密書の手がかりを得られないまま、二日目の夜が来た。
昨日は大部屋で他の客と雑魚寝だったが、今日は気を遣ってくれたのか、個室のある宿に泊まる事になった。その方が誘き出しやすいという判断かもしれない。個室と言っても夫婦を装っている以上、利吉とは同室である。雑魚寝とはまた違う緊張感があり、眠るにしても気を張っていなければならず、加えて利吉の足を引っ張ってはならないという自負などから、思い悩む事も多かった。ハードな夜だった。
学園長によると、今回の仕事、利吉さんが私を名指ししたらしい。
山田先生は断ってもいいと言ってくれたけど、別に断る理由もなかったし、利吉さんと一緒なら勉強にもなるし、むしろ安心かなと思ったのだが、突然事態は変化した。
深夜の事だった。
何者かの気配で目覚めた私は、利吉さんか?と思いながらも、袖に隠した弾き玉を構え、事態の把握に努めた。
誰かが眠る私の傍へ近付いてきている。足音を立てず、息も殺しているが、私が気付いている以上利吉が気付かないはずもないので、きっと怪しい者が侵入したとかではないのだろう。となるとやっぱり利吉さんかな?と思うが、さすがに無防備に寝ているわけにもいかなかったため、布団から手を出したと同時に玉を弾いた。正直、当てるつもりでいた。
「おっと」
避けられたか?利吉の声だ。
起き上がった私は暗がりに潜む人物を見て、やはり利吉さんだったと目を見開く。玉は壁に当たったようだが、薄い壁を貫通する事態は避けられたみたいだ。転がりながらこちらに戻ってくるのを、利吉が拾った。
「利吉さん…」
「すまない、一応実習だから」
一体何事なんだ。距離的にかなり近くまで迫ってたようだが。
玉を受け取りながら、私は寝乱れた髪を結び直し、実習、の言葉を頭の中央に置いて考える。
いま何時だろう。こんな夜中に玉を弾かせるとはスパルタだな。
寝ている私の元に、息を殺して近付く…状況だけ考えると普通に事件である。利吉さんは信頼のおける人だと思っていたので、一体どの辺が実習なのか説明してもらわないと、利吉さんの方が社会的制裁を受けるんじゃないかと心配になった。
「ぐっすり寝てたんじゃ話にならないだろう」
「はぁ…」
その言葉から察するに、つまりガチ寝してないか試したってことか、と自分を納得させた。
そんなにぼーっとして見えたかな私。自分の実習、そして利吉さんの大事な仕事中にマジ寝する奴に見えたのか?鼻緒も切れるし頼りないと思われたかしら。
ていうか玉…当たった気がしたけど大丈夫か?気のせいかな?じっと利吉の顔を見て、軌道的には左のこめかみ辺りに飛んだと思うのだが、怪我をさせてやしないかと心配し、つい凝視してしまう。飛び道具にはかなり自信があるので、狙った場所には当たっていないにしろ、どこかには掠っているはずと予想した。
暗がりで傷を探していると、利吉はまた謝り、それを聞き流しながら私は頷いた。
「悪かったよ、何もしてない」
それはそうだろうが、そんな事より今は当たったかどうかが知りたい。いやそれ以上に、そもそもなんで利吉は私などを相手に選んだのか、一番聞きたいのはそこだった。もっと演技の上手い子はいるだろうに、寡黙な妻を演じるしかない私に同行を頼んだのは、単に顔見知りだからなんだろうか。誰でもよかったとか?いざとなったら熊を撃ってほしかったか?
忍者があれこれ悩むべきではないとわかってはいるのだが、私は勉強が得意じゃないから、よく考えないとわからないし、考えてもわからない時だってある。今とか。
「…わかった、今日は外で寝よう」
「え?」
あれ、考え込んでるうちに変な話になってるぞ。どうした。何で急に外で寝るんだ。
無言で凝視していたから誤解を生んだのかもしれない。出て行こうとする利吉の腕を必死に掴み、私は首を振った。
「いや…大丈夫です、すみません。考え事をしてて…」
「人が謝ってる最中によく考え事なんてできるな…」
返す言葉もなく苦笑し、誤魔化すように話題を振った。実際聞きたい事でもあった。
「でも…利吉さん、どうして私を仕事の相手に選んだんですか?」
玉を手の上で転がしながら、座り直した利吉を見つめると、向こうも不思議そうに首を傾げる。聞く必要あるか?みたいな顔だ。言わなくてもわかるだろう的ムーブは山田先生っぽいな。
「腕がいいから」
「鉄砲は使わないでしょう」
「弓を持ってるじゃないか」
確かに弓も上手いけど。それだと完全に戦闘員なんだが、この先遠距離ガチバトルでも発生するのか?聞いてないんですけど。
あまり納得できずに俯き、利吉さんは現状に満足しているのだろうかと気になって、今の自分の配役についてつい弱音を吐いた。遠距離ガチバトル要員に呼ばれたのなら誇らしいが、実際はそうではないのである。
「でも…利吉さんの妻には見えないんじゃないですか」
「そうかな…」
私の言葉にすぐ反論した利吉は、あっさりと否定してきたので、それが本心だとしたら随分と楽な実習だった。
「いろんな夫婦がいるんだし、別に怪しまないさ」
そうかなぁ。そう言われるとそんな気もするし、でも変な夫婦は目立つ気もするし。そう言って本当は私を試しているのかもしれないし。
依然として疑心暗鬼な私の気持ちなど、利吉にはわからないのかもしれない。もしくは相当図太い人間だと思われているのかも。利吉は不思議そうに首を傾げると、やはりこちらの緊張など想像もしていないような声を出した。
「どうしたんだ急に」
「いや…ちょっと…改めて緊張してきたもので」
すると、利吉は私の手を取って脈を測った。指先が手首の血管に触れ、皮膚を通して鼓動が伝わる。余計に不整脈が加速しそうな接触に段々とドキドキしてきて、しかし心とは裏腹に肉体はドライなものだったようだ。顔に出ないタイプとよく言われる。
「全然そうは思えないけど」
「忍者の卵ですから…脈拍に出たりしませんよ」
「そんな技あるの?」
ない。できたらバケモンだろう。
私の適当な嘘に利吉は少し笑うと、手を離して布団へ戻った。最後にこちらを見つめ、その調子で気を引き締めておけよ、とプロらしく言い放ち、少し考え込む仕草をしたあと横になった。
「おやすみ」
「おやすみなさい…」
寝れる気はしないけど。完全に目が冴えてしまった私は利吉の方を見ながら、さっきの温もりを忘れられず、自分の鼓動を確認した。
寝顔を見つめていると、脈が速くなった気がした。利吉の髪が床の上で、隙間風が吹くたびにわずかに揺れる。
実習だってのに、何を見惚れてるんだろ。利吉さんなら仕方ないとは思いつつ、仕事中に浮かれるなんて…という気持ちもあり、結局それ以上考えないよう目を閉じた。利吉さんの言う通り、気を引き締めようと思ったのだ。
完全に忘れていたが今の私は妻なのだった。こういうところがいけないんだな。利吉の言う通りいろんな夫婦がいるのだから、変わり者の夫には変わり者の妻がいてもおかしくないのだろう。そう思うと気が楽になり、明日からはもっと自然に振る舞えそうだと思った私は、ゆっくり微睡へと落ちていくのであった。