後輩たちと歩いてると、正門付近で利吉さんと小松田さんが話しているのを見かけた。話が弾んでいる様子はないので、入門票か出門票にサインした直後か直前といったところだろう。
追試から数日経ち、無事合格をもらえた私は、利吉さんにお礼を言おうか迷いながらも、帰るところだったら引き止めるのも悪いと思い、そのままスルーしようとしていた。お忙しい身である事は承知している。後輩をぞろぞろ引き連れていたら余計に気を揉むかもしれないし。
「あ、山田利吉さん」
話しかけない、と勝手に決めたところで、後輩が利吉さんに気付いた。途端に空気感が変わり、男でも女でも利吉さんはみんなの憧れの的である事を思い知らされる。
プロの忍者って格好いいもんな。うちの親もプロだけどなんか爽やかさとかが全然違うんだよな。我が家の空気が野球部のロッカーだとしたら、利吉さんはエアドック置いてるオフィスって感じ。
まぁこの前は格好良さとは無縁の虫取り青年なところしか見れなかったけど…と蛍を掴んでいた姿を思い浮かべていれば、後輩が急に目を輝かせ、私の方を向く。
「そういえば利吉さんに追試見てもらったんですよね?どうでしたか?」
まさか虫取り青年でしかなかったなどとは口が裂けても言えまい。
「蛍を撃つ試験だったけど…利吉さんは見てただけだったよ」
「いいなぁ、私も教わりたい」
別に何も教わってない事も口が裂けたって言わない方が良さそうだ。でもいろんな話ができた事は有り難かったな。思いがけず進路相談みたいになった事を思い出し、そのまま駄弁りながら歩いてると、利吉さんと目が合った。気がした。
一日請け負った追試の記憶など、利吉さんにとっては取るに足らない事だろうと思い、気のせいと判断して後輩たちに視線を移した。すると突然黄色い声が上がって、再び正門の方へ目を向ける。
利吉さんが手を振っていたらしい。喜んで振り返す後輩達の微笑ましさと、プロらしいサービスの良さに私は感心していた。
さすがフリーランスや。こういうところが次もまた仕事をお願いしようと思わせる部分なのかもしれない。愛想のいい大門未知子は無敵だろうな。
次の授業があるので後輩に小走りを促し、その場を後にした私は、この時の利吉さんは帰るのではなく今来たところだったのだと数刻後に知った。
「あ」
遅めの昼食を摂るべく食堂でランチを頼んでいると、遠くの席から声がした。つい振り返った私は、その声が私に向けられたものであるとすぐに気付いた。というか私とその人しかいなかった。
「利吉さん…こんにちは」
利吉さんだ。飯食ってる。帰ったんじゃなかったのか。今北産業の方だったんだな。
思いがけない再会にすぐ会釈し、さすがにこの状況でスルーできるはずもなかったので、追試の件に触れざるを得ない。
ていうか私のこと覚えてるかな?覚えてるか、記憶力も良くなきゃプロの忍者なんてやってられないもんな。
「先日は大変お世話になりまして…ありがとうございました」
自分としては丁寧に礼を述べたつもりであったが、利吉さんは何故か目を細めて私をじっと見ていた。もしかして食事中に声をかけるのは失礼だったか?と思ったりもしたが、先に私に反応したのは利吉の方なので、さすがにそんな事はないだろう。
困ったまま見つめ合っていると、利吉さんがやっと口を開いてくれた。ホッとした途端に名を呼ばれ、また緊張が走る。
「レイコちゃん」
名前まで覚えてもらっていたとは。なんか嬉しいけど恥ずかしいな。
はい、と返事をすると、また機嫌の悪そうな顔をされ、やっぱ物を食べる時は誰にも邪魔されず自由で救われてなきゃならない井之頭五郎タイプだったのかもしれないと思ったが、全然違ったようだ。
「さっき」
「はい」
「君に手を振ったんだけど」
一瞬何のことだかわからず、目を上へ向けて考え込んだ。さっきっていつだ、と記憶を辿っても、正門付近で見かけた件しか思い当たらないので、多分それだろう。目が合ったのは気のせいじゃなかったと知り、普通にスルーした自分の無礼さに頭を抱えた。
「そうだったんですか…すみません、気付かなくて」
「普通気付くだろう…」
呆れた利吉の声に苦笑するしかない私は、とりあえずもう一回謝っておいた。
後輩たちに手を振ってたんじゃなかったのか。ファンサ的な事かと思ってた。だって手を振ってもらえるような気安い仲になった覚えもないし。一度お世話になっただけの人だし。
なんか申し訳なかったな…と気落ちしているところに、食堂のおばちゃんが私のランチを運んで置いた。ここで食べろというのか、という顔をしたら、利吉は着席を促したので、ご一緒させてもらう他ない。
孤独のグルメの人じゃなかったのはいいが、どうやってこの空気を乗り越えるか、忍者としての腕が試されるところだな。手を振ってくれたという事はそれなりに友好的に思ってくれてるようだから、世間話には応じてくれるかもしれない。
しかし雑談するにもネタがない私は、無難な質問で乗り切ろうと箸を掴んだ。
「今日は山田先生に会いに来られたんですか?」
利吉さんが忍術学園に来る理由は、大体山田先生絡みである。節目に挨拶に来ている姿を見た事があった。そういや私もどっかで親と話さなきゃいけなかったな…とぼんやり考えていたら、思ったのと違う答えが返ってきた。
「それもあるけど、学園長先生に用があってね」
仕事の方か。意外な発言に相槌を打ったが、クソじじいに見えても学園長は影響力の強い人であるため、利吉さんと仕事をする事もあるのかもしれない。今は呑気に飯食ってるけどやっぱり忙しいんだな。
山盛りになってるご飯を黙々と食べる私を見ながら、利吉さんも味噌汁を啜り、特に話が弾む事なく時間が過ぎていく。よく食う奴と思われてるかもしれない。六年になると実技が多いから、食べないと体力がもたないのだ。今日も午後から自衛隊なみの訓練があり、地獄である。
いつの間にか食べ終わっていた利吉さんが、席も立たずにこちらを見ているので、待たなくていいですよと言おうとした。お忙しいでしょうから行ってくださいの顔をした時、先に利吉が口を開く。
「君にも仕事を頼むかも」
「え?」
ドカ食い中の私にそう言った利吉さんが、信じ難い事を告げ、そしてそのまま席を立ったから、キムタクでなくてもちょ待てよ状態である。二度目ましての相手に何を言ってるんだと掴みかかりそうだった。
なんで?なんでそうなったんだろう。急すぎる。何故この私に仕事を頼む方向に舵を切ったのかまるで理解できない。ひょっとして虫取りか?それともまさか熊撃ち…とかじゃないよな?無理だって。マタギなのは父で私は一般人なんだって。
「気が向いたら検討してくれよ」
「はぁ…」
爽やかに言って去ってしまったため、何の仕事なのか聞く事もできず、私はとりあえず落ち着こうとお茶を飲んだ。検討してくれと言われても、この状態では断りにくいに決まっていた。手を振り返さなかった事を責められたあとである。
あれってもしかしたら哀車の術だったのかも。私に仕事を断らせないためにわざと拗ねたんだろうか。全然有り得るな。プロなんだもんな。
でも正直、利吉さんに仕事を頼まれて舞い上がらない奴はいない、私だってそうだ。荷が重いのと嬉しいのとが同時に押し寄せると、厳しい実技の授業も何だか乗り切れそうなのだった。