなそれは。斉藤和義と若い頃の記憶がごっちゃになってるんじゃないかな。
痴呆かこのババア?と冷ややかな視線を送る私だったが、何気に新情報を得た事に動揺し、思わず婆さんに詰め寄ってしまう。

「…え!?私そんなことも言ってました?」

好き好き大好きでは飽き足らず、ずっと好きだったなんて大嘘までついたのかと焦り、ババアの肩を揺さぶった。そりゃ相変わらず先生は綺麗ですけど、俺たちのマドンナだったかもしれませんけど、でも言うかなぁそんな事まで。全然好きじゃなかったし。ずっとどころか一秒も好きじゃなかったし。こうなってからの方がまだ好感度高いし。
己の奇行の恐ろしさに、二度と酒は飲まん、と誓う私だったが、意外な事に婆さんは首を横に振って、さらに私を驚かせた。

「いやいや、あのいい男が言ってたんだよ」

やっぱこの婆さんボケてるのかも。医者に連れてくか。
急に冷静になった私は、ババアの妄言か…と片付けて帰ろうとした。だって土井先生がそんなこと言うはずないからだ。
ずっと好きだったとか、相変わらず綺麗だなとか、そんな斉藤和義みたいに詩的な語彙を持っているとは到底思えない。というか語彙以前にそんなわけない。だって私のことでしょ?ずっと好きなわけあるかいな。土井先生とは確かに長い付き合いだし仲もいい方だとは思うけど、それとこれとは話が別だろう。

え?別じゃないのかもしかして?
急に事情が変わってきて、初めに感じた違和感を再び舞い戻らせた私は、顎に手を当てて考えた。ずっとずっとおかしいとは思っていたんだ。
やっぱ変だよな?この圧倒的処女の私が、酔った勢いとはいえ先生の事を誘うなんてやっぱりおかしい。ここにきての原点回帰である。
己が無実である可能性が出てきた途端元気になった私は、再び婆さんに詰め寄って、何度もボケてないか確認する。

「…本当に?」
「本当本当」
「本当に本当ですか?」
「あんたが舞い上がるのも見てたから本当だよ」

舞い上がってたのか。じゃあ無実じゃないな。そして見るな。人の恋路を肴にしてんじゃないよ。
証人のババアを得た私は、状況を整理し、まず前提が違ったのだということを知らされ、その日は布団の中で何度も同じ事を考えた。眠れぬ夜だった。

つまり…流れ的には、先生に告白されて舞い上がって好き好き大好きになって、家に上げちゃってああなったって事か?だとしたら私、単純すぎないか?告白されたくらいですぐ体を許すな。処女の矜持を持てよ。
己の軽率さには呆れ果てるばかりだったが、突然土井先生のことを意識するはめになってしまい、ドキドキしてアドレナリンが止まらない。

正直…ホッとしている自分もいる。土井先生が適当な相手とワンナイトするような奴だったら心底軽蔑するけど、そしてそれは特大ブーメランなんだけど、私の事を好きなんだったとしたら、事情は変わってくる。
本当なのか…?先生も酔って世迷言を言ってしまっただけじゃないのか…?でももし本当に私の事を密かに思っていたのだとしたら…なんか…なんか…満更でもないというか…ちょっと嬉しいかも…。酔ってる時の自分も同じ気持ちだったのかもしれない。ようやく素面の私と泥酔の私が一本の線で繋がった感じがし、布団の中で身悶えながら強く目を閉じる。

どうしよう。いやどうしようも何も問い詰めるしかない。謝っちゃった分を取り戻さないとな。
だって私悪くなくね?あたかも土井先生を強引に誘惑したかのように頭を下げてしまったが、蓋を開けてみれば向こうも下心があったって事じゃん。送ってくれた時点でワンチャン狙ってたかもしれないって事じゃん。マジで謝って損したわ。先生も素知らぬ顔してやがるしよ。それならそうと言ってくれたらよかったのに。
いや、言えないか。脈なさすぎたもんな私。先生のこと全然好きじゃない感出してたもんな。好き好き大好きまで言っといて全然そうじゃなかったら、普通に詐欺だわな。申し訳ない事をした。

しばらく思い悩む日々が続き、土井先生の事ばかり考えて過ごした私は、ついに忍術学園へ赴く決意を固めた。全ての決着をつけなければ終われないと思ったのだ。どうせ裸を見られた仲である、もはや恥も体裁もないと覚悟を決めた。


「お話があります」

神妙な面持ちの私に、土井先生もただならぬ気配を感じているようだった。いつかこんな日が来るんじゃないかと思っていた的な表情で私を連れ出すと、人気のない場所まで移動する。
正直、かなり心臓はドキドキであった。昨日はろくに眠れなかったし、私がとんでもなく自惚れてるだけだったらどうしようと羞恥にも苛まれた。しかしあとには引けない。意を決して口を開き、事件に言及する。

「あの晩の…新たな目撃証言がありまして…」

あれからババアがボケてないか何度も確認した私は、先生がいかに真剣に私に迫っていたかを聞いた。というか、下心のある人間を簡単に家に上げちゃいけないと私を説得していたという。それに一切耳を貸さず舞い上がった私は、先生を引っ張って家にお持ち帰りしたとの事だった。己のいい加減さと先生のまともさに押し潰されそうになりながら、平常心を取り戻すのに数日を要した。すでに私の頭の中は土井先生でいっぱいだった。

「先生が…私のことを…」

恥ずかしさのあまり顔を見られず、俯いた上に瞼も閉じる。

「ず、ずっと好きだったって…言ってたって…」
「…え!?」

蚊の鳴くような声で告げた私とは裏腹に、先生は学園中に響き渡るような大声を出して後ずさった。かつてないほど動揺していたので、思わず顔を上げてしまった。
もしかして事実無根なのか?とボケ老人を疑い始めた私だったが、土井先生の顔を見てその考えは変わった。酔ってた時より赤らんだ頬に呆然としてしまい、そしてボディブローのようにあとからじわじわ効いてくる。先生がどれだけ否定しようとも、事実なんや、と思わざるを得なかった。そういう顔だった。

「い、言ってない!言うわけない!」
「私だって好き好き大好きなんて言いませんよ!」
「それは言ってた」
「だったら先生も言ったんでしょ!」

ここが学校である事も忘れてヒートアップしながら、私は先生に詰め寄った。こっちまで熱くなってきた。
自分は微妙に記憶があるのをいい事に私ばっかり責めやがって…大体素面の人間の目撃証言がある時点で認めろよ。本当に好きかはともかく言った事は事実なんだよ。というかこの男子中学生みたいな反応を見る限り絶対好きじゃん。どうしてくれるんだよ。結局どうしたらいいかわからないまま今日を迎えちゃったんだぞ。
言葉に詰まる先生が回復する前に手を打ちたい。正直これだけは言いたくなかったが…最大威力を誇るこの事実をもはや告げるしかないだろう。恥をかいた分だけ強くなれた私は、守るべき貞操を失った事でより開き直る事ができるようになったのだった。

「私…初めてだったんですよ」

最初はピンときていない様子の先生だったが、何のことだか察すると、赤かった顔がみるみるうちに青くなって、最終的には胃を押さえた。逆に私は赤くなるしかなく、やっぱり先生も私がこの年まで純潔を貫いているとは思っていなかったんだなと感じて、つい溜息が出た。
そりゃ好き好き大好き言いながら家に押し込んでくる奴が処女だとは思わんわな。もはや先生に卒業させられた事について何も思ってはいないが、先生を揺さぶるためには落ち込んでいるように振る舞うしかない。実際最初の方はドン底だった。でも時間と共に傷は薄まり、土井先生ならまだよかったと思えてきて、そんな自分が不思議だった。

「遊びでああなったんなら死ぬほどショックですけど…」

胃痛で死にそうになっている先生の肩に触れ、逆にそこまで気にされると私も胸が痛いから、慌ててフォローの言葉を繋げる。

「先生が本当に私のこと好きなんだったら…そんなに悲しくないんです」
「そ、それは…」

じっと相手を見つめている間、鼓動が速まっていくのがわかった。

「それは…」
「胃痛治まってからでいいですよ」

治まるかわかんないけど。
先生が壁に手をつきながら痛みに耐えている中、私は自分が何を望んでいるのかぼんやりと理解してきて、またドキドキした。
土井先生は身近な若い男の人だったのに、今まで全然そんな風に思った事なかった。ガサツで優しくていい先生だと感じるだけだった年月が、一瞬でひっくり返る事なんてあるんだと驚き、でも全く悪い気分じゃない。むしろいい気分だ。テニプリっていいなくらいの気持ちで、恋愛っていいなと思い始めている。
やっと落ち着いてきたのか、先生は青ざめたまま私を見て、まだ往生際の悪い態度を取る。

「遊びじゃないとしか言えないだろう…そんな言い方をされたら…」
「じゃあ遊びだったんですか?」
「なんでそうなるんだ!」
「じゃ、じゃあ好きなんですか!?」

その辺の鳥が逃げていくような声量で怒鳴ると、先生は本当に黙り込んでしまい、私の心臓はいよいよ爆音を奏で始める。
はっきりしない先生には焦れったい限りだったが、いざ肯定されてしまうと、私も素直に受け止められず、照れ隠ししたくなる気持ちがよくわかった。

「…言っておくが卒業してからの話だぞ」
「いやそんな細かい事はいいんですよ…」
「細かくないと思うけど…」

胃をさする先生は目を逸らし、その後また沈黙した。居た堪れない空気に包まれ、私は先生からの好意を徐々に噛み締めると、酔った時みたいに舞い上がりそうになって困った。話に聞くのと本人から告げられるのとではまるで衝撃が違った。

そ…そっか…土井先生、本当に私の事好きなのか…何でだ?としか思えないけど。そうなんだ。考えてみたらあれってそうだったのかな?って事がなくもないが、そんな些細な情報で気付くわけもない。察しが悪いからこの年まで処女だった事を理解していただきたい。
照れてしまってどうしようもなくなっていると、突然先生の方がアクションを起こした。やけに真剣な顔で私の肩を掴んだかと思えば、怖い声でガチ説教に入る。

「レイコ…ちょっと性格直した方がいいぞ」
「はぁ?」
「流されやすいにも程があるだろう!遊びじゃなければいいだなんて…」
「そ、そんなこと言われても…」

なんで私が怒られてるんだ。しかも抱いた本人に。理不尽すぎるだろ。
そう来るとは思わなかった私は、心配が行きすぎてフラグを折りかねない先生の手を振り払い、大きなお世話だと顔を逸らした。
仕方ないじゃん、普通にときめいたんだから仕方ないじゃん。酔ってる私もそうだったんだから仕方ないじゃん。

「だって…」

あの土井先生から好きだなんて言われたら何もかもが不可抗力であると主張した。ハンマーで殴られたような衝撃を受けたのだ。今まで一度もロマンスのなかったこの私にとって、長年秘められた愛の存在は絶大な効果を発揮した。それだけの事である。
別に誰でもいいわけじゃないし。流されやすくないとは言わないが、土井先生じゃなければこうはなっていない事をわかってほしい。
不貞腐れた顔で先生を見ると、向こうも何だか面白くない顔をしていて、もしかして私のことを本当に遊びじゃなければ誰でもいいタイプの人間だと思ってるのか?と想像し、ますます不貞腐れた。そういう顔をしていたのだ。
そんなわけないだろ。処女だっつってんだろ。この生粋の処女が無差別的犯行を供述するような危ない人間だと思うのか?心外すぎる。いくら拗らせていてもそれはないだろう。
先生は自分がいかに魅力ある人間なのかをわかっていないんだ…と憐れみ、眉を下げて思いをぶつけた。上手く言葉が出てこないが、他に言いようもなかった。

「本当に…土井先生ならいいって思ったんです…」

一歩近付くとそのまま後退された。負けじともう一歩踏み出せば、今度は下がらなかった。

「ここが家の前だったら…多分また先生のこと引っ張ってますよ…」

もちろん今は素面です、と一応付け加え、二人して赤くなった。昼間からする話じゃなかったと恥ずかしくなり、私の方が耐えかねて後ろに下がる。
でも絶対そうだ。酔ってても素面でも私の気持ちをわかってもらうためにレオパレスにお持ち帰りするのは確定的だ。こっちは記憶ないんだから仕切り直してほしいくらいだし。私の初体験はまだ終わってない、土井先生の次回作にご期待くださいって感じだし。
それ以上言葉を重ねる事はなく、関係が進展したのかしてないのかわからないまま、今日は退散しようと姿勢を正した。先生はこのあとも授業があるんだし、仕事の邪魔をするわけにはいかない。というか私にも仕事がある。引っ越し先も探さなくては。近所に声が聞こえないような、ぽつんと一軒家でもいいかなと考えて、雑念にまみれた己を恥じた。
二回目を期待してしまう私の心でも見透かしたのか、先生はようやく納得したようで、誰でもよかったわけじゃない事が伝わっただけでも安堵だった。照れを隠せないまま口を開くと、いつぞやみたいに喧嘩両成敗を提案した。

「じゃあ…やっぱりお互い様ということで…」
「はい…」

和解が成立し、少し笑ってしまったのを誤魔化すよう、踵を返して手を振った。

「また来ます…仕事もらいに」

何気にそう言うと、先生はほとんど反射的に言葉を返してきて、すでにキャパが限界だった私は危うく倒れて寝込んでしまいそうになった。ボディブローなどではなく即KOの右ストレートを食らい、恋愛ライトフライ級の私は、さらに階級を落とすはめになりそうだ。

「…そこは私に会いに来てくれるんじゃないのか?」

何で急にそんなこと言うんだ。慣れてないんだから突然開き直るのは無しだろ。心臓飛び出るかと思った。会いにきていいんだったら明日にでも行くし。今夜でもいいし。放課後でもいいし!
ドキドキしすぎて頷くこともできない私は、嘘みたいにメロメロ状態で心底困惑した。恋に落ちるのって一瞬なんだな。準備も何もなく自分の気持ちを変化させられ、対応できないゆえの照れ隠しを重ねてしまう。

「せ、先生も次会った時は…ちゃんと言ってくださいね」
「何を?」
「…殺されたくないんでしょ」

私の要求に気付いた先生は、ハードルの高さを感じたのか適当に誤魔化すと、授業があると言って去ってしまった。考えてみればはっきり言われてない事を思い出し、ババアの代弁ではなく先生の口からちゃんと聞きたいと強く思い、恋愛の駆け引きを学ばねばと決意した。

先生の口からまだ一回も好きだって聞いてない。私ばっかり好き好き大好きみたいじゃん。土井先生の方がずっとそうだったくせに。
言ってくれなかったら本当に殺す気で挑もう。一度もロマンスのなかった人間には結局その駆け引きしかなく、どの武器を携帯するかレオパレスで真剣に悩むのだった。

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